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まず、金とは力。

金の亡者であるボクは、つねづね考えている。
金とはなんなのかを。

思い出せばボクは中学のときから、「世の中、金だ」と主張してきた。
ませていたし、中2病だったし、強がりだったし、上手くいかないことの理由(すなわち"逃げ")だったと思う。
そして、いつか歳をとってまるくなって「愛が大事」だとか「家族が大事」だとか言い出すのだろう、そんな自分ヤダなぁ…と思っていた。


そして、齢30手前になり、
ところがどっこい、
そんな心配はまったく不要だった。

なにせ、上記主張は、強化されていく一方だから。

表現自体は「世の中、金だ」から「金が全てだ」というものに変わった。
これは見城徹氏の著書を読んだから。(※注:見城氏は、"ビジネスにおいては"金が全てだと云っている。ボクのそれとは少し違う。)


ボクは、自分自身にとって金とはなんなのか、ボクの主張を真っ向から否定してくる奴らに説明できるように、自問自答を繰り返している。

で、ボクが思う、金とは? なんなのか?


まず、金とは、力である
と中学のときから思ってきていた。

(そもそもは、破局した彼女が次に付き合ったのが自分より金のある家庭の、体育会系のガタイいいヤツだったからそう思うようになったんだけど、)

権力が金を呼ぶのか、金が権力を呼ぶのかは謎だが、
政治家や議員というのはパンピーより金をもっている。
彼らは、どこかしらに融通を利かせられる力がある、
んで、逮捕される(って奴が年数名いる)。

金のある国家っていうのはたいてい、軍事力も強大なものをもっている。
気に食わない近隣国に云うこと聴かせようと、侵攻する。
金が軍事力を呼び、軍事力が戦争と暴力を呼ぶ。
縮めて金が暴力を呼ぶと云ってもいいかもしれない。

でも金はそんな側面だけじゃない。
一部の余裕のある利口な人たちは、こども食堂とか名を打って、
無償で食事を提供したりしている。
あるいは、もっと単純に、家に来た客人に飲み物の1本差し入れたり。
他人のミスにより、なにか損害を被っても、いいよいいよこれくらい、と許せたり。
そんな、包容力みたいなものにすることもできる。


そう、金は力に化けるのだ。
権力、暴力、包容力・・・
それだけではないだろうが、こんな簡単な例でも
少しご理解いただけると思う。

でもハタチくらいのときから、
それでは説明がつかないことにぶち当たることがあり、
もっと広義に捉えられるように考えて、
いまは別の表現を使っている。
それは次回書こうと思う。

とりあえず、
金には力の側面があることは否定できないだろうし、
これを読んでいる皆様も薄々感じたことあるのではないのかな、って思う


…ボクがなぜ金を求めるかって?
嫌いな奴を札束で物理的にひっぱたいてやりたいからさ。


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