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映画「生きて、生きて、生きろ。」

 タイトルに原発という文字はない。しかし、これは原発に関する映画だ。しかも、これまでの原発映画の多くとは趣をやや異にする作品である。
 2014年6月12日(水)、映画「生きて、生きて、生きろ。」(2024年/制作・監督・撮影:島田陽磨/製作・配給:日本電波ニュース社)を東京・中野の「ポレポレ東中野」で観た。
 精神科医・中澤正夫氏はパンフレットに寄せたコメントで次のように語っているー「この映画を観たひとは、誰もが思うだろう。震災による「こころの被害」は、叫ばれているにしては良くわかっていません。震災がどれだけ心を傷つけるか、その回復がどれだけ困難か・・・ましてや「どのように癒されてゆくのか?」この映画はそこへ迫ったドキュメントです」。
 そう、2011年3月11日に起こった東日本大震災とそれに続いた東京電力福島第一原発事故。それによって少なからぬ住民たちは心をやられた。遅発性PTSD、うつ、自死、児童虐待などなど。
 この映画は、喪失感や絶望に打ちのめされながらも日々を生きようとする人々と、それを支える医療従事者たちのドキュメントである。


 それと同時にこの映画はより広いテーマをも照射している。認定NPO法人Dialogue for People副代表の安田菜津紀氏のコメントはこうだー「「戦争遂行のため」「核は安全だ」「もう被災地は復興した」という巨大な力の文脈から、振り落とされてきた無数の声。やがてそれは、「いつまで下を向いているんだ」という自己責任論に回収されていく」。
 「こうして「なかったこと」にされてきた痛みにそっと耳を傾ける、社会の「聴診器」のような映画だ」。
 映画の途中から沖縄が登場する。映画に登場する精神科医・蟻塚亮二氏が沖縄で診療していたことがあり、今も毎月通っていることもある。だが、それ以上に沖縄と福島の「共通項」が語られてゆく。
 沖縄には基地が押し付けられた。福島には原発が押し付けられた。貧しさに付け込まれ札束で頬をぶたれるかのようにして。しかし、沖縄と福島にはしわ寄せがくるし、トカゲの尻尾切りのように切り捨てられる。
 沖縄戦が終わってから、沖縄は米軍そして米軍と日本本土のいいように基地を押し付けられ、沖縄には物事を決める権限は与えられず、ひたすら中央が中央のために決めたことに力づくで従わされてきた。
 一方、明治150年の東北の貧しさ。そして今日、中央の発展のために資源と労働力を供給する福島。原発についていえば、東電の植民地福島。
 そういう気味が悪いほどに浮かび上がってくる沖縄と福島の共通項が語られることで、唐突に福島の被災者たちの精神の病が語られている所に突然沖縄の問題が入って来ることが理解できるようになっている。


 蟻塚医師と患者たちとのやり取り、相馬広域こころのケアセンターなごみの看護師・米倉一磨氏と患者たちの心の交流などがきめ細かく描かれてゆく。3.11によって人生を狂わされた人々。
 タイトルに原発という文字はない。しかし、福島の住民たちが生きて、生きて、生きようとしている、その姿が描かれる。そして困難に直面している患者たちに対する「生きろ!」というメッセージが静かに底に流れている。


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