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ビートルズの旅(インド編)⑰

 ビートルズを共通項とした旅「藤本国彦と行くビートルズの旅(インド編)」。いよいよ最終盤となったが、藤本さんと井上ジェイさんに導かれての有意義な旅になっている。参加してよかった。
 インドは行って大好きになる人、大嫌いになる人に分かれるといわれる。私は幸いなことに前者のようだ、いまのところ。
 南アジアといわれているわけだからではないが、アジアを感じる。それは東南アジアの国々と通じる人の濃さと道路の混雑、無秩序の中のルールといったところだろうか。やはり、欧米とは違うと感じる。
 とにかく人が多いのと同時に広大な国だと分かる。

人が多く土地が広大
 デリーからリシケシュまでバスで5時間以上かかるし、ジャイプールからアグラまでもそうだ。バスの高速道路での時速制限は80キロまで。それ以上出せないようにセンサーで管理されているのだという。
 インドの地域移動と比べてみて、日本で5時間といえばどこからどこまで行けるのか?考えてみれば、インドの広さが分かってもらえるだろう。
 インドは農業国だ。もちろん、ITや工学で優れた国でもある。米国などで学ぶインド人は多い。日本でもそうだ。そして日本の場合にはカレー屋などを営んでいるインドからの人々もかなりの数いる。
 インドは自給自足なのだろう。これだけの土地があるのだから。そのうえ贅沢をしていない。基本、野菜中心としたカレー食だ。もちろんファーストフードなどもある。しかし、基本はそこにはない。
 これだけ広大な土地があって人の数も多いのだから、世界中からハゲタカたちが狙っているのではないかと、余計なお世話ながら考える。

インドの資本主義との親和性は?
 だが、インドという国は資本主義と本来的には親和性がそれほど強くないように思える。今や高い経済成長率を誇り、いわゆるグローバルサウスといわれるグループのリーダーであるインドだが、単に開発重視で突っ走るというようなマインドはないように思える。
 それはおそらく歴史や宗教に裏付けられている哲学があるからだろう。今も大都市の街中にはネオンが輝く。しかし、インド中の都市がそうなるとは思えない。また土地がすべて開発されて、家なり店なり工場なりになることもなさそうだし、あえてしないだろう。たとえ儲かるとしてもだ。自然とともに生きる哲学が通底している国だからそうなのではないかと感じる。
 単に「開発のための開発」を四六時中考えて、「カネさえ稼げれば何でもOK」的な今の日本のようにはならないだろう。インド人は賢いから。
 もちろん今なお続いているカースト制度などによる貧富の格差の問題はある。そう、宗教や哲学が説く理想に現実が沿わない現実が残っている。それを叡知でもってどのようにして克服していくのだろうか。注目したい。

先見の明があったビートルズ
 さて、ビートルズがインドを訪れてから半世紀以上経つ。彼らが学んだ瞑想は、今や先進国ではビジネスマンたちに人気だし、アーユルヴェーダなどは西洋医学へのアンチテーゼとして世界で広がりを見せているし、カレーにも配合されるスパイスの健康効果が分析されている。
 ビートルズの先見の明を想う。そう、彼ら自身、自分の心の叫びを聞いて救いを求めてインドへと旅立った。おカネは十二分に儲けて来た、モノは何でも買える、女にも不自由しないーー物質的な満足は十分得られていた。しかし夢に見ていた暮らしをしていても、心で満足していたのか?
 答えはノーだった。自分たちのまわりがモノで満たされれば満たされるほど、逆に心にぽっかりと空いた空洞が拡大していったのではないか。それに気づいていたジョージをはじめとする4人だったし、パートナーたちもそうだった。特にジョージの妻パティがそうだった。
 ビートルズは初期には男女の初々しい恋を歌った。だが、ドラッグ経験が多分大きな要因だろうが、色恋の歌に留まらない楽曲テーマにも手を出していく。ジョンをはじめとして内面を歌おうとしてゆく。

心の時代のBGM
 その際、インド哲学を特に学んだのがジョージだった。
 1965年にインド音楽と出会い、その後もシタールを勉強、ビートルズの世界にインド音楽を取り入れる。ジョンもインドなどの東洋哲学に興味津々だったようだ。それはヨーコさんと直接関係ない頃から。「チベット死者の書」からインスピレーションを得て曲を書いたりしていたわけだから。
 心を歌うビートルズがより鮮明になっていったのと彼らのインドとの出会いはかなりの部分オーバーラップしていたのではないか。
 心の時代と今、言われている。そんな飽食の時代に心あるいは魂のことをもっと気にかけて暮らすためのBGMにはやはりビートルズということなのだろう。そう今も昔も変わらずにーーNow and Then。
 
 

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