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北の果一人いきる 漁師 92 歳

NHKドキュメント ノベリゼーション(novelization)
 
 
北海道礼文島
人里はなれた島にある集落があります。
暮らしているのはたった一人。
浜下福蔵さん、91 歳。
漁師として海とともに生きてきました。
 
長いあいだ福蔵さんが続けてきたことがあります。
自然への想い、消えいく故郷(ふるさと)の記憶を詩に残す。
 
「自分の命がある限りといえば変だけどなあ、命があるから書けるのよ」
 
 夏風に
 負けずに咲いた
 花の美しさ
 あの花は
 何と言う力強いものがあった
 俺もあのようにして
 生きたい
 
日本海にうかぶ礼文島。
人口およそ2700人。
漁業がさかんな島でした。
福蔵さんが暮らす鮑古丹(あわびこたん)は
強い風と荒波が打ち寄せる島の北端にあります。
 
5月
「ああ、風あるなあ」
福蔵さんは91回目の春をむかえました。
毎日自宅前の高台から海を見下ろします。
「いやあ、今日もまだ吹いてる、明日は南東の風っていうだろうなあ」
鮑古丹に生まれ育ち漁師となって70年あまり。
杖が手放せなくなった今も毎日浜に出かけます。
「これ、浜下さんの船ですか」
「そうそう、うちのもんだ」
 
今、鮑古丹の浜を使うのは、福蔵さんと離れて暮らす息子夫婦だけになりました。
「カモメが一羽もいないと思ったら、いないはずだわ、食べる物がねえんだ、こんな食う物がねえところにいるわけねえな、なぜおれはいるんだ。不思議なくらいだ」
水揚げも少なく、物寂しい島、かつては活気にあふれていました。
明治から昭和にかけて、鮑古丹はニシン漁でにぎわいました。
「ニシン漁にさ、青森とか秋田とか、百人ぐらいきたよ、にぎやかだった、話せば数かぎりなくあんけど、すばらしいところだった」
 
父親のあとをつぎ、中学卒業後漁師になった福蔵さん。
以来、鮑古丹の海とともに生きてきました。
今、一つの歴史を閉じようとしている鮑古丹。
最後の住人となった福蔵さんは、鮑古丹をかたちにしてきました。
漁師日記と名づけた日々の記録、
天気や海の様子、大自然に営みを書き続けてきました。
「何日、何日、強風、何の風だって、それから(漁師日記を書いてから)、おれの一日がはじまるのよ」
日記のあとから必ず書くのが詩です。
長い時は二時間以上、納得いくまで書き続けます。
「この部屋に入ったときは、なにも考えてねえんよ、こう外さ見て、太陽が光ったり、曇ったり、それについて書く。単純に発想するように心を運ぶ。ああ、今、太陽が光った」
福蔵さんは、太陽の輝きを笑顔と感じました。
 
 太陽の笑顔、美しい
 俺も笑顔の 鮑古丹
 
「どういう形で残るがわからないけど残したい。残したいから書く,自分の命がある限りと言えば変だけど、命があるから書ける。だけんども、字がついていっているかどうかはわからねえな、自分はおとろえてるからなあ、それでも書きたいんだなあ、うむ」
 
 浜に人影がありました。
福蔵さんの長男裕司さんと、その妻の陽子さんです。
五キロほど離れた別の集落で暮らしています。
「タコ漁、きょう仕掛けて、明日揚げるのよ」
毎年親子三人で操業していたタコ操業ですが、福蔵さんの姿がありません。
「今年も行く行くと張り切っていたけど、足腰の回復が遅れているみたいで」
実はこの春先から福蔵さんの足腰は悪化していました。
この日も、夫婦が網を仕掛けている姿を高台から見守るしかありませんでした。
 
翌朝。4時。
福蔵さんは大きな決断をしました。
「漁、行きますか?」
「行かない、もう自分はダメだ、寒さがきついし、動作が鈍くてもうダメだ、波のあるときは、体かわさねばならねど、それもできない、漁師が沖に行けねえことはつらいことだなあ、みんな行くけど自分にはもういけない、朝早く起きて、海を見て、みんなと会話して、操業してたから、悔しくないと言えないけど、やっぱりさみしい」
沖に向かったのは、息子夫婦だけでした。
この日に境に福蔵さんは船に乗ることはありませんでした。
大切にしてきた鮑古丹の海を息子夫婦に託しました。
 
 沖は強風
 操業注意
 漁師、君の大漁を祈る
 
タコ漁を仕掛けた息子夫婦の船が浜に戻ってきました。
水揚げが気になる福蔵さんが浜におりてきました。
「どうだ、大漁か?」
「タコ一杯だな。ソイはいっぱい入ったけど」
「ソイは入った?」
「ソイとタラかな」
自宅に戻った福蔵さんは、詩を書き始めました。
息子夫婦に言葉を送ります。
 
 祈る心に 二人を想え
 明日も働く北漁場
 大漁祈り 海を見る
 この鮑古丹は美しい
 長い人生 輝け
 
そして、福蔵さんは、漁をあきらめた自分自身への言葉も書きました。
 
 漁師の
 出漁出来ないのが
 さみしい
 働いた海と
 別れゆくのが
 心に代わり 涙降る
 
「さみしいとか、なんとか、もう度を超えてしまった、きようまであの船から降りたことはねえもん、三人でやった、なんぼ頑張っても自分の体はこれ以上動かない、動かそうと思っても動かない、詩をかくとなんとか、モノに例えて書いているけんど、本当の気持ちはそんなもんじゃねえよ、ああ、泣いた、泣いた」
福蔵さんの目からもぬぐってぬぐっても涙があふれでてきます。

最果ての島に、短い夏がやってきました。
花の咲く島といわれる礼文島
可憐な花が咲き誇ります。
大自然が躍動する夏は大好きな季節
 
「花の中に入って酒食らったら長生きするんべえ」
福蔵さん、この夏、92歳をむかえます。
「山とか浜とか見て、今まで頼ってきた、そういう身近な命の会話もできるように、大自然を作ってくれるんだよなあ、素晴らしいと思うよ」
 
 夏風に
 負けずに咲いた
 花の美しさ
 あの花の
 何という
 力強いものであった
 俺もあのようにして
 生きたい
 
夏の到来は、礼文島の漁師にとって新たな漁の始まりです。
海面に背骨のように並んでいるのは、長さ60メートルの養殖コンブの道具。
およそ半年のあいだ、海のなかで育てた養殖コンブの収穫。
夏から秋にかけて加工します。
作業小屋に運ばれたロープには三メートルほどに成長したコンブがびっしりついています。
一本のロープにくくられたコンブはおよそ千個。
福蔵さんは一つ一つナイフで切り落とす作業を担います。
夏のあいだに昼夜をとわず作業はつづきます。
この季節には全国から短期間働くアルバイトがやってきます。
福蔵さんにとってコンブ漁は、若者たちとの出会いの場でもあるのです。
 
アルバイトの一人、埼玉県出身の田中由紀子さん。
三年連続、コンブ漁を手伝いにきました。
「38歳の時に、このまま私は家と職場の往復だけでいいのかな、毎日普通でいることが幸せでもあるけど、なんとなく過ごす時間はもったいないと思いはじめました」
田中さんは北海道だけでなく、四国、九州など全国の生産地ではたらいてきました。生まれてからずうっと礼文島に住み続けている福蔵さんとは正反対の暮らしです。
 
「うらやましいと思いますね。ここで生きるんだっていう場所であって、大変なこと、悔しいこと、悲しかったこと、たくさんあると思うんですけど、でも、そこにいることはすごく幸せだったんだろうなあと思います。私は今はいろんなところに故郷がありますけど、それはそれでやっぱり幸せです」
 
今夜の献立はカマボコとサケの味噌焼き。
食事は簡単なものを自分でつくります。
一人で晩酌していると、
「お父さん」
アルバイトの田中さんです。
「なんだ」
「ちょっと寄ってみたよ、もうご飯たべてる?」
「オメエか」
「オメエよ」
アルバイトの田中さんです。二人の会食がはじまります。
「カンパイ」
「カンパイ」
「おいしい」
「オメエ、よく来たな、今年も」
「去年からくるつもりでいたよ」
 
福蔵さんは、自分とはまったく違う人生を送る、田中さんたちの生き方から刺激を受けたと言います。
「最初はね、なぜ女性たちが、仕事に出ていくのか不思議に思った。それで飲んで話をした、ところが飲んで話していると、おれの知らないことを知っていた、勉強しているから、それで、おれは感動したんだわ、だからこの人たちの生き方はいいと思う、みんな同じでいいなんて言えるわけがねえんだ」
 
さまざまなことを語り合う幸せなひととき。
ときには心持ち愚痴がこぼれます。
「おれが一番一人でいて何を思うかというと、自分一人でいて思うのは家庭だな、家庭のぬくもりがほしい」
福蔵さんには五十年連れ添った最愛の妻がいました。
海を見晴らす高台は二人の想い出の場所。
「ちょこちょこくるんだ、ここに、そこが家内が座っていたところ」
 
福蔵さんは、秋田から働きに来た鋭子さんと出会い、三十代で結婚。
喧嘩もほとんどしないおしどり夫婦でした。
2014年、鋭子さんが他界。
以来、妻の面影をしのびながら一人暮らしてきました。
「やっぱ、母さんといたときが一番いい幸せだったなあ、もう9年、10年もたつ、想い浮かぶよ」
 
 光る太陽 心の妻よ
 想い出させる若きころ
 二人で
 大漁を魚をとって喜んだ
 あの嬉しさが
 今もポカリと浮かぶ
 
「母さんとなあ、この沖で魚をとったんだよ、ああ、母さんとな、こんな雑草だって、天気がよくて暑く温度が上がればしなびてしまう、何者でも、生きているというのは大変なことなんだなあ」



夏の終わり、朝晩は肌寒くなってきました。
自宅横の作業小屋では、干しあがったコンブの加工が行われていました。
ここで品種の選定が行われます。
息子の裕司さんが長さや色などによって最高級の一等から十種類に分けます。
福蔵さんの仕事は余分な部分を切り取りコンブの形をととのえます。
梱包するのは田中さん。
一箱十五キロにまとめます。
「田中さんはのお、コンブを結束するのは見事なもんだ、二年ほどで大したもんになったよ」
 
アルバイトの一人、京都出身の加藤大地さん。
礼文島に来たのも、コンブの加工作業もはじめての体験。
三か月がたちだんだん板についてきました。
大地さんがこの仕事をはじめたのは、長年打ち込んできたラグビーの挫折がきっかけでした。
「高校で、全国大会に出たくてやってたけど、全国大会前にケガしちゃって、それで全国大会に出れなくなったというか、やっぱ目標が崩れたときの挫折はパンパじゃなく、そんなことがあって、毎日楽しむことを努力しようかなというか、そのときがんばっておけば、来年もいいことは連鎖すると思っているので、今をがんばれば、イメージしていれば、その未来になると思ってる」
 
「大地、きょうも一生懸命、働いたなあ」と福蔵さん。
「はい、働きました」
福蔵さんと大地さんは、毎晩のようにお酒を酌み交わす仲になりました。そして時間が過ぎていくと、大地さんが切り上げようとします。
「よし、帰るわ」
「だんだん調子よくなったなあ」
「もう時間だから」
「さみしい時もおれもある」
「おれもある」
「ある、ある、言いきれないほどある、それで生きている」
「母さんのところにいって話しているの?」
「うん、うん、お話しているんだ、今日は寒いとぬくいとか、誰も話す人はいない、おれの母さん、いい母さんだったなあ、一人でいることはつらいことだ」
「一人じゃないよ」
「ううむ」
「一人じゃないよ」
そう励ます大地さんに、福蔵さんは、「たくさん書いたんだ、みていくか」。居間の隣室が福蔵さんが詩を書く部屋になっています。その部屋の四方の壁一面に福蔵さんが和紙に筆で書いた詩が貼り付けてあります。
「きれいな字、おれ、これ好き、大漁、いい感じ」
福蔵さんが詩を書き始めました。
大切な仲間、大地さんへ贈ります。
 
 加藤大地
 我が人生 鮑古丹(あわびこたん)
 俺の人生をかえゆく
 
 花の礼文島 今日も咲く
 底知れぬ力をもってモクモクと
 花が大地に顔を出す
 
「なんだ、この男、大地? おれの書いているのと同じじゃないか、それもそのはず、ご両親は喜びにあふれて、この子をだれよりも良い者に育て、良い者になってほしいという親の気持ちを君は分かるか、分かるようにおれのところにいるうちにかみしめろ、最北礼文島、北の漁師、浜下福蔵」
ぱちぱちと拍手する大地さん。
「録音した今の?」
「してない」
「なんということだあ」
 
若者たちとふれあい、支え過ごした短い夏は終わろうとしています。



花の姿はすっかり消え、山肌を茶色く染める季節になってきました。
強い北風が吹きます。
生きものの姿が消える秋は福蔵さんがもっとも嫌いな季節です。
「寒くなったなあ、秋の風がだんだん強くなる」
 
忙しかったコンブの加工作業は終わりがみえてきました。
仕事がへるにつれて、アルバイトたちは島を離れていきます。
毎晩のように酒を組み交わした大地さんの姿はすでにありません。
 
「徐々に人が減っていく、慣れないと別れは寂しいかもしれませんねえ」
三年連続で福蔵さんのもとにやってきた田中さん。島をはなれたあと愛媛の農家で働くことにしました。
「家庭をもって幸せに暮らしている人がいっぱい友達にいます、そういうのがいいなあと思うこともあるし、でもこういう生活を選択したのは自分であるから、例えば孤独に感じるのも、幸せに感じるのも、結局自分の中にあることで」
 
9月23日
今シーズン、二回目の出荷をむかえました。
百五十箱以上のコンブが運ばれていきます。
漁協でセリにかけられ全国各地に送られます。
二日後、田中さんが鮑古丹を離れる日がきました。
「お父さん、仕事が終わったので帰ります」
「終わったのか?」
「終わったので、帰ります」
「ご苦労さんだったなあ、助かったよ」
「お世話になりました。また来年」
「ほんとに来るか」
「まだ予定が決まってないからなんとも言えないけど」
「ちょっと間、本当にたのしかった、若い者はいたし、みんなどうしている?」
「みんなそれぞれの場所で働いている。お父さんもあんまり無理しないように」
「無理するまで働けなくなった、去年はこんなんじゃなかった」
「いいんだよ、ぼちぼちで、ムリしたらねあとで体がこわれる、出来ることをやれば」
「やりゃあいいんだなあ、本当にどうもありがとう」
「また来年ね。元気でいてね」
 
その日の夕方、北風と荒波が打ち寄せる高台に福蔵さんの姿がありました。
漁に出ることをあきらめて、四か月。
若者たちとのひと夏のふれあいで、気持ちが強くなっていました。
「さみしいなんていってられねえな、おれは泣かなくなった、強くなければいきられない。鮑古丹にいればたった一人だと自分に言い聞かせて、一日一日をおくるといって、ながれ星のように来年の春を待つ」
 

 
11月、浜に激しい波が打ち寄せていました。
「今日は、いいなあ、やっぱこの年になっても、漁師の根性とぬけねえな、このきつさ、海の荒さが顔を突き抜けていく」
作業小屋では、次のコンブ漁の準備が始まっていました。
20 センチ状の種コンブを一つづつロープにくくりつけます。
花の季節が訪れる頃には、大きく育つコンブです。
また若者たちが働く日を福蔵さんは待っています。
 
「働いている時はつらいけど、酒飲んで人と再会することが一番の喜びだ、心が湧きたってくるのがちがう、おれのことろにきてくれる、こたえなければならない、気持ちが大きくなる、まだ作業ができる、それらは自分が健康でなければできないこと、いい話をしても、命をなくしては話することはできない、だから命という字を書く、一番ありがたいなあ、自分が生きている感触が湧いてきて、最高にうれしい」

 

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