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間もなく本物の作家たちが読書社会に登場していく  NO1

自分の存在を作家として呼んでいいのだろうかという主題にしたコラムをCさんが書いている。Cさんはすでに何冊かの小説を刊行しているようだが、それはローカルな出版社からの刊行だから印税収入など無きに等しいはずで、当然それで生活できるわけではない。

しかしCさんの生活の中心は小説を書くことであり、ひたすら「note」に小説を書き込んで地平を切り拓こうとしている。こんな私を作家と呼んでいいのだろうか、さまざまな公式の書類の職業欄に作家と書いていいのだろうか、それがそのコラムの主題だった。

この日本では作家と呼ばれる人種はたった一種類である。すなわち大きな出版社から何十冊も本を出し、何冊もの本がベストセラーになり、その本の印税だけで生活している人々である。彼らだけを公式に作家と呼ぶことになっている。

この日本には何万、何十万人と小説を書いている人間がいるが、彼らを決して作家などとは呼ばない。ときどき新聞に彼らも登場してくるが、そこでつけられる肩書は「自称作家」である。なにやら犯罪者につけるような肩書をつけて報道される。つまり日本の社会では、売れない小説を書いてる人間は断じて作家と呼んではならないのだ。

それは作家だけではない。あらゆる芸術の世界でそうなのだ。例えば、日本には画家がまた何万人といるが、画家と呼ばれる人は、その絵が高額で売れるごく少数の人々に与える名称で、一点の絵も売れない画家が新聞にとりあげられるときは、やはり犯罪者並みの「自称画家」として記されることになる。日本の社会では、売れない芸術家たちには市民権が与えられていない、つまり芸術家として生きていくことの存在が認められていないということになる。

アメリカに在住して、アメリカの芸術や芸術家たちに詳しい塩谷陽子さんが「ニューヨーク──芸術家と共存する街」(丸善ライブラリー)で、アメリカ人たちは芸術家をどのように呼んでいるが書かれている。それによると、さまざまな呼ばれ方があり、

A Starving Artist 
B Working Artist
C Full-time Artist
D Emerging Artist
E Well-known Artist
F Living Artist ……

と呼ばれ方をされるらしい。これらを日本語で表現すれば、

A 生活にもチャンスにも飢えた芸術家 
B 芸術家稼業以外の職で生活費を稼いでいる芸術家 
C 芸術家稼業だけで食べていける芸術家
D 頭角を現しはじめた芸術家 
E 名のよく知られた芸術家 
F 過去の巨匠ではなく、現在も第一線でさかんに作品を生み出している芸術家。

売れない芸術家たちを呼ぶ言葉があるということは、アメリカの社会では、売れない芸術家にも市民権を与えているということなのだ。売れない芸術家が社会に多数存在する、売れない芸術家として存在をする権利と尊厳を社会が認知しているということなのだ。

このアメリカのランクづけからいうとCさんは、芸術家稼業以外の職で生活費を稼いでいる芸術家、すなわちワーキング・アーティストということになるるのだろう。しかしCさんは作家として生きることを決意した人だ。天職という言葉は英語ではcalling という。Cさんは神から告げられたのだ。あなたは作家としての生涯を貫けと。

したがってCさんは「私は作家である」と公言していのだ。あらゆる公式の書類に職業欄に作家と書き込んでいいのだ。税務署の書類にも職業は作家、たたし収入はゼロと書き込めばいいのだ。Cさんは社会に対してそう公言するとき、Cさんが刻み込んでいく小説はより深くなっていく。(Cさんへの手紙はNO2でさらに劇的に展開されていきますよ)

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