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まだ言葉のないきみは今日のこと忘れてしまうのかな#生後167日目

赤ちゃんが5ヶ月になった。

最近のりくんは
・寝返り返りできるときがある
・ぎぃーって言う
・あーとかういーとか喃語が多い
・夜泣きするようになった(深夜1時とか2時に起きて大泣き)

晴れてる朝は近所のパン屋さんまで一緒に買いものに出たり。朝は森のにおいと涼しい空気のにおいが混ざって軽井沢みたいだねって話しながら歩く。嬉しそうなお顔をしてる。夏の暑い日は眉間にシワをよせて暑がってる。けど、はろくんはいまのこと、今日のこと、覚えていないのだろうな。とか、よく考えるようになった。
貴重な赤ちゃんとの日々大切にしましょうといろいろなところでいうけれど、赤ちゃんはこの赤ちゃんの日々のこときっと覚えていない。(わたし自身も赤ちゃんの頃のことなんてなにも覚えていない)。この大変で大切な赤ちゃんとの日々のこと、誰も覚えていないなんて淋しすぎるから、私はずっと覚えていよう、と思った。
インスタグラムとかツイッターとかなにかに日記つけようと考え考え結局続いていなくて、ああだめだなあとか細かく落ち込んでいたのだけれど、そうゆうことじゃなくて、自分のためじゃなくて、りくんとの日々のこと、覚えていたことしか思い出せないなんて淋しいよね、大切な今をいまの感覚のままnoteにつけよう。と改めて思った今日だった。
「百花」という映画を観たのです。
はろくんとの大切な毎日、言葉で残せることは残していこう。写真もいっぱい撮って。
岡山天音さんが最後の方のシーンで言ってた台詞、、(ネタばれになっちゃうので詳しいことは省略)忘れる機能も作った方がよかったっすかねっていうの、響いた。同じ時間を過ごしても、いつまでも記憶に残ってることと忘れてしまうことの分かれ目ってなんなんだろ。人の記憶ってなんなんだろ。映画一緒に観たけど印象に残ってるシーンが全然違う、でも同じ映画を観たっていう事実は共有してる、ことと似てる気もするよな。
大学で写真を専攻しているころ、決定的瞬間のこと考えて、すべての瞬間を撮ることなんて不可能なんだっていうことを痛切に感じて、はてしない気分になった。すべての瞬間を記憶することももちろんできない。それをわかってるから、時間が過ぎていくことを怖いと感じるのかな。
りくんあんまり早く大きくならないで、と思ったり、すこやかに大きくなって、と願ったり、超絶自分勝手な母やな。

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