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インバウンドで経済成長という考え方は、もうやめにしませんか?

いわゆる”オーバーツーリズム”の問題で、世界をみわたせば、観光客制限に舵を切っている都市もある

一方の日本では、コロナ禍もあけ、訪日外国人増加による「インバウンド景気」が期待されている。

そこであえて提言してみたい、日本の未来のために。

インバウンドを景気回復の主軸に据えるのは、もうやめにしませんか?

インバウンドは日本のGDPを本当に押し上げているのだろうか?

2003年には521万人だった訪日外国人の数が、2018年には3000万人を超えた。

訪日外国人が増え始めたのは2012年ごろ、民主党政権が倒れ、第二次安倍政権が始動したころからである。いわゆる”アベノミクス”の時代、訪日外国人は4倍ちかくになったが、その間のGDP増加は500兆円→556兆円程度である。

外国人訪日客による消費は4.8兆円といわれ、GDPの1%弱と試算されている。この数字だけを見ればインバウンド消費はけっこう大きいように思え、日本の景気回復にインバウンドが果たす役割に期待したい気持ちも分かる。

でもね、GDPの85%を占めるのは、内需なんですよ・・・日本人の消費の方がインバウンド消費より圧倒的に大きいわけ。

内需拡大(=日本人を大事にする)を目指さずに、インバウンド依存の経済回復を目指す(=外国人を大事にする)のは、ちょっと違うように感じている。

外国人に魅力の京都は、一方で日本人からの魅力を失っている

京都は観光客に溢れ、電車やバスに地元住人が乗れないといった事態もしばしば報道されている。コロナ前の記事だが、こんな写真もあった。

外国人が押し寄せることで、ホテルやお店はいっぱいで、日本人観光客も訪れにくい状態となり、何よりも地域住民が「暮らしにくい街」になっているという皮肉がある。

まさに、オーバーツーリズムである。

”インバウンドによる景気回復”に傾倒すれば傾倒するほど、失っているものも大きいということに気付かなければならない。この注意を喚起するワードとして、”オーバーツーリズム”という言葉は適格である。

それに、外国人観光客は水物だ。コロナ禍の時代が証明したとおり、急にいなくなってしまうこともある。また台湾有事や朝鮮半島有事など、国際情勢が不安定になれば、観光客などたちまちいなくなるだろう。

そんな水物を成長戦略の中枢に据えて、日本人や地元住民をないがしろにすることは、自らの足元を掘り崩している行為に他ならない。

観光は「過去の遺産の食いつぶし」で、未来に向けて生み出すものはない

外国人はどうして京都に来るのか、それは1000年以上にわたって培われた”日本の文化”が蓄積されているからである。

観光業とは、いわば「過去の遺産の食いつぶし」に過ぎない。

我々は先人たちの積み重ねた歴史のうえに、商売を成立させているのである。

それは未来に向けて何か新しい産業を生み出すものではない。単なる過去の消費である。

こんなものを成長戦略の一環に据えるのは、後進国のやることだ。

インバウンドで景気回復!などと言っているあいだは、日本の本格的な復活は難しいだろうとちょっと情けない思いもする。逆に現代の我々は、未来の日本人に向けて何かを残せているのだろうか?

まずは日本人自身が、日本文化への理解と敬意を持つことが必要だと思う。それはめぐりめぐって、地域住民がこれまで通りの生活を不自由なく送っていける環境を作ることにも結び付く。

これらがあった上に、あくまで「おまけ」として、インバウンド消費による景気上積みがある分には良いと思う。

従って、訪日観光客6000万人目標!などという数値目標はやめてもらいたい。日本人の安定した生活があってこその訪日客受け入れということを、政治家及び業界団体に理解してもらいたいという問題意識から、改めて提言したい。

インバウンドで経済成長という考え方は、もうやめにしませんか?


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