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『空中庭園で、空からみる夕日』

 キーン、コーン、カーン、コーン。
 放課後の合図のチャイムが鳴った。
「今日は何する?」
「空中サッカーしよう」
 そういって友達とサッカーボールを持って、僕らは校内の『空中庭園』に向かう。
 2階ろうかの東にあるドアの先は、空中庭園につながっている。
 校庭、体育館、そして空中庭園が、僕らの学校の人気の遊び場だ。

 僕らの学校にあるのは普通の空中庭園じゃない。
 “空中に浮かぶことのできる庭園”だ。
 この庭園の中でだけ、僕らは自由に空中へ体を浮かすことができる。
 庭園自体は体育館くらいの広さの場所。でも壁と天井は全部ガラスで出来ていて、ガラスの壁はずっと上の、空の先まで長く続いているから地上から見上げても天井は見えない。
 だから上へ、上へと浮いていけば、富士山をみることも出来る。ただし戻るのが遅くなるといけないから、その場合は時間に気をつけないといけない。

 僕らはこの空中庭園で浮きながらサッカーをする、『空中サッカー』で遊ぶ。
 空中でやるサッカーは、地面でやるサッカーとは少し違って、下に向かって蹴り飛ばしたり、かなり高く蹴り上げる技もあるからなかなか難しい。
 でもそこが面白いから、僕らは空中サッカーをやるのが大好きだ。

 サッカー中に下の方をみたら、庭園の地面の上で立ったままの女の子が泣いていた。僕らより年下の子だ。きっと、1年生か2年生の子だ。
「どうしたの? ボール早く蹴りなよ」
 ボールを蹴らない僕に、遊んでいた友達が話しかける。
「あの子がずっと泣いているんだよ」
「知らない子だろ。ほおっておけばいいじゃん」
 確かに知らない子だけれど、そのままにしておいていいのかな……。
 その子はずっとひとりで泣いている。
 どこか痛いのかもしれない。
「僕、ちょっと見てくるよ」
 そう言って、友達にボールを渡して、僕は女の子の近くまで降りていった。

「どうしたの?」
「うう……ふぇ……」
「どこか痛いの?」
 女の子はずっと泣いている。
 どうしよう、先生を呼んできた方がいいのかな。
 そう思っていると、
「リカね、うまく浮けないの」
 女の子は泣きながら、そう答えた。

 この空中庭園は、自分の意思で自由に浮いたり、降りたりできる。
 でも最初はなかなか難しい。
 自転車に初めて乗るときに苦労したように、うまく足を踏み出せなくて前に進めなかったり、空中でグルンと回転してしまったり、思うところへ行くことができない。
 それが理由で、この庭園で遊ばない子たちも多い。

「リカちゃんって言うの? 上手く浮けなくて泣いているの?」
「うん……」
「リカちゃんは何年生?」
「……1年生」
 それなら呼んでくるとしたら1年生の先生かな、と僕が考えていると、
「リカずっと、くるんってなって上に行けないの。リカだけうまくできないの。もうずっと、リカはお空までいけないんだ!」
 そう言って、リカちゃんは更に泣き出してしまった。

 僕はそれを聞いて思い出した。
 僕も最初、上手に浮けなくて、ずっと泣いていたことを。
 そして泣いていたら、年上のお兄さんが、僕のそばにきてくれて、浮き方を教えてくれたんだ。
 日が暮れるまで、僕が上手に浮かべるようになるまでずっと。

 ──僕はもう3年生。
 今度は僕が”お兄さん”になる番なんだ。
 
 僕はしゃがんで、リカちゃんの目をみて話した。
「リカちゃん、あのね、最初から上手にできる人なんていないんだよ。みんな練習して上手くなっていくんだよ」
 リカちゃんは泣きながら僕の方を見る。
「僕も1年生のときは全然浮けなかったんだよ」
「そうなの?」
 リカちゃんは驚いたように、僕を見た。少し涙が止まったような気がする。
「僕は、3年生のナカジマ コウタだよ」
「3年生……。最初出来なかったの?」
「そうだよ。だから、僕と上手に浮けるように練習しようよ!」
「……一緒にやってくれるの?」
「うん!」
 僕がそう言うと、リカちゃんは服の袖でゴシゴシと涙を拭いた。
「わたし、サエキ リカ」
「リカちゃん、よろしくね」
 そう言って僕が手を差し出すと、リカちゃんは僕の手をギュッと強く握った。
「僕が手を握っているから、大丈夫だからね」
 僕がそう言うと、リカちゃんはコクンとうなづいた。

 両手を引っ張るようにして、僕はリカちゃんを空中に引いていく。
「そうそう、そうやって足でバランスをとるんだよ」
 リカちゃんは何度も、「できないよ」と言って泣いてしまう。その度に僕は、1年生の僕が教えてもらった時のように、「大丈夫だよ」と言って励ました。
 
 リカちゃんはまだ少しふらふらしていたけれど、ちょっとずつ前に踏み出せるようになった。
「もうちょっと、上まで行ってみよう」
 僕とリカちゃんはゆっくりゆっくり、空の方へと浮いていく。
「見てリカちゃん、ここにお花があるよ」
 空中庭園は、庭園という名の通り、草花が植えてある。
 それは地上だけでなく、上空へ続くガラスの壁にも所々に花壇があって、花がたくさん咲いている。
「本当だ! きれい!」
 赤いサルビアの花壇を見てリカちゃんは笑った。
「もうちょっと頑張ればもっと上に、更にきれいなものが見られるよ」
「本当? 見たい!」
 手をしっかりつかんで、リカちゃんと練習を再開する。

 リカちゃんが頑張ったので、僕らはかなり上まで浮かぶことができた。
 いつのまにかリカちゃんは、僕が片手で支えるだけでも、自分が思う方へ進めるようになっていた。

 僕らが着いた先は、夕日が下に沈んでいくところが、空の上から見下ろせる場所だった。
 地上からだと山に沈むだけの夕日は、僕らの目線では、さらに先の地平線の向こう側へと落ちていくようだった。
 こんな景色が見られるのは、僕らの学校だけだ。
 沈む夕日が、山も、僕らが住む町も、ガラスの壁の草花も、そして僕らも、眩しいくらいのオレンジ色に染めている。
「うわっ! すごい! 夕日が落ちていく!」
 リカちゃんが嬉しそうな声をあげる。
 その声に、僕も嬉しくなった。
 僕らは少しの間、夕日が地平線の向こう側に行くのを手を繋いだまま眺めていた。

「夕日が行っちゃう前に、僕らも下に降りようね」
 そういって、リカちゃんの片手を引く。
 リカちゃんは「うん」とうなづいて、僕の手をまたギュッと掴んだ。
 
 それから僕らは手をつないで、「夕日きれいだったね」「また見たい」など話しながら地上へと向かって降りていく。
 そして話しているうちに、庭園内の地上に無事に着地した。
 地上の方では、夕日は山に沈みかけていて、空は暗くなり始めている。
 もう帰らなくてはいけない時間だ。

「うまく浮かべるようになったね」
 僕がそう言うと、
「うん! ありがとう、“お兄さん”!」
 と言って笑顔を見せた。
 そしてリカちゃんは迎えにきた友達と一緒に帰っていった。
 僕に手を振って帰っていく姿を、僕も手を振って見送る。

 ──ありがとう、“お兄さん”
 リカちゃんの言葉を思い出す。
 僕はあの子の“お兄さん”になれたんだ。

 僕は、あの夕日は何度も見た。
 見る度に『見て良かった』と思う。
 でも今日見た夕日が、今までの中で一番『見て良かった』と思った。

 でも、それよりも。
 リカちゃんの笑顔の方が、
 夕日よりも、ずっと。
 ──『見て良かった』と思ったんだ。

 僕らの学校には空中庭園がある。
 どんな学校にも負けない景色が、たくさん見られる場所だ。


おしまい。

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