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間もなく本物の作家たちが読書社会に登場していく  NO2

Cさんは新作を刊行するということで、その本の予約をいれていたが、先日アマゾンからその本が届いた。開封してその本を手にしたとき、なんだこれはと絶句し、ちょっとたじろいでしまったのは、こう言っては失礼だが、ぼくの基準からすれば、あまりにも安っぽい造本だったからなのだ。ぼくはいまでもこの「note」という世界からは成熟した文化も芸術も思想も生まれてこないと思っているのだが、なんだかそのことを体現したかのような安手の本だった。

そのローカル出版を主宰する方は一生懸命に制作したのだろうが、ハードカバーとはいわない、カバー付きのソフトカバーとはいわない、やがて頭角をあらわしていく一人の作家の本をもう少し力のこもった本づくりをすべきではないのだろうか。Cさんの小説までが安っぽくなっている。

この本に三篇の小説が載せられて、もちろんこの三篇を読了したが、ここではその小説のことではなく、Cさんに挑戦したいことがあるのだ。それはすでに何度もこの「note」に書き込んでいることだが、原稿を編集者や出版社に委ねるのではなく、自らその作品を手作り編集して制作し、そして自らの本を刊行する出版社を立ちあげ、広大な読書社会に投じていくという出版革命への挑戦である。

この革命については長文を書かねばならぬが、「note」の世界は長文が読まれない世界だから、ここではちょっとはしょって金の問題を取り上げてみる。新しいアイディアやシステムを他者に披歴したり説得しようとするとき、金銭の話題から導入するのがもっとも効果的だから。

刊行されたCさんの新作は、どのくらい売れたのだろうか。Cさんのコラムに投じられる《スキ》は二百とか三百とかの数になるから、その《スキ》が空手形ではないことを信じて、Cさんの新作は五百部売れたと算定してみよう。売価が二千円で刊行されているから、総売り上げは百万円ということになる。

Cさんの印税はたぶん五、六パーセントにおさえられているから、Cさんに手渡される金は六万円ということになる。膨大な時間を費やして書き上げ投じられた本で、Cさんが手にするのはわずか六万円である。いや、その六万円が手に入るどころか、本の買い取りなどして、おそらくCさんは多額の自腹を切っているはずだ。
 
それでは「出版革命によって本を読書社会に投じる」というシステムでは、どれほどの金を手にすることができるのだろうか。原稿を書き上げ、その原稿を自ら編集して本に仕立てると、個人出版社を立ち上げて、クラウトファンディングに二千円の価格で投じる。

その本はCさんの人気で、五百人からサポートされてリターンされたとする。総売り上げ百万円である。クラウドファンディングの一つ「レディフォー」にその本を投じたとすると、「レディフォー」の手数料は十三パーセントであるからまず六万五千円が引かれる。そして消費税が十パーセントも引かれるから、Cさんの銀行口座には八十八万五千円が振り込まれる。

一冊の本を仕上げるには紙代、インク代、製本代すべてふくめて一冊五百円程度(一冊一冊が工芸品だから、制作に費やした膨大な時間は計算にいれない)だから製作費が二十五万円、そしてリターンする郵送料が十八万円と算定される。したがってそのプロジェクトに要した総経費が四十三万円となる。口座には八十八万五千円が振り込まれているから、総経費を差し引くと、あなたの手取りは四十四万五千円ということになる。

もしその本が千部売れたとするとあなたは百万円近い額を手にすることになる。もしその本に火がついて一万部売れたとすると、なんとあなたは一千万円を手にすることになる。こうなるとあなたはアメリカの芸術家のランクづけCの「芸術家稼業だけで食べていける芸術家」になる。さらにその本はスパークして十万部売れたとすると、なんとあなたは一億円をせしめることになる。

話を現実に引き戻そう。あなたが最初に投じる本は百部しか売れなかった。しかしあなたは確実に八万円ちかい金を手にすることができる。八万円だが、その金はあなたに深い充足と勇気を与えるだろう。あなたは第二作に向かって歩きはじめる。次の本は二百部売ろうと。こうしてあなたは一歩一歩「芸術家稼業だけで食べていける芸術家」になっていく。

さあ、日本の芸術家たちよ、「あなたたちの活動を本にして、その本を読書社会に投じる」出版革命に挑戦しようではないか。

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