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忘れられない食事Vol.7 女たちの祝杯

年が明けてしばらくして、26歳になった。
平日だったこともあり久しぶりにケーキを食べた他は普段と変わらなかったが、周りを見渡すと、この一年で母親になった友人が何人か居た。

私は子どもがいないので、自分の母親のことを考えてみる。
世の中には色々な親子がいるが、私と母親の関係は少し特殊だと思う。
親子というよりは、戦友のような。

今回はそんな母親にまつわる、忘れられない食事を振り返る。
古い社宅で食べた冷凍食品と、大阪市内某所のスターバックスで飲んだキャラメルマキアートである。

前者は2000一桁年ごろの話である。私が小学校に上がる少し前から母親が働き始めた。
今でこそ共働き前提で婚活をする男性も多いと聞くが、当時は周りの友人の母親はほとんどが専業主婦だった。
父親は幼少期から定期的に単身赴任をしていたので、
小学生の頃は学童に行って、バスを乗り継いて英会話に行って、妹を保育園に迎えに行って、二人で食事を済ませて、母親の帰宅を待った。

別の記事でも書いたとおり、火や刃物を使うことはしばらく許されなかったので、食事の準備が間に合わなかった時は冷凍庫を漁って、お弁当用のハンバーグやグラタン、ピラフをつついた。
少し甘いホワイトソースや加熱しすぎて小さくなったエビを口に運びながら、さみしい気持ちと、暖かい食事のかけがえのなさを噛み締めた。

後者は2013年、高校生の頃の話である。
仕事終わりの母親としばしば予定を合わせて駅ビルの最上階のレストランで食事をした。
母親を待つ間、スターバックスでソース多めのキャラメルマキアートを飲みながら大量に出される課題と向き合うのがルーティンだった。今思えば砂糖の塊だが、当時は麦茶のようなものだった。
大きいマカロンやシフォンケーキも注文して、まるっと胃に収めた。
市内の夜景と妙齢の男女を横目に、薄暗い店内でイタリア料理やエスニック料理を食べる時、母親は私が今まさに夫や友人にするような仕事の話を沢山してくれた。
私も制服を着たまま、等身大で意見を伝えた。熱いディスカッションになったこともあった。

ふり返ると、母親が働いていることを肯定的に受け止められるようになり「お互いがお互いの持ち場で頑張る」という気持ちを明確に持つようになったのはこの頃からだった。
それまでは「守ってほしい」という気持ちが多少なりともあり、疲労困憊で帰宅した母親に「なんで早く帰ってこおへんの」と泣きながら詰め寄ったことも何度かあった。
価値観が変わるような明確な出来事があったわけではない。単純に「一人の大人として扱われることが居心地の良い年齢」に達したのだと思う。

以上が母親との思い出である。
母親は一貫して私に対してフラットであり、必要以上の干渉はしなかった。
本人の方針もあるかと思うが、正直そうするほかなかった面も大きいと思う。ただそのお陰で「一人で試行錯誤する経験」を沢山積むことができた。
その経験の多くは今の仕事や生き方に存分に活きているので、結果的に良かったと思う。

就職を機に家を出たので、母と会うのは年1〜2回になった。
もう制服は着ていないし、もっぱらLINEのやりとりだが、仕事の話だけでなく日々の気づきをシェアして議論するのはあの頃と変わらない。

周りの人の話を聞いていると、「子ども扱い」をいつまで経ってもやめられない親が多いように思う。
一時的に悲しい思いをさせてしまうかもしれないけれど、我が子を「小さな大人」として扱うことが最終的に親子関係に良い影響を与えると胸を張って言える。

私の経験談が、将来共働きで子どもを育てようと考えている人、あるいは今まさに小一の壁などで悩んでいる人を勇気づけられますように。


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