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「チー牛」って言葉が死ぬほど嫌いだ

私は「チー牛」という言葉が憎い。
見ただけで苦しい。悲しくなる。

「チー牛(チーズ牛丼)」とは。

チーズ牛丼とは、「三色チーズ牛丼、特盛温玉付きを頼みそうな顔」をした「イケてない」人物を指すネットスラングである。

「チーズ牛丼」という食べ物の名前そのものが「イケてない」イメージを持つというのは、
「ピザ」が太っている人を罵る言葉になったこと
とよく似ているかもしれない。

しかし「チー牛」の悪質さを高めているのは、
そのイメージ画像が定着していることである。

どんな画像かは検索すればすぐ見つかるが、
内容としては、眼鏡をかけた若い男性が、
「すいません。三色チーズ牛丼の特盛りに温玉付きをお願いします。」
と話しているだけだ。本当にそれだけ。

そもそも、この画像自体は悪意を持って
作成されたものではないし。

この画像が出回るきっかけとなったのは、
某匿名掲示板にて、このような書き込みとともに
例の画像が無断転載で挿入されたためだ。

就労移行支援で面白かったのは利用者の若い男が皆同じ顔をしてたって事
ザ・隠キャって顔
眼鏡
黒髪
子どものような髪型
覇気のない抜けた顔
(悪い意味で)童顔
大人なのに中学生のようで気味悪い
10人いたら8人がそんな顔
人間顔で分かるんやなって

そんなこんなで「チー牛」は今も様々な場所で
(ほとんどインターネットだが)使用される。

書いていてだんだん辛くなってきた。

この言葉はあまりにも残酷で、鋭利すぎるのだ。

その理由を挙げていく。

一つ目、「優しい人」が悪く言われている。

「すいません。三色チーズ牛丼の特盛りに温玉付きをお願いします。」

「すいません」「お願いします」

彼の言葉からは、相手を思いやる気持ちが
強く感じ取れる。
「店員さんに横柄な態度を取る人はキライ!
これは男女問わずよく言われる言葉だが、
こんなに気遣いのできる青年が、なぜ「イケてない」代表のように扱われているのだろうか。

まあ、悪意のある人から見れば、
「自信がなくてオドオドヘコヘコしてるのが
気持ち悪い」
とでも言うかもしれないが。

店員さんに配慮しない人が「イケてる」のなら、
私は「イケてない」人間で構わない。

二つ目、込められた悪意が多すぎる。

「チー牛」。たった三文字だ。
画像を送るだけならもはや文字さえも必要ない。

しかしシンプルな悪口は、それを伝えるかどうか
躊躇する時間を与えない。
だから皆、何気なく送信してしまう。

しかし、気軽に投げたそれは凶器だ。

例えば「ばーか」。これも三文字だ。
これを言われた人は、
「君は頭が悪い」と罵られたことになる。
これに反論することは難しくない。

自分で「自分は頭が悪くない」と思うなら、
「そんなことないやい!こないだのテストの
点数、結構よかったもんねーだ!」
と言えばいいし、

もし「確かに、自分は頭が悪い」と思うなら、
「頭は悪いけど、でも絵が上手く描けるもん!」
と、秀でた所でそこを埋めてやればいい。

だが、「チー牛」の情報量は多すぎる。
やはり、その言葉とともに青年の画像が
付いて回っていることが要因だろう。

その画像を見て、流行に乗った人が
「チーズ牛丼顔の特徴」などと言って、
箇条書きでまた悪口を書く。

それを見た人が、「チー牛」と罵られれば、
例え罵った方が何も考えていなくても、
連ねられた悪口の数々を思い浮かべる
だろう。

そうなるともう手がつけられない。
どれだけ長所があっても、「チー牛」を
打ち消すには、どうしても足りない。
だから何も言い返せない。
「そうだとしても自分は素晴らしい人間なんだ」
と言えない。本当はそうであるはずなのに。

三つ目、中傷の内容が抽象的で、自分では
分からない相手の「雰囲気」を否定している。

これも「チー牛」に対して言い返すことが難しく
なる要因のひとつだ。

この言葉は、相手を「チーズ牛丼食って『そう』なやつ」と決めつけて罵る言葉だ。

食って「そう」「予想」であり、
自分で判断の及ばない客観的な領域である。

「自分は違う」と言えば、
「お前自身にそれが分かるかよ」と言われる。

「自分は人に『チーズ牛丼食ってそう』と
思われているのかもしれない・・・」

この考えを否定することは不可能だ。
なぜなら他人の頭は覗けないから。

だから「チー牛」は、回避不能の悪口なのだ。

この言葉で最もズタズタにされるのは、
できれば人を不快な気持ちにはさせたくない、と
考え、親切であろうとする優しい人間だ。

私はそれが悲しくて仕方がない。

四つ目、相手の個性を否定している。

「チー牛」「陰キャ」と似たようなニュアンス
で使えるため、大まかな意味も一緒であるように
思えるかもしれない。

しかし「チー牛」は「陰キャ」より遥かに強く、
相手の人格を否定する言葉であると思う。

「陰キャ」には救いがあった。
対義語である「陽キャ」と比べて、あっちは
人生勝ち組だなぁ、なんて嘆きつつも、
「でも陽キャってバカっぽいよな」
仲間内で皮肉って面子を保つことができた。
こっちにはこっちの楽しさがあると、
これも個性だ!大声でそう言えた(SNSで)。

対して「チー牛」は、
個性を徹底的に削ぎ落とす。

「10人いたら8人がそんな顔」

誰も褒めてくれない。褒める要素がない。
そんな風に扱われる。

何か意見を交わそうもんなら、
必死にマウントを取ろうとする奴らに
「ここまで全員チー牛」と雑にまとめられる。

お前は、他人にこんな風に見られているんだ。

お前はいつも人から気味悪がられているんだぞ。

「チー牛」によって突きつけられるのは、
こういった逃げ場の無い悪意だ。

どんな人間でも、
「誰かとは違う自分でありたい」と願っている。

「チー牛」はその願いを殺す、
どうしようもなく無慈悲な言葉なのだ。

今回この記事を書くにあたり、インターネットで
「チー牛」について解説しているサイトを
いくつか見た。その中には、

「チー牛」は、とりあえず相手を煽りたい時に
言っておけば、簡単にマウントを取れる便利な
言葉である。

と説明されている記事もあった。

そりゃあそうだ、
「チー牛」でマウントを取るのは簡単だ。
だってシンプルで、否定もできない、
しかもめちゃくちゃダメージを与えられる。

完全にチート魔法である。

だけど気を付けて。

その魔法は即死魔法だから。

そして、言った悪口を一番そばで聞いているのは
他でもないあなた自身だから。

うっかり自分も死んじゃうかも、ね。


・・・書きすぎましたね。
でも大満足です。書きたいことを書けました。

あ、私個人として、「チー牛」という言葉を
嫌っている一番の大きな理由は、
「私の好きなタイプを罵ってるから」です。

てか、「三色チーズ牛丼」じゃなくて
「とろ〜り3種のチーズ牛丼」だから!!
三色じゃないよ。だいたい黄色だよ。
そこの所も詰めが甘いよね。
ね、そんな奴らの言うことなんか、
真に受けんでも大丈夫ですよ。

お腹が空いてきたので、ここらで。

ここまで記事を見ていただいて、
本当にありがとうございました。

今日はあったかくしてお休みくださいね。

それではまた。

わらさだくりや

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