見出し画像

9月24日 ホンダができた日

普段の仕事を離れた、翌日にちなんだ過去の出来事をネタに「頭の体操」。
そこから問いや興味を広げたり、抽象度を上げて他への応用を考えてみたり…
さまざまな「頭の体操」に活用ください!
頭の体操のための質問例はこちら。

→今、自動車業界では自動運転や、EVなどこれまで自動車業界ではなかった技術が急速に普及している。そのため、ホンダでも別会社だった研究所を統合した。
本田宗一郎さんが作った組織、ということで統合は長く実現しなかったが、それを上回る危機感の表れ、だろう。さらにGMとの技術提携も発表になり、独自技術にこだわると思われていたホンダの大転換と言われている。
これまでの当たり前が通用しない時代、次に現れる大きな動きにはどのようなものがあるだろうか?

1948年の今日、本田技研工業が設立されました。当時の本社は静岡県浜松市。
その歴史は広く知られるところですのでそちらに譲りますが、一昨年の4月にあった大きな組織変更について触れたいと思います。


そもそもホンダは、1960年に車両開発、設計を別会社としました。これは世界的にみても珍しい形態です。ホンダのHPにある通り、「研究開発に専念できるように」売上や利益を追い求める本体とは別の組織を作ったのです。

本田のイメージを築いた数々の時代を先取りするような製品はこうした背景があって生まれた部分も大きかったと思います。

一方で、技術にこだわるため、毎回のモデルチェンジで全てのパーツを新開発、新設計してしまう(通常、自動車の開発費がかかるので車台はそのまま2世代ぐらいは使う)、生産も別会社で行うため、安価に生産する工夫が少なくコスト高、などの弊害に加えて、自動運転など技術の幅とスピードを要求されるようになっていることも統合の背景にはあったようです。

今回の組織再編は、通常の自動車メーカーの形になったとも言えます。

以下の図の通り、本田技術研究所から自動車開発を担当していた「オートモービルセンター」を、生産を担当していた「ホンダエンジニアリング」をそれぞれ本田技研工業本体の「四輪事業本部」に集約しました。


二輪では先行して統合が進み、利益率も高まったこともあり、今回四輪でも統合に踏み切ったのでしょう。

完全統合ではなく、車両開発についての統合ですので、すぐに商品化に結びつかない技術の研究は引き続き研究所が担うとのことです。


この再編が今後のホンダにどのような効果をもたらすのか、要注目、です。



最後までお読みいただきありがとうございました。
過去の投稿は以下のマガジンにまとめております。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?