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浅草で育まれる文化と人情に生きる人々【浅草ルンタッタ】

浅草に越してきてから、3年半ほど経った。

今はまた、近くの街に引っ越してしまったのだけど、ずっと関西で生まれ育った自分にとっては、東京というとてつもなく大きな都市で、初めて一人暮らしをすることになった浅草という街には、数え切れないほどの思い出が詰まっている。

浅草といえば、言わずとしれた東京の大観光地であり、浅草寺へと続く雷門の前では多くの旅行客で賑わい、一歩、仲見世商店街に足を踏み入れたのならば、昔ながらの居酒屋や屋台が軒を連ね、ホッピー通りでは昼間から大勢の人がお酒を酌み交わし、ほろ酔い気分を味わいながら思い出話に花を咲かす。

何よりも浅草には
下町ならではの人情味あふれる、温かな人々がたくさんいる。

いつかのnoteでも書いたのだけれど、関西からやってきて右も左も分からなかった自分にとっては、浅草の温かな人柄にはたびたび救われることがあった。

だからこそ、浅草という街で今まで暮らしてこれたのだとも思う。

そして、自分が浅草に住んでいた頃に、よく買い物に出かけたり、散歩したりして通っていたのが、いわゆる浅草六区と呼ばれるところだった。

現在は商業施設の「浅草ROX」を中心として、多くのお店が立ち並ぶ中でも、浅草演芸ホール浅草花やしきなど、昔ながらの風景も色濃く残る場所。

その中でも、メイン通りである「六区ブロードウェイ」では、観光客はもちろん、買い物で訪れる家族連れも多く見かけるお昼時に対して、日も落ちる頃になると、あちらこちらで酔っぱらいが出没する。

どちらも、浅草六区の愉快な一面だなと、自分は思っている。

そして、この浅草六区を舞台に、今よりもはるか昔、明治から大正にかけて日本が異国文化を受け入れながら変化していく様を、登場人物たちの波乱万丈な生き様とともに描いたのが「浅草ルンタッタ」という作品だ。

煌びやかな遊郭が立ち並ぶ吉原から少し離れた浅草六区で、行き場をなくした女性たちが集まる「燕屋」を中心に繰り広げられる人情劇を描いた、劇団ひとりさんの長編小説。

様々な理由でその身を娼婦へと移した女性たちが集まる「燕屋」の店の前に、ある日、一人の赤ん坊が捨てられているのを千代という女性が発見する。

かつて遊女として吉原で働いていた千代は、過去に自らの子を亡くしており、周囲の反対を押し切って赤ん坊を育てることを決心する。

お雪と名付けられたその子どもは「燕屋」の人々の温かな人柄ともに育まれながら、すくすくと成長していく。

浅草の喧騒に囲まれながら、時には芝居小屋に通って舞台を見学しては、遊女として名を馳せるために「燕屋」で稽古に励む毎日。

しかし、そんな賑やかな幸せに囲まれていたのも束の間、店を利用していた一人の男の狼藉によって、彼女らの人生の歯車は大きく狂い始める。

明治から大正へと時代が移り変わり、物語の場面が登場人物の視点とともに転換していくと、まるで小説内に登場する芝居小屋の演劇のように、悲喜こもごもな出来事が積み重なり、がらっと人々の様相も変化していく。

そんな過酷な運命に翻弄されながらも、時代の節目を耐え抜いていく登場人物たちを、それでもかろうじて繋ぎ止めていたのは、浅草六区に広がる下町が独自にはぐくんだ芸術や文化だったように思う。

まだ9歳だったお雪が目を輝かせながら観覧した「風見屋」の芝居、西洋の文化を取り入れながら独自の進化を遂げた「浅草オペラ」の舞台。

さらには、彫り師として生計を立てていた兵助や、スリ師から身を洗い、人力車の車夫として働き始めた信夫らも、浅草に古くから残る文化に助けられながら、順風満帆とは到底言えないような人生に希望を見出しながら、何とか生き延びていく。

また、これほど哀しみにまみれた出来事が立て続けに起こる中でも、登場人物たちが決して無くさない、人情味あふれる優しさが一際、光っていた。

自らの身を挺してでも子どもを守ろうとする千代鈴代、悪事に手を染めることはあれど、身内に対しては断固として義をつくす信夫、また、終盤で横浜に向かう途中に大八車だいはちぐるまを貸してくれた名もなき人。

もちろん、ろくでなしと言える者たちも多く登場するとは言え、物語の中で時折、垣間見えるこの温かさに自分も少し救われていた気がした。

最後には、お雪の歌声とともに、復興に向けて歩み始める浅草は、現代の浅草に通ずるような華やかな景色や人々の姿が映し出されていた。

この物語を読んで、浅草という地には過去から引き継がれている清濁入り混じった歴史が刻まれているのだと、改めて思い知らされた気がした。

そして、そんな哀しみ寂しさも、全てを抱え込んで、でも最後には笑えるような、並々ならぬ底力を感じる浅草が自分はきっと好きなのだ。

最近では「鬼滅の刃」「浅草キッド」など、浅草にまつわる物語が多くの人々によって楽しまれたことで、浅草の地を訪れる人も増えたように思う。

そして、この「浅草ルンタッタ」を読んで、浅草六区を訪れてみたいと思う人がいるのならば、ぜひとも下町のあたたかな人柄に触れながら、浅草という街の隅から隅まで楽しんで欲しいなと、浅草のカフェでこの文章を書きながら思っている。


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