見出し画像

19.リベンジ!(1/4)

<1/4 2/4 3/4 4/4>

1/4

「一点にエネルギーを集中させろ! 動きは小さく! 早く! 丁寧に! パンチを打ったらすぐ戻す!」

 佐次郎の指示で日与は柱を殴る! 殴る! 殴る! 鉄拳を受けたコンクリートが一撃ごとに砕け、破片が舞い散る。

「腕の力に頼るな! 足腰、上半身、全身すべてを使って拳を前に押し出すイメージだ」

「オラアアア!」

 ここは佐次郎の家からほど近い丘だ。住宅街は寂れて人気がなく、作りかけのまま放置された高速道路高架が墓標のように立ち尽くしている。

 日与はその高架下で、高速道路を支えているコンクリート柱を殴っている。最初は佐次郎の家から持ち出したサンドバッグを使っていたのだが、すぐ破裂させてしまった。

 日与の動きが崩れるとすぐに佐次郎の厳しい声が飛ぶ!

「大振りになってるぞ! もっと小刻みに動くんだ!」

 日与は言われた通り、より小さな動きになるよう意識する。

 九楼にあって自分にはないもの。それが戦闘の「理」というべきものだと、日与は薄々と気付いていた。

 どのタイミングで、どの角度から攻撃するのが有効か。こちらがこう動けば敵はどう動くか。古今東西の格闘家たちは、長い時間をかけてそういった理《データ》を積み上げてきたのだ。

 佐次郎は日与に力説した。

(((相手を殴って倒す。古代ローマから現代まで、その一点だけを究極的に高め続けてきたのがボクシングなんだ。この世にこれ以上ムダのない格闘技はねえ)))

 日与はよりいっそう身を入れて練習に打ち込んだ。

(理だ! 血族の力をこの理に当てはめるんだ!)


* * *


 地面に書いた大きな四角形の線の中に、日与と佐次郎は入った。

 お互いに両拳を握り、脇を締めて構えた。わずかに膝を曲げ、肩幅の広さに足を広げて左足は一歩後ろへ。

「見てから避けてたんじゃ遅い! パンチが来ると察知した瞬間に体が動くまで繰り返せ! 全身の筋肉を脳にしろ!」

 佐次郎がジャブを繰り出した。ごくゆっくりした動きだ。日与はそれをかわし、同じようにゆっくり拳を突き出す。お互いの動きを確認しあうスロースパーリングと呼ばれる練習である。

 もちろん、本気を出した血族のパンチを人間が捉えられるわけはない。だが傍目にはじゃれ合いのように見えるこの速度で殴りあうと、日与は一発も佐次郎に入れられない。

 佐次郎の動きは巧みである。ことごとく日与のパンチをかわし、あるいはさえぎって無防備な頭部や胴体をポンポンと叩いた。日与はこの男が真の達人であることを思い知らされた。同じ血族だったならあっという間にボコボコにされていただろう。

 佐次郎は怒鳴った。

「何にも考えずにパンチを出すんじゃねえ! 相手の動きに合わせろっつっただろ! 脳ミソまでニワトリか!?」

「元気なオッサンだな!」

「うるせえガキ! 集中しろ!」


* * *


 仕事帰り、自宅についた佐次郎は車を降りた。

 若いやつと互角に渡り合える歳ではなくなったことを実感していた。疲れが残る重い体を玄関に運びながら、スマートフォンで着信を確認する。情報屋からメッセージが入っていた。

〝例の賞金額、三千万まで上がったぞ〟

 そのときふと湧き上がった感情に佐次郎はうろたえた。小さく首を振って自分に言い聞かせる。

(あのガキは血族だ。赤江や肋の連中とおんなじだ。カネのためだけじゃねえ、稲日から遠ざけるためでもあるし……)

 家に入って食卓に買い物袋を置き、日与に声をかけた。

「おい、ガキ。メシだぞ」

 返事がない。嫌な予感がして日与の部屋に入ると、彼の姿がなかった。佐次郎は血の気が引くのを感じた。

(賞金が……!)

 外したばかりの防霧マスクを着け直し、外に飛び出した。日与の行き先など見当もつかない。

 彼は足の向きを変えた。丘を上がり、高速道路の高架下に行くと、日与がシャドーボクシングをしていた。同じ動きを繰り返している。

 佐次郎はしばらくそれを見ていた。最初のころと比べると見違えるようにキレが増している。恐るべき習得スピードであった。

 一心に練習に励む日与の目は真っ直ぐだ。そこには単なる復讐心以上の、もっと純粋な意志があった。それは若いころの佐次郎と同じ、もっと強い自分になりたいと切実に願う男の顔であった。

 佐次郎はため息をつくと、合法麻薬《エル》の覚醒タブレットを口の中に放り込んだ。上着を脱いで日与のほうへ向かう。

「おい、そんなんじゃダメだ! 連携が繋がってねえぞ! 俺の言ったことを忘れたか!?」


* * *


 ある日の夕方。

「ウオオラアアアアアーッ!」

 日与は相変わらずコンクリート柱を殴っていた。
 ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ドゴォ!

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……うお、ヤベえ!」

 日与はぎょっとして逃げ出した。殴り続けた結果、食い散らかしたリンゴのようにえぐれた柱が折れ、高速道路高架が自分のほうに倒れてきたのだ。

 ズゥゥン……!
 砂埃が舞い上がり、地響きが丘を揺るがした。

「公共物の破損で賞金額アップだな」

 日与は右拳を開いたり閉じたりした。感覚はすでに十二分に戻っている。

 人の気配を感じて振り返った。トートバッグを抱えた私服の稲日が、驚きのあまり固まっている。

「何? 今の!」

「あ? ああ……古くなってたみたいだな。押したら倒れた」

「そ、そう……父さんは仕事?」

「うん」

 稲日ははにかんだ様子でトートバッグを日与に差し出した。

「これ、お弁当。作ってみたんだけど……」

 今度は日与が驚いて固まる番だった。

(女の子が俺に弁当を作ってくれるだと……?! そんなことが起こるのか?!)

 日与は稲日を近くにあるサボテン農園の跡地に案内した。そこのガラス温室なら汚染霧雨も入ってこない。防霧マスクを外し、二人はベンチに並んで腰を下ろした。

 稲日の作ったおにぎりを、日与はわき目も振らずに食べた。実際うまかった。稲日はそんな日与を嬉しそうに見つめていたが、今日に限ってその表情は曇りがちだった。

 日与は指についた飯粒を舐め取りながら探りを入れた。

「バンドで何かあったのか?」

「え? ううん、そうじゃない。他の二人ともうまく行ってるし。えっと……ていうか」

 稲日はひと息ついてから言った。

「日与のことを聞きたいなって」

「俺? 俺は……そのへんにいるような奴だよ。つまんねえ男だ」

「そのへんにはいないでしょ。あんたみたいな人は」

 日与はやっと相手の言わんとすることを察した。

「俺の事情なら話せない。巻き込むことになる」

「……」

 稲日は視線を落として言った。

「お父さんはね」

「佐次郎さんのほう?」

「うん。ボクサーだったころ、すごく強かったんだよ。そのうち購坂フォートに家を買ってやるっていつも私とお母さんに言ってた。でも三十を過ぎたころからだんだん勝てなくなって、それでヤクザがやってる地下試合っていうのに出たの」

「佐次郎さんが? へえ……」

「私たちには内緒で。でも警察にバレてね。五年も刑務所に入ることになった。ヤクザのことを何にも言わずに、全部の罪を一人で被ったから。ちょうど私の誕生日に刑が確定したのを覚えてる」


次へ

<1/4 2/4 3/4 4/4>


総合もくじへ


ほんの5000兆円でいいんです。