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私たちは回遊している④ 同じ船に乗る


©大洞博靖

要項、名簿、日程表、ハラスメントに関する概略。舞台版埼玉回遊の顔合わせの日、私は配布された紙に隈無く目を通していた。

ハラスメントに関する概略はこれ以上のものはないだろうというような明瞭さでまとめられており、書面を読み終えた私は一頻りの安心感を得ると同時に、心の中にある緩みがちな紐を十分に引き締めていた。

演者のひとりひとりの名前も頭に入れておくべきだろう。掻い摘んだプロフィールも調べておくに越したことはなかった。

各人の輝かしい紹介文に目を通していたところ、チェンバロ奏者の廣澤麻美さんのプロフィールが目に留まった。

東京藝術大学音楽学部卒業。ヴュルツブルク音楽大学に留学。

ドイツのどこかにある大学の名前を眺めながら、10年程前に占い師から言われたあることを思い出していた。

「あなたは前世が沢山あり、その中のひとつがドイツの修道士なんですよ」

驚くべきことにこの占い師の女性は、目の前にいる相手の前世が分かるのだという。

占い師には伝えていなかったが、子供の頃にテレビで見かけたシュヴァルツヴァルトの風景を忘れられずにいた私は、いつか必ずドイツの修道院跡を巡りたいと思っていた。

そしてその後も、不思議なことに人生の節目になるとまったく別の場所でまったく別の占い師から前世について教えを得る機会があり、どの占い師も、それぞれ接点がないというのに、言っていることの内容はすべて共通していたのである。

古代 巫女
1200〜1300年頃 茨城の辺りに勢力を振るっていた家の侍、三男(7つ前の前世)
1400年代 くノ一(諜報部隊)
1500年代 ドイツの修道士
1600年代 不明
1700年代 花街に売られ茶屋を営む女性
1800年代 小料理屋と水商売の間のようなお店を経営する女性
1900年代 思想犯、記者?(中国)

近藤監督は勿論、他の出演者もこの一連の情報を知らない。

だが舞台版埼玉回遊では、ライン川のようなS字の水辺が光るといった美しい演出があり、バッハが奏でられることも多く、随所随所に"ドイツっぽさ"が漂っていたのだ。

近藤監督は千穐楽の日に、子供の頃からなぜか度々見るという不思議な夢について語ってくれたのだが、あのS字の川は、近藤監督が夢でよく見る風景を具現化したものなのだという。

私は運命を感じたいがために、夢物語として、こんなことを妄想した。

埼玉回遊のメンバーは実はそれぞれに前世があり、中世ドイツにいた頃に、一緒にお祭りをしたり、何か出し物を考えたりして、楽しんでいたのではないかと。

これはあくまでも、私個人の妄想に過ぎなかった。

それなのに、埼玉回遊を通じて出会った神秘的なある女性――「集中すれば前世が見える」という女性に思い切ってこの妄想を語り、「どんな前世が見えますか?」「埼玉回遊のメンバーは前世で何か繋がりがあるんでしょうか?」と尋ねたところ、非常に意外な言葉が返ってきたのである。

「北城さんの前世はくノ一」

「北城さんは、室町時代にくノ一のようなことをなさっていたんですね。諜報的な動きができる女性で、関所を潜らせるのが得意だった。

その頃は、佐渡ヶ島に何か、宝物とでもいうんでしょうか。大事なものを運んでいたんですね。埼玉回遊のメンバーは、その時に同じ船に乗っていた仲間。それも悪いことをしていた訳ではなく、慈善事業のような、世の中にとって良いことをみんなで協力しておこなっていた。だから初対面なのに信頼関係があり、舞台もうまくいったんです」

当時は知らなかったが、佐竹氏の家臣名簿の情報や、父方の祖父の除籍謄本、有識者の口伝などをもとに調べてみたところ、北城という名字は忍びにルーツがあるかもしれない名字なのであった。


みんなで佐渡ヶ島に何を運んでいたのか?
それは物なのか?
人なのか?

室町時代ということは、もしかして――。私の妄想は加速した。

例えば、こんな夢物語はどうだろうか。
さいたま芸術劇場の二代目芸術監督、故蜷川幸雄氏の前世は世阿弥である。

足利義教に疎まれた世阿弥に何か救いを与えられないかと考えた人間が結集し、情報を募ったところ、佐渡ヶ島という素晴らしい島があることを知る。

佐渡ヶ島はまるで天然の舞台装置のような島であり、大自然を借景にできるだけでなく、音響設備として機能する洞窟もあった。

島民は育て方しだいで演者になる可能性もあった。

さいたま芸術劇場の取り組みのひとつ――蜷川幸雄氏の取り組みのひとつがゴールドシアター(55歳以上限定のプロ劇団)であり、世阿弥は佐渡ヶ島で『金島書』を書いている。

「ああ、面白い。面白いなあ」

この一連のやり取りは飲み会の片隅で交わされたものであり、近藤監督にお聞かせしたことはないのだが、さいたま芸術劇場の新しい企画の名前はカンパニー・グランデ。

年齢、性別、国籍、障がいの有無、プロ、アマなどの一切を問わない表現集団であり、大きな船のようなカンパニー(仲間という関係性)を目指すのだという。



あの人も、この人も。
同じ船に乗っていたことがあるのかもしれない、と思うと、歯痒いような楽しさが心に芽生える。

素晴らしい人と出逢っても、そのほとんどはどこかでまた会えるという保証もなく、生き別れになるとしてもそうとは知らずに生きてゆく。

袖振り合うも多生の縁。舞台裏で擦れ違うだけの間柄にも意味があるのだと。

そう思った方が、人生に彩りが生まれそうじゃないかと。


この世界が途方もなく広いということくらい知っているが、また巡り会うこともあるのだろうと、そう思いたいのである。
夢見ることを忘れずに泳ぎ続けたい。
きっとこれからも、いつでも、私たちは――。





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