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The Libra:薄氷の上の平和(アルメニア・アゼルバイジャン)

▼ポリティーク短信

 本日9月27日の午後,アルメニア政府のニコル・パシニャン(Nikol Pashinyan)首相は,宣戦布告を発表し,併せて同国内では戒厳令と総合員令を発令した.アルメニア政府によれば,これはアゼルバイジャン軍による両国間の紛争地域(ナゴルノ・カラバフ)への爆撃を受けたものだという.ただ,両国とも互いに相手が先制攻撃をしてきたと主張している.
 今回の出来事についての詳細は,以下の記事を参照してほしい.

◇事態とその背景

◇現在の状況

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◇状況の整理

 今回,問題となっているナゴルノ・カラバフ(Nagorno-Karabakh)は,住民としてはアルメニア系住民が多数を占めていた.しかし,同地域はソ連時代にアゼルバイジャンに編入されていたため,両国間では約30年間にわたり対立が続いていた.
 ソ連末期の1990年代初頭,大規模な紛争の結果として,親アルメニアの反政府勢力が同地域を支配した.1991年,ナゴルノ・カラバフは独立を宣言したものの,国際的には独立国家として承認されていない.国際法の下では,ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンに属していると見做されている.
 1994年以来,同地域は停戦状態(OSCEミンスク・グループ主導)にあったが,何度もその状態は破られてきた.今年に入ってからも,7月に激しい戦闘が展開されたが,これはナゴルノ・カラバフから離れた地域で行われた.

OSCEミンスク・グループとは?
 米国,ロシア,フランスが共同議長を務めるグループであり,1991年のナゴルノ・カラバフ紛争勃発に対し,1994年に停戦合意を仲介した.
外務省:https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/page4_001920.html

◇ファクター・プレイヤー(追記:9月28日)

・メインファクター
アルメニア(キリスト教・非カルケドン派アルメニア教会):アゼルバイジャンに宣戦布告し,国内では戒厳令と総動員令を発令.また,国際社会に対しトルコが紛争に介入するのを思いとどまらせるよう求めている.
アゼルバイジャン(イスラム教シーア派):国際法においてナゴルノ・カラバフを統治している国.今回,ナゴルノ・カラバフを攻撃したとされる.
ナゴルノ・カラバフ自治州:親アルメニアの独立国家(国際的には不承認)

・他のプレイヤー
ロシア(正教)
 
両国に影響力を持つため,ロシア外務省は両国に停戦を要求している.かつては,OSCEミンスク・グループの共同議長の一員として,ナゴルノ・カラバフの停戦を仲介した.
アルメニア:軍事的には,ロシア主導の集団安全保障条約機構(CSTO)や共同CIS防空システムに参加している.経済的にも,ユーラシア経済連合(EAEU)に加盟している.アルメニア国内にギリシャ正教徒もいることから,宗教的にも近い.いわゆる,アルメニアの後ろ盾.
アゼルバイジャン:アゼルバイジャンが元ソ連圏であり,ロシアがソ連の後継であることから,影響力を持つ.同国にも武器を輸出しており,貿易や経済協力は増加傾向にある.貿易面では,アゼルバイジャンの主要輸入国にロシアがいる.
トルコ:シリア内戦(トルコと,ロシア支援のアサド政権)など,ロシアの影響力拡大政策と対立していたものの,近年は比較的親密な関係.
イラン:イラン核合意(JCPOA,2015)や,対イラン制裁措置を課している米国との関係上,友好的な関係.

トルコ(イスラム教)
 ロシアやEU,独仏と異なり,アゼルバイジャンへの支援を表明している.また,OSCEミンスク・グループの調停委員の怠慢を非難した.
アゼルバイジャン:兄弟国であり,友好国.積極的に兵器を輸出している.今回は,演習時に使った兵器を同国に残す,シリア人傭兵がトルコ経由でアゼルバイジャンに入ったなど,様々な疑惑がある(これらはもう少し検証する必要があるが).
アルメニア:オスマン帝国時代のアルメニア人虐殺など,歴史的な関係からして険悪.今回についても,ロシアのラブロフ外相との電話会談の中で,アルメニアの侵略“のみ”を非難している.
ロシア:上述のように以前は対立していたものの,最近は親密な関係.ただし,ロシアの影響力拡大には否定的.

イラン:アルメニア・アゼルバイジャン両国と国境を接しており,地理的に見ても直接的な影響がある.トルコとの関係は良くない一方,ロシアとは親しい.今回の戦争については,ザリーフ外相が当事者両国に対して停戦を呼びかけている.
欧州連合(EU):直接的な影響力はなし.ミシェル欧州理事会議長は,両国に対して即時停戦を要求した.
ドイツ・フランス:直接的な影響力はなし.フランス外務省およびマース独外相は懸念を表明し,戦闘の即時終了を要請した.

◇備忘録

 アルメニアのパシニャン首相は「聖なる祖国」を守る準備をするよう,Facebook上で国民に呼びかけた.戒厳令総動員令などの単語について,Twitter上では「21世紀のその単語を見ることになるとは」といったツイートもみられた.
 たしかに,個人的にもその感想には同意したい.ただ,21世紀はそのようなものと無縁の高尚な時代なのだろうか――おそらく違う.
 前世紀は,二度のわたる悲惨な大戦と,それに続く冷戦という緊張状態があった.そして,20世紀から21世紀への以降に際しては,対共産主義から対テロの時代への変遷を思わせるような出来事もあった.
 21世紀はまだ5分の1を経たに過ぎないが,いちおう大国間の戦争は起きていない.ただ,「戒厳令」や「総動員令」といった単語は,前世紀に置いてきたものでは決してないだろう.

 我々はただ,薄氷の上での平和を享受しているだけに過ぎず,きっかけさえあれば,容易に戦争へと発展し得る危険性を内包しているのである.平和は何もせずとも“在る”ものではなく,それを作り出し,維持していかなければならない繊細なものだ.

 アルメニアとアゼルバイジャンの戦争がどのように推移していくかは分からない(少なくとも,戦況の推移については,軍事に明るくないため意見できるものではない).ロシアやトルコ,その他の大国の仲介によって,ふたたび停戦状態に戻る可能性も十分にある.だが,ナショナリズムと民族自決の奔流が前世紀に猛威をふるい,それが悲惨な大戦を引き起こしたことを思えば,安堵できるものではないだろう.根本的解決がなされるとは考えがたい.
 前世紀同様,21世紀もまた,ナショナリズムポピュリズム民族自決独立闘争をめぐる大規模な潮流に飲み込まれるならば,我々は前世紀から何も学ばなかったことになる.後世からは「恥ずべき世代」あるいは「恥ずべき時代」と評価されるかもしれない.

 アルメニアとアゼルバイジャンの戦争については,日本人(かつ一般市民)である私から言えることはなにもない.少なくとも,直接的には,これは当事者たちの問題であって,外部が主張できることは少ないだろう.
 それだから,私はむしろ「平和とは何か」ということについて,改めて真摯に考えていきたい.平和は何も,政治家たちの間だけで作られるものではないからだ.平和という状態を維持するために,市民にできることは何か? という問いについて考えることは,決して無駄ではないだろう――薄氷の上の平和は容易に沈みうるのだから.

表紙画像:Dariusz SankowskiによるPixabayからの画像

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