19.リベンジ!(3/4)
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だが赤江は猫撫で声で言った。
「佐次郎。お前が私を出し抜くつもりだったとしても、まあいい。私は気分がいいんだ」
「……」
「あのカラスの道化野郎はブロイラーマンを殺り損ねて評価を落とした。ナンバーツーの座を掠め取るなら今しかない……いや、こっちの話だ。ともかくお前は最高のチャンスを私に運んできた」
赤江は葉巻を取り出し、指の針で端をピッと切断した。それを咥えると、佐次郎がライターを差し出して火を着ける。もはや脊髄反射の動きである。
赤江は煙を吸い、懐から錠剤を一つ取り出した。
「これをブロイラーマンに飲ませろ。人間なら即死する毒だが、血族は痺れる程度だろう。それでじゅうぶんだ。身動きが取れなくなったら俺がトドメを刺す。私は出世する。賞金はお前にくれてやる」
佐次郎は錠剤を見つめ、震える声で言った。
「カネは……もらっていいんで?」
「今、五千万くらいだったか。お前の娘はいい女だ。キレイな服を買ってやりたいだろう?」
赤江の目には有無を言わさぬ冷徹さがありありと見えている。失敗すれば殺す、断っても殺す、お前の娘も殺す、と。
――……
「佐次郎さん?」
日与の声で佐次郎ははっと我に返った。
佐次郎の家の台所だ。社長との会話を思い出すうちに物思いに沈んでいたらしい。彼はシェイカーを振る仕事に戻った。
「色々あんだよ、大人はよ」
稲日は先ほど帰ったところだ。今日の日与と稲日はお互い妙に気まずげで、佐次郎がそのことを聞いてもはぐらかすばかりだった。何があったのか想像すると、佐次郎の胸にはもやもやとしたものが広がった。日与にボクシングの技術は授けると言ったが、娘まで授けるつもりはない。
日与はリビングでソファに座っている。佐次郎は日与の前にシェイカーを置いた。牛乳に溶かしたプロテインが入っている。
自分は日本酒を注ぎ、グラスを日与に掲げた。
「乾杯だ」
「何に?」
「別れに」
ぎくっとした日与に佐次郎は笑った。
「わかってる。お前はずっとそわそわしてる。出て行くんだろ?」
「……ああ」
「まあ、教えられることはひと通り教えた。相当にムチャな詰め込みだったが」
二人はグラスとシェイカーの縁をぶつけた。佐次郎は酒をあおり、日与がプロテインを飲み干すのをじっと見届けた。
「行くあてがあるのか?」
「ああ。仲間と連絡を取った。稲日には悪いけど……」
「俺から言っとくか?」
「いや。自分で」
「そうだな。それがいい」
日与は空になったシェイカーをテーブルに置き、深く頭を下げた。
「ありがとう、佐次郎さん。本当に助かった」
* * *
佐次郎は黄龍をテーブルに持って行き、グラスに注いだ。
赤江金融の社長室だ。足を組んで座った赤江はいぶかしげに佐次郎を見、酒を舐めた。
「それで? 何をグズグズしているんだ? 薬を飲ませろと言っただろう」
「社長……いや、組長《オヤジ》。俺ァあなたに感謝してます」
佐次郎は物怖じせずに静かに言った。
「チンピラだった俺を拾ってくれたのも、地下試合を紹介してくれたのも組長《オヤジ》だった。仁義ってヤツを感じてます」
「何の話だ?」
「ですが、もうこれっきりです。組長《オヤジ》は変わっちまった。中身までバケモンに成り下がった今のあんたは、三下以下の救えねえクズだ」
佐次郎は軽蔑を込めて吐き捨てた。赤江の後ろに控えていた部下二人が正気を疑うように佐次郎を見た。
赤江の額に太い血管がクモの巣のように浮く。
「佐次郎ォ……どういうつもりだテメエ……小指じゃ済まさねえぞォ……」
「うおおお!」
佐次郎は突然テーブルを踏みつけ、赤江に殴りかかった! 血族ならば眼を閉じていてもかわせるパンチだ。だが……
ドゴォ!
「ブッ!?」
赤江の顔面にクリーンヒット! 赤江は後ろに仰け反ってソファの後ろ側に転がり落ちた!
赤江は震える自分の指を見た。
「これは……まさか!」
「テメエの毒だ!」
佐次郎は例の毒を焼酎に混ぜて赤江に飲ませたのだ。佐次郎はソファを乗り越え、飛び降りながら真下にパンチを放つ!
赤江は横転してこれをかわし、舌をもつれさせながら部下に叫んだ。
「何してる! 殺せ!」
部下たちは動揺しつつも佐次郎を取り押さえにかかった。だがその時、社長室に飛び込んできた男がいた。勝間である。
「社長?! どうしたんですか?」
「お前! 手伝え!」
赤江が叫んだ。勝間は状況を判断し、迷わず部下二人に殴りかかった。予想外の攻撃に二人は不意を突かれる!
佐次郎は赤江にパンチを放つ! フラフラの赤江はかろうじてかわし、十本の指から生やした針で佐次郎を突いた。
「人間《血無し》ごときがァーッ!」
佐次郎は身を沈めてやり過ごし、強烈なカウンターパンチを相手の鼻面に食らわせた。
「これ以上娘を泣かせられねえんだよォーッ!」
ドゴォ!
だが赤江はびくともしない! 逆に佐次郎のみぞおちに痛烈な前蹴りを放った。
ドスッ!
「ぐえっ」
佐次郎はワイヤーに引っ張られるようにして真後ろに吹っ飛び、床を転がった。腹を抱えて床を転げ回る。丸太がぶつかってきたような衝撃だった。
「フー……」
赤江は乱れた髪を直し、息を吐いた。非人間的な冷たさを持つ目で佐次郎を見下ろす。
佐次郎は呻いた。
「テメエ……毒が効かねえのか……」
「効いたとも。十秒程度はな!」
赤江、つまりスティングレイの魔針《ましん》家は体内で毒を造る能力を有する。ゆえにその肉体は強力な耐毒性と分解力を持つのだ。
残忍なる血族の本性を現したスティングレイは佐次郎を繰り返し蹴り上げた。
ドゴ! ドゴ! ドゴ!
「カスが! クズが! ゴミが! 拾ってやった恩を! 仇で返すか! 野良犬めがァーッ!」
痛みの限界はすぐに通り過ぎ、全身が砂袋のように重く、無感覚になって行く。
目に血が流れ込み、赤く濁った佐次郎の視界の中で、勝間が自分と同じように部下たちに袋叩きにされているのが見えた。
(ホントにバカだな、アイツ。俺の味方なんかしやがって……)
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