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原発避難者映画「決断」

 私が初めて原発関連取材をしたのは入社2年目の1988年のことだった。チェルノブイリ事故から2年経って、日本全国で草の根の反原発運動が広がりを見せていたのを取材したのだ。
 活動の中心は子どもを持つ母親たちだった。


 私は週刊「英文日経」の記者をしていた。
 日経新聞社という「看板」があったためだろう、通産省、電気事業連合会やIEAE関係者などの取材はスムーズだった。
 もちろん反原発運動を手がける原子力情報資料室や活動をしている母親たち、そして評論家の内橋克人さんに話を聞いた。
 なぜ「匠の時代」で有名になっていた内橋さんだったのかといえば、内橋さんは日経の二年生研修の講師に招かれて講義を行い、その際に頂いた本が「原発からの警鐘」(講談社文庫)だったからだ。


 その後、原発問題は常に頭の片隅にはあったものの継続的に追いかけるということはなかった。

クリーンエネルギーなのか?
 次に問題意識が蘇ったのは97年に京都で開かれた国連温暖化防止会議でのことだった。原発が温暖化を招く二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーだという言説が声高に言われていた。
 私は思った。仮にCO2排出問題はないとしても、一旦事故が起きたら大惨事になりかねないし、放射能汚染はどうなのだろうかと。
 そして2011年3月11日、東京電力福島第一原発事故が起こった。
 当時、私は共同通信に移っていたが、取材部門ではなかった。
 そして2024年元旦、能登半島地震が起きた。まず思ったのは原発は大丈夫なのだろうかということだった。
 至急、専門家らに連絡を取り、記事をまとめた。
 昔取った杵柄であるが、記事のビュー数は驚くべき数字だった。
 2024年4月17日(水)、原発事故による避難者のその後を証言を中心に描いた映画「決断」(我孫子亘監督)を観た。
 やはり多くの人の懸念は子どもたちの被ばくである。
 だから家族は多くの困難があろうとも避難する。
 それによって離婚してしまった夫婦もいる。

一番NGな話題は子どもの甲状腺被ばく
 そう、子どもたちの健康問題は原発推進派の人たちが一番触れてほしくない話題なのである。広告大手電通はメディアに対して福島の報道をする時に一番NGなのは子どもの甲状腺被ばくだと指南しているという。
 確かに大手メディアでこの問題が取り上げられることはあまりない。しかし、福島県では300人余りの子どもが甲状腺がんを患っているという。
 そして映画で響いてきた言葉の一つは「復興だとか絆だとか故郷だとかいう言葉で原発問題を正面から捉えずに矮小化している」ということだった。要するにきれいごとにしたいという思惑があるのかもしれない。
 前向きなのはいいというかもしれない。でも真実を隠ぺいして明るくしても一枚皮を剥がせば暗い事実が飛び出してくる。
 まだ原発事故は終わっていないのである。
 そして原発はこの狭い地震大国日本にたくさんある。
 


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