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羊文学が紡ぐ物語

「羊」と「文学」という二つの言葉だけを聞いて
連想するものは何だろうか。

草原をのんびりと歩く羊の姿、ほんわかとしたストーリーが描かれた絵本、はたまた中国の古典文学を連想する人もいるかもしれない。

自分はなぜか「綿毛」を思い浮かべる。
吹いたらすぐさま飛んでいきそうな「綿毛」

それは「羊文学」という名前のバンドを知って
沢山の楽曲を聴いて、好きになってからも変わらない。

なので、勝手ながら「綿毛」の画像を付けさせてもらった。

「羊文学」という言葉を聞き慣れない人にご紹介すると、彼らはVo.Gtの塩塚モエカBaの河西ゆりかDrのフクダヒロアからなるスリーピースバンドだ。

透明感あるサウンドの中に潜む荒々しさと、作詞作曲を担当する塩塚さんの独特でいて現実離れした世界観を纏った楽曲が特徴的な「羊文学」は、近年、メジャーデビューを果たし、多くのアニメや映画のタイアップを手がけるなど、徐々にメジャーシーンでも頭角を表している。

例に漏れず、自分も「羊文学」に最近どっぷりと浸かってしまい、通勤時は毎朝聴いている彼女たちの楽曲。

今回はそんな「羊文学」の歌詞の世界観を
少しでも紹介できれば良いなと思う。

Step/羊文学

「羊文学」が描く歌詞は
世界中のどこかで、誰かが育んでいるだろう物語だ。

ストーリーの境目が曖昧で、決してリアルではないのに、フィクションのような嘘っぽさも感じられない。

それにも関わらず、自分の記憶にはないはずの、この世の何処かに存在しているだろう誰かの記憶を脳内に思い起こすことができる。

繊細なアルペジオによって幕を開ける「Step」という楽曲では、何らかの理由でパートナーを失った女性が、現実を緩やかに受け入れて行く様子が描かれている。

ただし、曲中において、決定的な破局の様子が事細かに描かれているわけではない。

何が起こったのか、どうして離れていってしまったのか。そう言った事には一切触れることなく、真相は歌詞の奥行きとして隠されている。

では、この楽曲で描かれているのは何かというと、
様々な感情が入り混じった「わたし」の想いだ。

思い出はいつでも 輝いて見える
いつだってそれを妬んでは 立ち止まっている

step/若者たちへ

進んで行かなくてはならない自分と
このままで居させて欲しいと願う自分。
対極にあろうと、どちらも嘘ではなくて。

諦めや後悔に侵食されながらも「いつかはきっと笑っていけるだろう」と自分に信じ込ませるように綴られる想いは、自分のことではないのに心をキュッと掴まれるような感覚を抱かせる。

誰もがキッパリと自分の感情を前向きの方向に持っていけるわけではなくて、心の中では言い訳と押し問答を繰り広げていて、時には停滞していることで心が安定してしまうことが、きっとある。

妥協によって進んでいくしかない時もあれば、
現実を少しの間、隅に追いやらないと
心が澱んでしまう時もあるのだ。

塩塚さんが描く歌詞は、そう言った曖昧で名前のつかない心の機微頭では駄目だと分かっているのに不意に湧いてくる混じり気の無い感情を、つぶさに書き綴っている。

自分のことばかり いつもいっぱいになるのは
多分仕方のないことで それもいいけれど
すこしくらいは 優しくなりたい

Step/若者たちへ

至る所にある整理のつかない心の引き出しを
綺麗に一編の物語へとしたためる。

だから彼女が描く歌詞たちを
他人事だとは思えなくなる。

1999/羊文学

また、塩塚さんが紡ぐ歌詞には、季節による温度感から情景を思い浮かばせるような表現が多い気がする。

彼女らの代表曲でもある、この「1999」という楽曲の舞台となるのは、世界が終わってしまうと言う噂が広がっていた世紀末のクリスマス。

世界が滅亡してしまうかもしれない年の暮れ、クリスマスの前日を過ごす「僕」は不安に駆られながらも、自分が住む街と、その街に住む愛した人々のことを想いながら、夜が明けるのを待っている。

幻想的な世界観の中にも、退廃的な雰囲気を感じさせるこの楽曲では、歌詞に散りばめられた言葉たちが、聴いている人の脳内に、この楽曲の舞台となる「世紀末のクリスマスイブ」の情景を鮮明に映し出させる。

街は光が溢れ 子供達の足音
カウントダウンがはじまった ほら ほら

1999/POWERS

「もうすぐ世界が終わってしまうかもしれない」と不安が仄かに漂う街と、それでも健気にクリスマスという祝祭を楽しもうとする子どもたちの対比が、透き通るような寒さと静けきった夜を色濃く映し出す。

聴いていると、本当にそう言った出来事があったんじゃないか、この物語が紡がれている場所がどこかにあるんじゃないか、そんな気にさせられるのだ。

決してリアルではないのに、想像が膨らんでいく。
「羊文学」の楽曲を聴いて、たくさん体感してきたこと。

絵日記/羊文学

先ほどとは打って変わって、夏の茹だるような暑さを連想させるのが、この「絵日記」という楽曲だ。

歪んだサウンドとスピード感のあるメロディ、
そして歌詞から感じるのは「焦燥感」「罪悪感」

どうして?と聞けていたら変わってたこと
沢山あったよなあ、そうだよなあ

絵日記/若者たちへ

後悔の一節から始まるこの楽曲でも、物語の本筋となるものはあまり見えず、先の分からないミステリーのような不気味さを漂わせている。只事ではないような、知りたくないけど知りたいような、そんな秘密が眠っているのではないか、と思案してしまう。

それでも、歌詞に描かれている「わたし」の張り詰めた緊張感や焦りの感情は、不思議と言葉の節々から伝わってくる。

信号が青に変わる
わたしたちいつまでも歩いていく
あの嘘は消してしまおう

絵日記/若者たちへ

特に、曲の終盤で怒涛のように吐き出される後悔の言葉は、一気に張り詰めていた空気を一変させ、何とも言えない余韻を曲に残していた。真実をはぐらかされた小説を読んだ後の気分に近い余韻。

さらに「アイスクリーム」「クーラーの風」「真っ黒な気持ち」など、夏の暑さを想起させるような言葉が歌詞には散りばめられており、グランジ感のあるサウンドも相まって、自然と心が汗ばんでくるのを感じられる。

青春の一幕のような爽やかな夏ではなく
延々と蝉の声が鳴り響くような、うんざりとする夏。

同じ夏でも全く異なる印象を与えることができる。
そして、はっきりとこの曲は、後者の情景の中で聴こえてくる。

これらの表現が合わさった上、「わたし」が悔いている過去の行動と消してしまいたい嘘が、暗い方向へと向かっていく結末を予感させていて、より聴いている者を曲の世界観に埋没させていく。

幻想的で綺麗な楽曲も数多くあれど、こう言ったダークで澱んだ世界観も作り出すことができる。

「羊文学」の持つ多彩な一面、
自分はそのどれにも惹き込まれてしまった。

最後に

季節を問わず、語り手を問わず、
彼女たちの楽曲からは、物語を紡ぐ音が聴こえてくる。

それは、決してフィクションではなく、自分事でもない、どこかの誰かが歩んでいるだろう物語な気が自分はしてならない。

まだ、聴いたことのない方は
是非ともそんな気持ちを体感して欲しい。

余談だけど
今年こそは「羊文学」のライブに行きたい。
まだ、生で演奏を聴いたことが無いから。

茹だるように暑い日か、凍えるように寒い日か。
どっちかが良いな。

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