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日本の潮目を変えた安倍氏の二つの演説「二つの海の交わり」と「希望の同盟」の戦略的意義を振り返る

筆者は、世界の大きな流れを意識しながら、日々、世界のニュースを独自分析している素人の政治経済ウォッチャーである。その目的は、経済動向を把握し、株でちょっと儲けれたらよいな~!ということと、その延長線上で僭越ながら日本の国益に微力ながらでも貢献できれば、という感じである。

特定の政党支持でもないし、安倍信者でもない。与党だろうと野党だろうと、良いものは良い、イケてないものはイケてない、と述べるスタンスでいるが、世界情勢を考える上で安倍元首相が残した影響力ってやっぱり無視できないものがある。なので、安倍さんがらみの話題が最近多いが、決して自民党支持者でも安倍ファンでもないのであしからず。

今回は、日本の歴史の流れを変えた可能性がある、地味だけど超重要な、安倍さんの二つの演説を振り返ってみたい。

日本が極東アジアを超えて世界に回帰する流れを作った2007年のインドでの「二つの海の交わり」演説と、敗戦国日本の”終わりの始まり”を宣言した2015年アメリカでの「希望の同盟」演説である。

インド国会における「二つの海の交わり」演説:2007年

2007年のインド国会における「二つの海の交わり」演説は、日本が世界に回帰する流れを作るきっかけとなった。そして同時に、「自由で開かれたインド太平洋戦略」の原形が、産声を上げることとなった。

詳しくは、是非下記外務省ページの全文をお読みいただくとして、重要な部分のみを抜粋してみる。

この際インド国民の代表であられる皆様に申し上げたいことは、私とシン首相とは、日本とインドの関係こそは「世界で最も可能性を秘めた二国間関係である」と、心から信じているということです。「強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益である」という捉え方においても、二人は完全な一致を見ています。

* *

 インド洋と太平洋という二つの海が交わり、新しい「拡大アジア」が形をなしつつある今、このほぼ両端に位置する民主主義の両国は、国民各層あらゆるレベルで友情を深めていかねばならないと、私は信じております。

二つの海の交わり演説より

2007年ごろまでの日本では、外交といえばアメリカと、せいぜい極東数カ国ぐらいのものだった。それを大転換し、「インドを重視します」と述べたエポックメイキングな演説である。

当時ほとんど報道もなかったし、インドなどという遠く離れた国の話、一見地味に思えるが、あとから振り返ってみれば日本外交のターニングポイントとなった。

アメリカのポチであり、極東数カ国に謝罪を繰り返すだけのつまらない外交から脱却し、日本が世界に回帰する節目となったのだ。自由で開かれたインド太平洋の原型は、ここで生まれたのである。

そして、こういう感情面に訴える技にも長けていることを指摘しておきたい。

日本人は、森をいつくしみ、豊富な水を愛する国民です。そして日本人は、皆様インドの人々が、一木一草に命を感じ、万物に霊性を読み取る感受性の持ち主だということも知っています。自然界に畏れを抱く点にかけて、日本人とインド人にはある共通の何かがあると思わないではいられません

二つの海の交わり演説より

日本とインドはともに多神教の国であり、仏教はインド生まれであることを考えても、思想面での親和性は高い。

このインドの外遊からの帰国後、安倍氏は体調を崩し第一次政権は終焉することとなった。

潮目が変わる

アメリカ議会における「希望の同盟」演説:2015年

そして、二つの海の交わり演説以上に、日本の立場を大きく変えることになったのが、アメリカ議会における「希望の同盟」演説である。その意義は、「日本の戦後」の、終わりの始まりである。

さて、演説の解説に入るまえに、この演説が行われる前までの、日本が置かれていた非情な現実というものを振り返っておこう

多くの人々が指摘するとおり、戦後、日本はアメリカのポチだった。しかも単なるペットではない。「いつか再び主人に楯突いてくるだろうポチ」であった、少なくともアメリカはそう見ていた。

日米同盟はあったものの、潜在的にアメリカは日本を恐れ、敵視していたのである。日本の高度成長期、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として、自らの経済覇権を脅かす存在としてアメリカは日本を恐れていた。軍事で敗北したら、今度は経済と技術で覇権を奪いにきやがった!と。

だから、アメリカはプラザ合意や半導体協定で日本を潰したのである。

日本のバブルが崩壊し、経済的な低迷が始まった後もしばらくの間、アメリカの潜在的敵国リストには日本の名があった。そう、日本人はそのように認識していなかっただろうが、アメリカ中枢はずっと日本を潜在的な敵国と見ていたのである

そして、日本経済が長期低迷する21世紀に突入すると、中国が代わりに経済成長を始めた。アメリカは日本ではなく、中国での金儲けを重視するようになった。ジャパンバッシング(攻撃)は、ジャパンパッシング(無視)になった。いつか楯突いてくるはずのポチは、弱く無価値なポチに成り下がった

オバマ大統領がはじめて日本にやってきたときの演説でも、日本の話はほとんどなく、中国の話ばかりしていたように記憶している。筆者は当時、今ほど国際情勢に注意を払っていたわけではないけれど、それでも「何じゃ、こいつ」と感じたほどである。

そう、多くの国民が知っているように、日本はアメリカのポチである。けれども現実は遙かに非情で、牙を抜かれ、弱く、相手をする価値もないポチに過ぎなかったのである

それが、2015年以前。

そして、2015年の「希望の同盟」演説で潮目は変わる。

重要部分を抜粋してみる。

かつての敵、今日の友

 みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。
 近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。
 「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。
 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。
 これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
 熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。

アメリカと戦後日本

 戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。
 アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。
 焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2,036頭、やってきました。
 米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。
 下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

希望の同盟演説より

要約すると、「日本とアメリカはかつて敵同士でしたが、今や友となりました(=敵ではありません)。アメリカのおかげで日本は復興しました」ということである。

これは巧妙に計算された演説である。

先に述べたように、少なくともバブル崩壊以前までは、アメリカは日本を潜在的な敵国と考えていた。日本人からすれば荒唐無稽な話でも、アメリカから見ればそうではない。そこにくさびを打ち込む演説である。

日本にアメリカと敵対する気はさらさらないですし、日本が力を取り戻したのはまさにアメリカのおかげです、というアメリカヨイショも入っているのである。

さらに重要部分を抜粋してみる。

 日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。
 自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

(中略)

 私たちには、トモダチがいました。
 被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。
 ――希望、です。
 米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。
 米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。
 希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます

希望の同盟演説より

さらにアメリカヨイショは続く。「あなたたちは、希望である」と。これ、アメリカ人たち感動して泣いているんだよね・・・

そして、「アメリカと日本で、力をあわせて世界をもっと良い場所にしていきましょう。希望の同盟、一緒でなら、きっとできます」と締めくくられている。

ここの部分のミソは、アメリカ人のハートの琴線に触れる言い回しもさることながら、「日本は再び力をつけて、アメリカと肩を並べて戦います(=敵対することはありません)」ということである。

これにて、日本は「いつか楯突いてくるであろうポチ」ではなく、「弱く、無価値なポチ」でもなく、「アメリカと肩を並べるパートナー」となった。

どうだろうか。この演説を通して、戦後日本のおかれていた敗戦国としての立場と、潜在的に日本を恐れていたアメリカ人のマインドを変化させ、両国関係を「希望を広げていくパートナー」に昇華させたのである

まさに、もともと安倍氏が目指していた「戦後レジームからの脱却」を、アメリカ議会にて承認させた、歴史的な瞬間であった。

これで流れは変わったのである。

2015年以降、日本は、アジアにおける自由と民主主義を守るためのアジアのリーダーに回帰した。アメリカは、それをバックアップするようになった。

希望の同盟――――この演説以外ではあまり聞かないけれど、安倍レガシーとしてもっと言ってもいいと思う。あまり報道もなかったので知っている人は少ないだろうと思うけれど、「外交の安倍」はこのようなことをやっていたのである。

最後に、近畿大学での卒業生向け講演

ということで、日本の歴史の潮目を変えたと思われる二つの演説の解説を行った。

政治家なので功罪あるのは当然だろうと思うが、罪の方ばかり注目され、功の報道が全くなされないのも国益を害すると思うので、微力ながらここにまとめてみた。

最後に、国民に対する実質的な遺言のようにもなってしまった、令和3年度近畿大学卒業式スピーチの動画をシェアして、本日は筆を納めようと思う。

曰く、「失敗から立ち上がれ」。今の日本に必要なことではないだろうか。

なお、安倍元総理の主な功績については、総理退任時の記事にまとめているので、併せてご覧いただきたい。

くどいようだが、筆者は安倍信者ではない。けれども注意深く世界情勢を見回せば、安倍外交の残渣が至るところに垣間見えるのである。

安倍さんを軽く超える真に優れたリーダーの出現を待つ。

(画像は写真ACから引用しています)

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