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飲み屋の中心で孤独を浴びる

鳥貴族が、お一人様でも利用しやすいような店舗設計になっていると話題のようだ。

カウンター席は半個室型で、人目を気にせずに済む。
注文はタブレットなので、「すいませーん」とタイミングを見計らって大声で定員さんを呼び止める必要もない。
コンセントやWi-Fiが備わっているので、好きな動画を見たりして自分の世界に浸れる。

そんなお一人様に優しい空間もいいのだが、そこまで甘やかしてもらわなくても、わたしは一人でそこそこの環境に飛び込んでいけるポテンシャルを持っている。





美味しいものが堪能できそうなお店を見つけ、何名様ですか?と聞かれる前に、人差し指を1本立てながら扉をくぐる。

カウンター席とテーブル席があるお店。
店員さんはカウンター席を手で示しながら、「お好きなお席にどうぞ」と言う。

角っ子の席で落ち着くもよし、空調がちょうど良さそうな位置を選ぶもよし。

わたしは、気まずくない程度に調理風景を眺められそうな席を選んだ。



お一人様を楽しむ人の中には、その場で居合わせた人に話しかけて友達を作るような鶴瓶さんタイプもいるようだが、わたしは自分から話しかけることはしない。

話しかけられたら場合によっては少しお喋りすることもあるが、基本的には純粋に食事とお酒を楽しむのが好きなのだ。



カウンター席こそ、お一人様のための空間といえる。

小説を開いてみたり、大将の鮮やかな包丁さばきに見惚れたり、メニューを眺めて次に何を注文しようか迷ったり。



仕事帰りのサラリーマン。
おそらく16時台から居るのだろうなという70代男性。
軽いアテで冷酒をキメている少し年上の美人で男前なお姉さん。

カウンター席では、お一人様たちが横並びでそれぞれの空間を味わっている。
一人で居ても寂しさを感じない。

ガヤガヤと賑やかなテーブル席の皆さんを背中に感じながらも、自由なひとときを味わえる








はずだった。








「カウンター席=お一人様だけのもの」
という方程式が完全ではないことに気づくのに、そう時間はかからなかった。



ふと気づくと、わたしの左隣には男女二人組が。
お互いのことを「腐れ縁」と言い合う幼馴染らしきその二人は、会社の愚痴やお互いの恋愛事情などを矢継ぎ早に話している。

えらい楽しそやな。


カウンター席とテーブル席(お座敷を含む)があるお店において、お一人様がカウンター席に通される確率は極めて高い。

また、お二人様がカウンター席に通されることも珍しいことではない。

お一人様か、お二人様。
さすがにここまでがカウンター席の限界か。



ふと気づくと、わたしの右隣に、スーツ姿の男性三人組が。
会社のコンペの打ち上げなのか、テンション高めにお互いの労を労っている。

えらい楽しそやな。


L字カウンターの角の部分を利用して、三人組が座っている。
カウンター席の人間からすれば、これはもう団体様だ。

非情にも、三名様がカウンター席に通される確率はゼロではなかった。






カウンター席では、一言も発さなくても成り立つ空間ではなかったのか。

カウンター席で笑う人なんか、いないのではなかったのか。

カウンター席では、寂しさを感じないのではなかったのか。

カウンター席でお一人様の自由を楽しんでいたつもりが、楽しそうな男女とテンション高めの三人組に挟まれ、なんだか不覚にも寂しくなってきた。



本来、カウンター席はテーブル席と比べて、おとなしい人のための場所だ。

そのカウンター席の中でも、今わたしは最もおとなしい人間だ。

ということは、わたしはこの店内で断トツのおとなしい人間ということになる。








ここで想像してみてほしい。


▶︎ 前日散々飲んで寝不足状態の朝、顔が浮腫んでいた。

▶︎ 普段通りの朝、顔が浮腫んでいた。


顔が浮腫むことに関して、辛いのはどちらでしょうか。


▶︎ 彼氏がいないから、クリスマスにデートできない。

▶︎ 彼氏がいるのに、クリスマスにデートできない。


クリスマスにデートできないことに関して、辛いのはどちらでしょうか。



辛いと感じる事象は同じでも、前者と後者ではまるで意味合いが異なる。

前者は、なるべくして当然ながらに辛い状況に置かれている。
それに対し、後者は、状況として本来そうはならないはずなのに、辛い事象が起こっている。

前日飲み過ぎたわけでもなく、いつも通りのコンディションなのに、顔が浮腫むなんて…。

彼氏がいるのに、出張だから、と嘘か本当かわからない理由でデートしてくれないなんて…。


▶︎ お一人様たちと並んで、カウンター席にひとりぼっちで座る。

▶︎ 談笑する賑やかな人たちと並んで、カウンター席にひとりぼっちで座る。


カウンター席にひとりぼっちで座ることに関して、辛いのはどちらでしょうか。







加えて、想像してみてほしい。


▶︎ 自分の身の丈に合った地元の高校に入学したつもりが、テストで学年最下位になってしまう。

▶︎ 色んな人の手違いであれよと偏差値79の灘高等学校に進学してしまって、テストで学年最下位になってしまう。


テストで学年最下位をとることに関して、辛いのはどちらでしょうか。


▶︎ バレー部だった地元の友人とカラオケに行って、自分だけ断トツで歌が下手だった。

▶︎ 何かの手違いでMISIAと西川貴教と一緒にカラオケに行くことになり、自分だけ断トツで歌が下手だった。


歌が下手だということに関して、辛いのはどちらでしょうか。



同じ、自分は無能だということでも、前者と後者ではまるで意味合いが異なる。

前者はそもそもの自身の能力の低さを表す。
それに対し、後者は、周囲の環境によって自身の能力が低く感じることを意味する。

灘高なんだから、周りのみんなが天才すぎるんだから、自分が最下位になるのは仕方ないじゃないか。

世界的な歌姫と声量オバケを前にしたら、誰しも歌ヘタだ。仕方ないじゃないか。








それならば、むしろ、こう想像してみてほしい。


▶︎ 一人でカウンター席に座り、孤独を実感する。

▶︎ 一人でテーブル席に座り、孤独を実感する。


孤独を感じることに関して、辛いのはどちらでしょうか。



周りと比べて自分はひとりぼっちだから寂しい。
でも、隣では女子会の6人組が爆笑しているのだから、仕方ないじゃないか。



恋愛話で盛り上がる女子会6人組。
仕事帰りの会社員たち5人組。
愚痴を発散するママ友グループ8人組。

この環境下では、もちろんわたしはぶっちぎりの最下位だ。



ただ、ここまで来ると、「わたし自身が孤独だ」というレベルの話ではなくなっている。





わたしが一人でテーブル席に座るということは、灘高に身を置くということだ。

わたしがちょっとやそっと努力したところで、順位を上げることなどできない。

だって、ここは天才達が集う偏差値79の灘高だから。



わたしが一人でテーブル席に座るということは、隣のテーブル席でMISIAと西川貴教が唄っているということだ。

ここで素人が必死にビブラートをかけようとしたところで、その歌声は霞む。

だって、ここでは「Everything」と「消臭力」の伸びやかな歌声がこだますんだから。







わたしはこうしてテーブル席に座ることで、孤独の要因を、周りの環境に転嫁することができる。








何名様ですか?と聞かれる前に人差し指を立てながらお店に入る。

「お好きなお席にどうぞ」という言葉に甘えて、お店の中心の一番照明が明るいテーブル席に座る。





そしてわたしは

飲み屋の中心で孤独を浴びる。



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さて、次回の #クセスゴエッセイ は

「pantsを穿きたい」

をお届けします

お楽しみに〜
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