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『奇妙な旅人の記録』

 これは私が旅先で出会った、奇妙な旅人の記録である。
 湖がある小さな村に立ち寄った時のことだ。村自体はそれほど目新しいものはないが、移動距離がある町と町との境目にあるような村で、移動業者や旅人の休憩場所として重宝ちょうほうされていた。そのため、村はそこそこ栄えており、旅人に対しても友好的であった。
 私は2、3日前にこの村へ辿り着き、村の中央にある広場にて、あらゆる者に声をかけては、様々な話を聞いていた。

 その広場でとある旅人を見かけた。彼は重そうなリュックを近くに置き、古びたコートを羽織り、一目で旅人だと分かるような格好をしていた。
 広場にあるベンチにて、どこを見るというわけでもなく、ただぼんやりと、静かに座っていた。
「こんにちは。良いお天気ですね」
 そう私が声をかけると、彼は驚きつつ、こちらを向いた。
「えっ? あ、はぁ、そうですね」
「お隣よろしいですか? ありがとうございます。失礼しますね」
「え? あの……」
 彼の返答を聞く前に、私は彼の横に座った。
「私も同じ旅をしている者でして。行く先々のかたに話を聞いては記録をしているのです。ここ数日、この村で色々な方に声をかけておりまして、本日は貴方に決めた、というわけです」
「はぁ……」
「しかし悲しいことに、私が話しかけると皆さんけむたがるんですよ」
「……分かる気もします」
「なんと、分かって下さるのですね。それならば、是非私と話をして頂けないでしょうか」
「…………まぁ、いいですよ」
「ありがとうございます。私は高野と言います」
「どうも。僕は──」
 私達はお互い名前を言い合った。しかし私は彼の名を覚えてなどいない。私の脳の記憶にも、記録史のページにも限りがある。『名前』などというすぐに忘れても問題のないようなことに、限りある大事なスペースを使ったりなどはしない。

「貴方はどこから来たのですか?」
「ずっと南の方から」
「何処かへ行く途中ですか?」
「はい。たぶん、そうだと思います」
「随分と曖昧ですね。貴方の旅の目的は?」
「旅の目的ですか。その……実は、分からないのです」
「記憶喪失というやつですか?」
 彼は首を横に振った。
「いえ、僕は自分のことは覚えています。僕は南の国で生まれ育ち、家を継いで商人をやっていました。妻と子供もいました。ここに来るまでのことも、その道中のことも覚えています」
「では、どういうことでしょうか」
「向かう先と、向かう理由が、全く分からないのです。ただ、
【北へ向かわなくてはいけない】。
 僕にはその感覚だけがあるのです。その感覚だけを頼りに、ここまで旅をしてきました。この村に着いた時も、ここが目的地なのか、それとも寄り道なのか、それすら分かっていませんでした。しかし、まだ【北へ向かわなくてはいけない】という感覚があるので、ここは“たぶん”その途中なのだと思います」
 そう告げる彼の表情には若干の不安を抱いているように感じとれた。
 しかし怯えてはいない様子をみると、その感覚は恐怖を抱かせるまでのことはないのだろう。この奇妙な感覚に関して、彼は恐怖という感情を抱いていない。それは私の追求心を掻き立てるものであった。
「『無意識』という可能性は?」
「え、無意識、ですか?」
「ええ」
「し、しかし……僕はここまで歩いてきたという認識があります。自分の足で地を踏みしめていた自覚があります。旅に出る前、自分の手で荷物を準備しているのも、家族の止める声を振りきって家を出たことも全て覚えています。【北へ向かわなくてはいけない】──これもはっきりと意識しています。それでも『無意識』と言えますか?」
「人は、そのほとんどを無意識下で行動していると言われています。例えば……今のように、特に理由もなく耳を触りながら話をしてしまうとか」
 私がそう指摘すると、彼は慌てて手を膝の上においた。「これは癖です。普段の行動から起こるものでしょう? 僕はここまでの道中にも、向かう先にも、向かう理由にも、一切心当たりがありません」
「本当にそうだと言い切れますか?」
「え?」
「人の記憶は曖昧です。自分に都合の悪いことを忘れてしまうことがあるでしょう? いえ、あなたが悪人と言いたいわけではありませんよ。貴方は旅の目的を顕在化していないだけで、潜在した意識の中にしまいこんでいるのかもしれません」
「僕がこれから向かおうとしている場所と理由を、本当は記憶の奥底で知っていると?」
「あくまで可能性の話ですよ。貴方が向かおうとしている場所に、何か忘れているものがある。もしくは、防衛本能として何かから逃げている。それを、貴方の『無意識』だけが知っている。しかし貴方はそれを引き出すことができていない、そのような可能性」
「……仮にそうだとして、無意識下にある記憶を引き出すことは無理なのでしょうか」
「深層心理を聞き出す技術は存在しますが……」
「教えていただけませんか?」
「申し訳ありません。私自身はそのようなカウンセリングの心得はありません」
「そうですか……」
「しかし……カウンセラーは対話により、少しずつ心の奥底の声を引き出すとされています」
「対話……」彼はその言葉を噛み締めるように呟いた。「僕はこの感覚に関して、深く考えようとしていませんでした。もう、諦めていたのだと思います。でも、そうですね……少し、自分と対話してみることにします」
「自分との対話ですか」
「はい。思えば、ただ向かうだけで、自分と向き合うことはしませんでした。もしかしたら恐れているのかも。自分を知ることを」
「……まぁ、先ほどもお伝えしましたように、全て私の仮説に過ぎません。もしかしたら、オカルト的な力が働いていて、それに吸い寄せられていると言う非科学的なことかも、なんて」
「それだったら怖いですね」そう言って彼は笑った。
「ここにはまだ滞在する予定ですか?」
「はい。そのつもりです」
「もし滞在中に答えが見つかりましたら、そのときはぜひ教えて下さい」
「はい。ありがとうございました。話を聞いてくださって」
「忘れていませんか? 私が話を聞きたがったんですよ?」
「そうでしたね」彼は笑った。
 彼に別れをつげ、私は広間を後にした。

 彼と別れた後、私は村の湖のほとりへとやってきた。湖の周りを歩いていると、宿屋の店主と出会でくわした。
「おや、高野さん。あんた、まだこの村にいたのか」
「嫌ですね。まるで私が厄介者みたいじゃあないですか」
「宿泊客から苦言が出とるんだよ。疲れているところにペラペラと語りかけてくるとね」
「酷いですね。私はただ、お話が好きなだけですのに」
 私がそう言うと、店主は大きくため息をついた。
「ええ、ええ。分かりました。あと数日したら去りますよ……あと数日は居させていただきますが」
 私がそう告げて、足を踏み出そうすると、店主が「足元!」と声をあげた。
 その声に足を止めると、私の足元には一匹のカマキリがいた。
 私の足が頭上にあるというのに、カマキリは逃げようともせず、静かに佇んでいた。自分の頭上で起きている大きな出来事など、ちっぽけな生物には気づくことさえ叶わないのだろう。
 私は足を引いて、店主に向き直った。
「ありがとうございます。あやうく踏み潰してしまうところでした」
 私は辺りを見渡した。よく見ると足元だけでなく、すぐ先にも、そのまた先にも、何匹いくひきものカマキリの姿が見えた。
「……カマキリが多いですね。産卵の時期でしょうか」
「それもあるが、ここは湖があるから、そのせいかと」
「湖があるとカマキリが増えるのですか?」
「湖というか、水辺だな。『ハリガネムシ』というものを知っているか?」
「聞いたことがあります。どのような虫でしたでしょうか」
「寄生虫だよ。その名前の通り針金のように細く、カマキリの体内に入り込む。そして入水するよう、内側からカマキリを誘導する。水に入ったカマキリはもちろん、死んでしまう」
「洗脳、ということでしょうか」
「まぁ、そういうことだな。カマキリは知らずに入水自殺させられるのだから、不憫なものだ」
 私は再びカマキリを見た。
 カマキリは相変わらず、その場から動かない。
「…………ハリガネムシは人間に寄生したりするのでしょうか」
「いや、カマキリだけだよ」
「そうですか、安心しました。自分が気づかないうちに溺死するよう洗脳されていたら、たまったものではありませんからね」
「確かに。それは恐ろしい」店主は笑いながら言った。「しかし世の中には、まだまだ未知の生物がいるから。人間を洗脳するようなものも世の中にはいるかもしれんぞ?」
「それは恐ろしいですね。もし洗脳されていたとしたら、自分の意識にあると思っていたものが、実は自分のものではない、ということになるのでしょうか。
 しかし自分では操られていることにさえ気がつけないのですから、きっと恐怖を感じることも……」
 ポチャン、と水の音が響いた。
 カマキリは、もうどこにも見当たらない。湖上には、波紋が静かに広がっていた。

 私は急いで広間に引き返した。
 しかしあの旅人の姿は村のどこにも見当たらなかった。しばらく滞在すると言っていたのに。
 彼はもう【北に向かわなくてはいけない】という感覚に支配されたのだろうか。
 私は彼の行動は無意識だと言ったが、彼は“自分の”無意識で向かっているのだろうか。それとも。
 まあ、いい。少し残念だが、今回はこのような者もいるとだけ書き記しておくとしよう。
 私も早く次の場所へ行き、話を聞いて──。

 【記録に残さなければ】。

了。

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