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自称公園の守り神(ウサギノヴィッチ)

 地上に首を出していることがこんなに苦痛だとは思わなかった。いつからだろうか。こんなことになってしまったのは。
 コロナ禍に入ってから家から一歩もでていないのに、私は近所の公園で首だけさらけ出している。その上には満開の桜が咲いていた。時々、花びらを散らすような強い風が吹いた。花見には最高だが、今の私は最低だ。
 猫の鳴き声がする。なるべく近寄ってほしくない。なにをされるかわからないからだ。
 最近、まだ野良猫は見るが、野良犬は見なくなったなぁ。どうしてしまったんだろうか。野良猫駆除は時間がかかるのか、繁殖するペースが早いのか、犬のほうが人間に従順だから、飼いやすくて、野良犬がいなくなってしまったのか。どれだろうか。どれも正解じゃないかもしれない
 今度はカラスの鳴き声がする。こっちのほうがやっかいだ。頭が良くて駆除できないし、一度ターゲットを決めたら逃さない。厄介な相手だ。そういうのには相手にされたくない。
 コロナのせいで人通りが少ないため、首だけの私に皆気づかいないでいる。公園のそばに止まっている車は、きっと営業している人が昼寝をしているのだろう。私はそれを何回も見てきた。
 はて、私はなにをしていた人なのだろうか。家族はいただろうか。結婚していただろうか。脳みそはあるはずなのに記憶が欠けている。
 桜の花びらが一枚私の目の前はゆっくり左右に揺れながら落ちてきた。公園の滑り台やジャングルなどには黒と黄色の縞のテープが巻かれてたいた。砂場には上からブルーシートが張られていた。バネ式になっていて乗ると前後左右に揺れる乗り物とかは、テープが貼られることなくそのままになっていた。みな、どこか無機物の塊と化していて、用途をなしていない。
 ついこの前までは遊んでいた子供たちも今は家の中でゲームをしたり、タブレットで動画を見たりしているのだろう。
 公園は「時が止まった」ようだった。
 その中で、私は一人、首だけで取り残されている。私の胴体はどうなっているのだろうか。首からしたの感覚がないような気がするからないのかもしれない。お腹も空かないし、便意も尿意も催さない。そして、記憶は失われている。
 突然の強風が吹き、桜の枝を揺らした。ざわっとまるで野球の観客のような歓声の音がすると同時に桜の花びらが何枚も散りだした。ゆっくり時間をかけて散るのもあれば、我先に落ちんとするものもあった。
 私の周りに段々と散った花びらが地面にまだら模様になっていった。きっと、私の頭の上にも花びらは乗っているだろう。私は地面と同化してみえるのかもしれない。
 私は公園の主なのかもしれない。この公園を守るために、存在する首。首だけだと恐ろしい。首だけだからこそ、だれも近づけないし近づかない。このコロナ禍中で子供を危険に晒してはいけないそういうことだ。それが私のアイデンティティだ。神が示した道だ。
 私の頬と額は熱を感じる。これはコロナではない。興奮をしているのだ。
 桜の花吹雪が舞う中、顔中赤らめた私が混じっている。
──あっ、なんかここにボールあるぜ、蹴ってみようぜ。
 私の左耳からこめかみのあたりを激痛が走る。そのときに若干顔が変形していたような気がする。私は遠くに飛んでいく。頭は人間の体重の十パーセントの重さがあるというが、私にはそんなことは関係なくて柵を越えて、公園の裏にある墓地のブロック塀に当たった。
 私の最後に見た景色は、近くを通った野良犬が私に小便をかけたときに見せたペニスだった。
 野良犬がまだいることを実感できてある種の満足感があった。

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