久世物語⑦【転換期】商物分離体制への転換
2024年、当社は創業90周年を迎えます。
語呂合わせで『クゼ』と、まさに久世の年。
90年という長い歴史の中には創業者や諸先輩の苦労や血の滲むような努力があります。
どのような思いが受け継がれてきたのか、私たちがどんな会社なのか。
「久世物語」をお届けいたします。
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【第7回】商物分離体制への転換
メニュー提案の重要性
1970年代以降、外食は急速に日常化する。ハレの日にいく高根の花だったレストランは、リーズナブルで家族全員が楽しめるファミリーレストランに主役の座を譲った。
さらに、家族構成や食事スタイルにも変化が訪れ、コンビニエンスストアや持ち帰り弁当などの新業態が登場、大手外食チェーン間では熾烈な競争が繰り広げられた。当然ながら、業務用卸にもこれまでとは違った役割が求められるようになる。
ハンバーグを例にとると、これまではシェフが肉や玉ねぎ、香辛料、卵を別々に仕入れて、自分たちで加工していた。卸は『生玉ねぎは高いから、乾燥ものにしたらどうですか』など、素材ごとの情報や相場を知り、お店に合ったものを提供すればよかった。
しかし、外食チェーンの台頭でハンバーグそのもの、つまり加工品を提供するようになると、素材ごとの情報より、むしろ『このお店の客層ならこんな味付けが合います』『盛り付けるとき、こんな付け合せはどうですか』といったメニュー提案力が必要とされるようになった。
素材の相場を把握し、プラスαの価値をつけて加工することが成長のカギとなっていく。
提案型営業を強化
デニーズの取引をきっかけに、メニュー提案型の営業を推し進めていた久世は、顧客ごとのメニューに合わせた品ぞろえの強化を図っていた。
商品ラインナップが急激に増える中、営業が配達を兼ねるルートセールス型の形態では、刻々と変化する顧客ニーズに対応しきれなくなっていた。
膨大な商品を配達しながらの営業では、お客さまに会える頻度は高くても実のある情報提供は難しい。
これからますます外食店の競争が激化する中、お客様から卸に対して『提案が欲しい』と言われる時代がすぐに来る。
繁盛店情報の提供やメニュー提案、新商品の情報など営業担当者が本来の役割を発揮できる新しい環境を作らなければならない。
と健吉は感じていた。
まずは物流の拠点として1974(昭和49)年に本社の敷地内に配送センターを開設。さらに増え続ける商品で手狭となり、1979(昭和54)年には戸田配送センターが開設された。
また、1976(昭和51)年に営業活動の付加価値向上の一環として、顧客向けに商品の情報提供や提案を行う第一回商品研究会が開催され、本社には提案営業を強化する目的で初代のテストキッチンがオープンした。
こうして、配送と提案営業を別々に機能させる商物分離体制へと、久世は大きく舵を切ることとなった。
キスコフーズ設立
外食需要が拡大する中、諸物価の高騰や人手不足もあり、厨房のコックたちは時間や手間のかかるブイヨンやデミグラスソース作りに苦労していた。
とはいえ、当時は野菜や肉をまるごと仕入れるスタイルだったため、野菜くずや鶏ガラ、牛コツなどタダ同然で手に入る材料で作れるものにわざわざ金を払う発想はなかったし、そもそもブイヨンやデミグラスソースづくりはコックの最も大切な仕事という観念があった。
一方で、1970年代後半には大手食品メーカーがこぞって業務用のデミグラスソースやスープを開発して販売を増やしていったが、コックを満足させることはできなかった。
しかし、好景気によって人件費が上昇すると、厨房の人材はますます足りなくなる。手間を減らすためにカットされた野菜を店で調理するようになり、ダシの材料も手に入りにくくなっていた。
こうした現状を理解し、外食産業に新たな提案を行ったのが久世だった。
お客さまが必要とするものはどんなことがあっても調達し、お届けする。お客さま本位の精神がここでも発揮された。
1979(昭和54)年、前年に副社長に就任した健吉は一念発起し、「あなたのお店のセントラルキッチン」というキャッチフレーズで、天然の素材だけを使った高品質のブイヨンやフォンドヴォーを開発・販売する会社キスコフーズを立ち上げる。
翌年には、東京や首都圏の大市場に近い静岡県の清水市農協河内工場を借りて清水工場が完成し、操業が開始された。
かつてケチャップやウスターソースの製造を行っていた久世が、再びメーカーとしての事業を開始したのである。
創業50周年を迎え、さらなる躍進へ
1970年代から80年代にかけて、大きく業態を転換させた久世は、まさに躍進という言葉にふさわしい成長を遂げている。
売上は対前年の2割上昇は当たり前、神奈川営業所を開設した1977(昭和52)年以降数年間は3割の上昇が続いた。主要な取引先も順調に店舗数を伸ばしていた時期である。
「すべてはお客さまのため」という創業時からの福松の精神は、息子である健吉にも確実に受け継がれ、会社の屋台骨を支えていた。
1984(昭和59)年、久世は創立50周年を迎えた。
東京プリンスホテルを貸しきり、多くのお客様や仕入先にも楽しんでもらえるよう壮大な式典が催された。芸能人や著名人を呼び、海外旅行や自転車が当たる抽選会も行われたという。
福松、健吉を始め、社員の胸には感謝の念が宿っていた。
こうして、フルラインホールセラーとしてのスタンダードを確立した久世は、さらなる時代の階段を駆け上がっていくのである。
(転換期・完)