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リベンジ!(2/4)

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 日与は慰めの言葉も見つけられなかった。

「それは……きついな」

「そういうの全部知ったの、新聞に出てからだった。父さんは私にもお母さんにも何にも教えてくれなかった。面会に行ったとき、日与とおんなじことを言った。巻き込みたくなかったって」

 稲日は鼻をすすり、袖で目元の涙を拭って日与を見た。

「日与もそのうちまた消えるんでしょ。そしたら私、生きてるか死んでるかもわからない人をずっと待ってなきゃいけないの?」

 日与はすべて話したいという欲求に屈しかけ、口を開きかけてまた閉じた。そんなわけにはいかない。今でも相当に危ない橋を渡っているのだ。

 日与は重々しく口を開いた。

「話せることと話せないことがある」

「それでいいよ。話してよ」

「その前にいったん帰ろうか。着替えたい」

 二人はいったん佐次郎の家に戻った。日与はシャワーで汗を流し、防水パーカーとジーンズに着替えた。

 日与は稲日に少し遠出しようと持ちかけた。電車に乗って一時間もすると郊外の不毛地帯を抜け、隣県とを隔てる山脈地帯に出る。

 日与と稲日は秘境めいた無人駅で降りた。駅を出てすぐの場所に鳥居があり、何千段もの石階段が雲で霞んだ山頂へと伸びている。入り口にはチェーンがかけられ、「立ち入り禁止! 崩れやすいです」という看板が出ていた。

 稲日は口を開けてそれを見上げた。

「まさかこれを……え?!」

 日与は雄鶏頭に背広姿となっていた。ブロイラーマンは稲日に防水パーカーを着せると、その体を軽々と抱き上げた。

「防霧マスクを手で押さえてろ。行くぞ!」

 ブロイラーマンはチェーンを飛び越え、石階段を駆け上がった。早送り映像めいたその速度に稲日が悲鳴を上げ、ブロイラーマンのネクタイにしがみつく。

 やがて山の上に被さった雲の中に入り、それを抜けると山頂の寺に出た。

 今や参拝する者もなく荒れ放題の寺の裏手に回ると、ブロイラーマンは日与の姿に戻り、稲日を地面に降ろした。

 稲日は日与の腕にしがみついたまま、夢うつつの面持ちで目の前の光景を見つめた。年中雨が降り続ける天外生まれの彼女が、テレビや画像でしか見たことのなかったものがあった。

「月が……」

 稲日は呟いた。

 西側の空が深い青みを帯び、夕暮れのオレンジ色と混ざり合ったグラデーションを見せている。その上には青ざめた月。

「走り込みのときに見つけたんだ。スゲーだろ」

「スゲーね」

 二人は並んで大きな石に腰を下ろし、空の青みが深みを帯びていく光景に目を奪われていた。

 日与はぽつぽつと自分のことを語り始めた。人間としての自分のことをだ。学校のことや、家族のことを。

 日与は先日明来に電話したときのことを話した。

「兄貴は生まれたときから勉強でも運動でも何でも出来るヤツだった。当然両親も兄貴のことばっか気にかけてた。俺は頭悪いし、ケンカばっかしてたし。双子なのにさ。きっと俺は出来損ないで、兄貴は元からスゲーんだって思ってた」

 日与は空を見つめながら言った。

「でも違った。兄貴は俺の知らないとこでメチャクチャ大変な思いをしてた。俺とおんなじように負けたり失敗したりしてた」

「つまり……明来くんも自分と同じ人間だった?」

「そうだ。それでも明来がスゲーヤツだったのは、明来が俺の兄貴であるためにがんばってたからだ。俺の〝俺なんか生まれつきダメなヤツなんだ〟って思い込みは甘えだったんだ」

「父さんも同じだったのかな」

 稲日はぽつりと呟いた。

「いっぱいムリしてたのは、私の父さんでいたかったからかも……」

「みんな誰かのために、見えないとこでがんばってるんだ。師匠はえらい人だ」

「そうかな。そうかもね」

 そのとき稲日が見せた笑顔に、日与はどきりとさせられた。

 日与は何気なく、稲日の手に自分の手を重ねて置いた。手の中で稲日の手がぴくんと緊張したのを感じた。

 稲日は日与をじっと見つめた。二人の心臓が高鳴る音は、世界中に聞こえてしまいそうなくらい大きくなっていた。

 日与が彼女のほうに顔を寄せると、稲日は一瞬だけ戸惑ってから、目を閉じた。睫毛が震えている。稲日の手が恐る恐る伸び、日与の脇腹のあたりを抱こうとした。その指先がジャージのポケットに当たる。

 不意に稲日は目を開き、眉根を寄せた。日与のポケットから小さな箱を取り出す。

「……これ何?」

 コンドームの箱だ。日与は動揺のあまり顔色を変えた。

「あ?! あ、いや、兄貴が避妊しろって言うから」

 たちまち稲日は飛び退いた。顔を真っ赤にし、肩を怒らせて日与を見下ろす。

「こっ……こういうことをするつもりだったわけ!? こんなところで! なっ……何考えてんのよ!」

「それは違うって! だから、念のために!」

「私だって別に……でも最初が屋根もないところって、それは冒険しすぎでしょ!」

 稲日はスンと鼻を鳴らして擦り、気まずげに視線を落とした。

「……もう帰りたい」

「あ、うん」

 稲日が突っ返したコンドームを受け取り、日与も立ち上がった。日与は兄を恨んだ。

(明来! お前のせいだぞ!)


* * *


 天外オフィス街。

 とある十階建て商社ビルの一番上に、赤江金融のオフィスが入っている。佐次郎は赤江に呼ばれ、社長室に入った。

 威圧感のある大きなデスク、壁には「仁義」と書かれた壁の掛け軸、神棚。右手の壁は一面ガラス張りになっている。デスクの後ろのキャビネットには高級酒が並び、ホルマリン漬けになった小指などもあった。

 テーブルには赤江が座り、後ろに部下が二人控えている。

 赤江はキャビネットに顎をしゃくり、佐次郎に言った。

「黄龍を」

「はい!」

 佐次郎は駆け出しボクサーのころ、夜の店でバーテンダー兼用心棒として働いていた。そのときに店の常連だった赤江と知り合ったのだ。赤江の酒を注ぐのは今も佐次郎の仕事だ。

 佐次郎は高級焼酎の黄龍(一流のエクスプローラーから買い取った旧世紀のものだ)をテーブルに運び、グラスに注いだ。赤江はそれを真っ赤な舌で舐めるように飲んだ。

「何か俺に伝えることがあるんじゃないか」

 佐次郎は深々と頭を下げた。

「及川の娘でしたら依然行方はわからず……申し訳ありません!」

「それはもういい。いったいどんな手であのガキを手懐けた? うん?」

「……ガキってのは誰のことですか?」

 顔色を失う佐次郎に、赤江はニヤリとした。

「誤魔化すな。あの情報屋だ。お前に何度もブロイラーマンの賞金額を聞かれたと言っていた。それで私はピンと来た。お前は値上がりするのを待っているんじゃないかとな。それでお前の家に見張りをつけた」

 佐次郎は内心で悪態をついた。

(あのジジイ! チクりやがったな)

「居場所に心当たりがある……という程度だと思いきや! まさか自宅に匿っていたとはな」

 赤江の人差し指からシュッと音を立てて赤褐色の針が飛び出した。ノコギリじみたギザギザの逆刺が恐ろしい。

 唐突に訪れた死の予感に、佐次郎は全身の体温が一気に下がるのを感じた。

 赤江の後ろに立つ部下たちは無感情にこちらを見ている。どちらも付き合いの長い同僚だが、助けてくれるとは思えない。ヤクザは裏切り者を絶対に許さない。


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