見出し画像

11月24日 電力9社体制に至る経緯は?

視野を広げたい、が、どうしても自分が携わっている仕事中心になってしまう…
そんな問題意識をお持ちの方に、その日にちなんだ過去の事象をビジネス視点で掘り下げています。普段の仕事や興味の範囲を超えて、視野を広げ、ビジネスの頭の体操をするのにぴったり。

 →部分は、頭の体操する上での自分に対する質問例、です。


1950年のこの日、「電気事業再編成令」が公布。電力会社9社が発足しました。

今では電力も自由化されていますが、それまでは地域ごとに9つ(今では琉球電力も合わせ10)の電力会社がその地域の電力供給を独占していました。

ここでは、意外と知らない(私だけ?)その経緯を簡単に振り返り、現在の電力自由化がどのような文脈の上にあるかを理解する一助としたいと思います。テキストばかりで見栄えは悪いことをご容赦ください。

<黎明期>

日本で最初の電灯供給事業は、1887年(明治20年)11月東京電燈によるものです。完全自由市場の下、電力事業は拡大し、1931年(昭和6年)頃には5大電力といわれた、東京電燈、東邦電力、大同電力、日本電力、宇治川電気がシェア約6割を占めるものの、事業者数は800ほどもあるという、小規模な事業者も多い状態でした。

<国家管理期>

この時期、満州事変などで戦時色が高くなったことなどから、1937年(昭和12年)12月に電力国策要綱を決定、翌1938年(昭和13年)電力管理法が成立し、1939年に日本発送電株式会社という特殊会社が設立され、発送電事業を一元的に行うこととなり、民間の発電所と送変電設備はこの会社に強制的に出資の形で提出させられました。
一方、配電事業については、発送電部門の国家管理に対応して1941年(昭和16年)国家総動員法に基づく命令として、配電統制令が施行され、翌年には400以上あった配電会社は9配電株式会社に統合されました。
これにより、日本発送電株式会社と9配電株式会社とを通じた電力の国家管理体制が完成しました。

<9電力体制期>

終戦とともに、財閥解体などを狙いとした過度経済力集中排除法が施行され、電力事業もその指定を受けました。
国内では、旧体制をなるべく温存した形を模索したものの、GHQからの圧力で、発送電と配電を一貫して行う9電力株式会社が誕生することになります。
これが、東京電力をはじめとした現在の地域電力会社です。

(出典:電気設備学会誌2015年12月「我が国の電気事業の変遷」

ここまで見てわかる通り、戦前は発電と配電は別会社となっていました。検討段階では、9つの発電会社と1つの配電会社という案もあったようですので、もしその形であれば、現在の送電を既存の電力会社に頼るという問題点や、地域を超えた電力の融通ももっと円滑だったかもしれません。

→地域独占であった電力、ガスの自由化がすすむ中、様々な販促が行われている。もし新電力の立場であればどのような戦略が考えられるか?また、守る側だとしたらどのような戦略が考えられるか?


最後までお読みいただきありがとうございます。
過去の投稿は以下にまとめていますので頭の体操ネタに覗いていただければ幸いです。


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?