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「第1話」 「第2話」「第3話」

第1話 人間ボール

手の指先と足のつまさきを、おへそのところにもってくる。
ちょっと足がツライかな。
そうすると肘と膝が出っ張るので、
それもおへそにもってくる。
これはキツイ。
そこから、ぐぐっとおなかの中に、押しこんでいく。
マッチョにはむつかしいけど、私のようなブヨは、
ツライのは最初だけ。
すかさず、頭をそこに押入れる。
ズズッと入っていけば、もう安心。
端からドンドン中に中に。
お尻が入ったら、人間ボールの出来上がり。
肌色のウブ毛の生えたちょっと温かくてまんまるいボール。
何にもしない。何もできない。ただ、コロンと在るだけ。
玄関辺りに置いておくと良い。
子供が出がけに、「行ってきます」と柔らかなボールをぽよぽよしたり、
女房が掃除機で「じゃまじゃま」と言って押してころがしたり、
なんだかほっとする。

第2話 ピンポンダッシュ

ピンポンダッシュというイタズラをしたことがありますか?
子供が玄関の呼び鈴を用もないのに押しては逃げるあれです。
私は何と六十才を超えて他人の乳首をピンポンしてダッシュしています。
六十を超えればできるようになるものです。
男女問わずに、知らない人にそうっと近づいて、
乳首と思われるところ、主に右側を
ピンポーンと言いながら押して、一目散にピャーと逃げます。
逃げる後ろから「キャー」とか「オラー」とか、罵声を浴びるのが通常の反応です。
とてもスリリングで、もうやめられそうにありません。
前歯が2本ないのもこのせいです。
ピンポン旅の途中では、押したら
「はーいただいまー、お待ちくださーい。ってなんでやねん」
と返してくれる大阪のおばちゃんにも会いました。

先日多くの人がくつろいでいる公園で、赤ちゃんを連れた若いママにピンポンしたら、
そのママがすかさずパパにピンポン返しをして、パパが近くのおじさんに、
そして歩いていた女子高生、女子高生の集団を一とおり過ぎたら、自転車練習中の子供に。
その子は見事に自転車ごと池にハマってしまいました。
ずぶ濡れのその子は、よろよろと私のところまで来て、
「ルールを教えてください」と憤慨しながら言ってきたので、
「ごめんなさい」と素直にあやまりました。


第3話 逃潜水

もう無理なんだ。やめてくれ。
わかった。降参だ。動けないし、何も浮かばない。
「どうしたの、大丈夫?」なんて言わないでくれ。
聞かれても答えられない。
目を閉じて丸くなっても、
小さな黒い虫の大群が、体の内側の壁にびっしり張り付いて、
中には跳びまわているものもいる。
たとえ小さな音でも長い針になって体中に刺さり、ウニのようにもぞもぞ動く。
そうだよ。たぶんそうなったんだ。
だから逃げると決めた。

カプセルの中はゼリーのような液体に満ちていて、
その中に入って深海に沈む。
一度潜ってしまったら、もう戻れないことは知っている。
だけど逃げるんだ。
どこまでも深くゆっくりと沈んでいく。
あたりは光と音をどんどん失い、漆黒の闇に心音だけが聞こえる。
すべてのつながりがプチンプチンと消えていき、
なにものも及ぼさない深さに向かっている。
自分の頭の中にあるごつごつした塊が崩れて砂になり、
静かに平たくなっていく。
あと少しだ。

ゴツンと何かにあたる。海溝の断崖に触れたか。
闇に発光する奇妙な魚が近づいてくる。
それに照らされた岩肌に、色のない無数のエビやカニが
うじゃうじゃとうごめく。
ああ、こんなに潜っても、まだ僕を苦しめるのか。

もっとお薬をください。

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