”革新”が通る、わかれ道を求めて
ほんと、歴史は残酷だ、と感じた話。
朝とラジオ
朝の空気に湿り気が残る。昨夜の雨のせいだろうか。冬の冷気の鋭さが、こころなしか、和らいでいる。
こんな朝は、自転車が気持ちいい。
もっとこの雰囲気を楽しんでいたいのだが…、わたしはおもむろにスマホを開ける。ラジオを聴くためだ。
ラジオは良い、映像と違って、視覚を奪われない。
『これから音声メディアが伸びる』という噂も、あながち嘘ではないだろう。(話がそれるが、最近、Clubhouse をいうアプリが話題だ。音声配信のプラットフォームで、けっこう使い勝手がいいとのこと。(今度使ってみたい。))
きょう、わたしが聞いたのは、「歴史」の番組だった。これは以前から好きでよく聴いている。是非お勧めしたい。(ちなみに、このチャンネルは「COTEN RADIO」といい、YouTube でも配信している。https://www.youtube.com/channel/UCr5zQB5J5DJqZfar_WyWFAw )
きょうの話は、キリストの話だった。
異端者
細かい点は、省く。(宗教の話はデリケートなので)
印象に残ったのは、キリストが「ユダヤ教徒にあって、その異端であった」という部分だ。
キリストは、ユダヤ教に支配された世界で”愛” を説いたことで、衆目を集めた。一方、ユダヤ教の宗教的認識の中で統治されていた社会の中では、彼の教義は異端であった。結局、政治犯としてとらえられ、キリストは処刑されてしまう。
⇧ おおよそこんな内容だったと思う。
サラッと聞いたし、ここに書いたが…、なかなか含蓄のある物語だ。
わたしが感じたのはこんなことだ。
「いまわたしの隣にキリストがいたら、
めっちゃ好きになるか、めっちゃ嫌いになるか
彼に対する感情は、どっちかだな…」
いまの世界をみわたせば
要するに、空気読まなかった。
「自分はこうしたい」を貫いた、ということだ。
わたしのまわりにそんな人がいたら、
とても迷惑か、とてもありがたいか、
その、どっちか。
(実際には、お互いにうまく立ち回るかもしれないが)
当時、”異端” だったキリスト。
結局、彼はのちの時代で ”正統” になった。
実際…。
⇒ 世界のキリスト教徒の数は、21億人以上だといわれる。
⇒ 世界人口の77億人らしいので、10人に3人はキリスト教徒。
当時は、異端。
今は、正統。
この差は、なんだ?
革命との境目 ~歴史を紡ぐ~
異端視されて処刑されたのち、彼の弟子たちもまた、苦難だったらしい。迫害を受け続けた。そして300年後、ついにローマ帝国がキリスト教を国教とするに至る。
よく続いたものだと思う。
続かなければ、ただの異端者として歴史に埋もれたはずだ。
(続いたのは当然、「彼の教義が教徒のニーズを満たし得たから」だ。)
ただの異端者か。
稀代の伝道者か。
結局、彼のやったことは成功した(彼が望んだ通りかどうかはわからないけど)。空気の読めない異端者の思想は、最終的に受け入れられた。
ある意味において、歴史の中の”正統” を得た勝者だ。
(厳密には、歴史の勝者に担ぎ上げられた人、といった方がいいか…。)
その事実を知って思う。
確かに、革新的なことを成し遂げる人には、”異端者” は多いと思う。ただ、世間の異端者のうちのどれほどが、こうした成功に至るか…。
その境目は、
人と時代の
流れで決まる。
成功。
勝者が紡ぐ歴史の中の
物語だ。
******
みんなが信じれば。
それがやがて…。
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