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「次こそは」という思いが原動力

牟田都子『文にあたる』を読んでいます。

職人は「これでいいと思ったことは一度もありません。仕事は死ぬまでが修行でしょうなあ」といいます。校正にしても「これでいい」と思えることはありません。完璧な仕事をすることなど不可能だと知りながら、次こそはと心に誓い新たなゲラに向かう。十年続けられた原動力は「次こそは」だったように思います。 (P.129)
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本が出版される前のゲラ(校正刷り)を読み、内容の誤りを正したり、不足を補ったりするのが「校正」の仕事です。

誤字脱字などの誤植を探すことはもちろん、事実関係や数字の確認など、校正の仕事は多岐にわたります。

私自身、せっかく買った本に誤字脱字や明らかな誤りなどがあるとがっかりしてしまいます。

「本には間違いがない」と無意識に信頼してしまっているために、読書中に少しでも「日本語がおかしい」「この記述は間違っている」と感じてしまうと、読み進める気持ちが萎えてしまうことはよくあるのではないでしょうか。

校正の仕事は、その本が印刷される前に隅々にまで目を光らせ、誤りのあるものが世に出回ることを未然に防ぎ、「本に対する信頼感」を維持する役割を果たしていると言えるかと思います。

ただし、本に誤りがないことは読者にとって「当たり前」なことなので、特に有難がられることありませんし、誤りがあったらあったでひどくがっかりされてしまう、減点方式な仕事です。

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校正を担当する方も人である以上、どうしても誤りを見つけきれない(落としてしまう)ことがあります。

また、経験を積んだからといってミスのない仕事をできるようになるかというと、そうではないとのこと。

牟田さん曰く、校正という仕事については、1~2年目の新人であれ、その道数十年のベテランであれ、ゲラの中のすべての誤りを見つける(拾う)ことができるわけではないそうです。

どんなにベテランであれ落としてしまうこともあり、ベテランが落としてしまった部分を新人が拾うこともある、そんな世界なのだそうです。

そんな世界だからこそ、牟田さん自身も「これでいい」と思えることはなく、「どこかに落としている部分があるのではないか?」「もっと時間をかけて確認したい」という不安感を持ちながら仕事を終えるそうです。

どれだけ時間をかけ、労力を割いたとしても、拾いきれていなかった誤りが出版後に発覚することもあるそうです。

牟田さん曰く、校正は「失敗を隠しようがない仕事」であり、誤りがあるものが一度印刷されて世に出回ってしまうと、それは明らかなミスとして残り続けてしまいます。

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完璧な仕事は不可能であると知りながらも、牟田さんは「次こそは」と心に誓い、新しい次のゲラに向き合い続けています。

新しいゲラに向き合う度に感じる「次こそは」という思いが、10年校正の仕事を続けられた原動力だったと牟田さんは語っています。

校正の仕事に限らず、100%ミスのない、100%満足できる仕事をできることはないはずです。

私自身の少ない社会人生活をふりかえってみても、100%完璧にできたと言える仕事はありませんし、うまくいったと思える仕事についても、必ずどこかに気になる部分があります。

私に限らず多くの人が、そんなもやもやした気持ちの中で次の仕事に向かうのではないでしょうか。

ただ、「次こそは」と思える領域の仕事に取り組めているのであれば、それは自分自身にとって続ける価値のある、自分に向いている仕事である可能性が高いのではないかと思います。

その仕事に対して少なからず情熱や価値を感じているからこそ、「次こそは」と思えるのではないでしょうか。

日々の仕事の中で「次こそは」という思いが生まれるかどうかが、向き不向きなどに関わらず、自分にとって突き詰める価値のある職業かどうかを判別する指標になるのではないかと思いました。

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