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企業の知的資産、文化継承とは? 資生堂の誇りとするメセナ活動について

資生堂メセナ活動、語り継ぐべきものとは?

人、モノ、お金。経済活動においてよく聞く言葉です。これにもうひとつ、私たちが価値ある資産として位置付けるものがあるとすればそれは、「文化」ではないでしょうか。 その人や地域、あるいは、国や組織の文化は今を決定づける知的経験(experience:エクスペリエンス)でもあります。一朝一夕には実現できないその経験の積み上げ(文化)があるからこそ、今が作られています。

歴史から学ぶことはとても多くあります。視点を変えれば今後を生き抜くための企業としてのヒントも得られます。 今回は、そんな無形資産=企業文化を大切にしている資生堂のメセナ活動を紹介していきます。

資生堂のメセナ活動とは?

文化継承や文化支援=メセナは今後生きていくために重要なポイントとなるかもしれません。 資生堂ではそう言ったメセナ活動に重きをおき、原点回帰として現代アートの紹介にも力を入れています。

銀座にある資生堂ギャラリーは、現存する日本最古の歴史をもつ画廊といわれています。

資生堂は福原信三により創業されました。数年後、椿会と改められ1923年の関東大震災後には復興とともに資生堂美術部と改称されています。

その後は戦後を経て、改修などを繰り返してきました。企業文化を軸にそれまでの商品や宣伝物など歴史にまつわる様々なものを展示しています。 1990年代後半までは商品に関わる歴史メインでしたが、それ以降は建築物のモデルにもモダンなデザインを取り入れて美術館としての側面を強く印象付けています。

今では内部的文化継承に関わらず、サイエンスの分野でのアート展示物もあるほどです。

資生堂の初代社長・福原信三から受け継がれる不変の精神「ものごとはすべてリッチでなければならない」

1994年のアート展では「亜細亜散歩」が有名です。青い部屋に行きた亀が置かれており、空間そのものをアート品として表現しています。

資生堂は企業の文化継承という意味で時代の変遷を、芸術(アート)を通じて表現してします。 特に資生堂ギャラリーでは文化表現として、常に歴史と新しいものを融合させ、独自の価値を発信しています。

資生堂ブランドには、時代と共に一歩ずつ前進した歴史、その中で得た経験による裏付け(物語り)が商品にも不変の精神「リッチ」として表現されています。

つまりは、企業としての社会の中でのあり方、そして継承され続けたものを熟知した上で美意識を持って商品を創ることこそ「商品をしてすべてを語らしめよ」というデザインと品質の表裏一体のしくみ。福原信三が伝えたいメッセージ(美の源流の発信)だと感じます。

資生堂のメセナ活動の歴史

資生堂ギャラリーの歴史は非常に長いものです。1919年に創設されてから外観は形を変えながらも、軸を残して企業文化・風土を醸成させています。その歴史が資生堂のメセナ活動であるのです。

時代背景として、1919年からその次には関東大震災、戦後恐慌、さらに第二次世界大戦と時代の荒波に揉まれながらここまで来たのです。特に始めの創設から戦後までは非常に苦労したかと思われます。それでも尚確固たる意志のもと文化継承に傾倒してきた活動こそ価値ある文化アートとして高く評価されています。

文化継承より創造し、受け継がれた意志を守り抜く

資生堂ギャラリーが発信するメッセージには文化継承のヒントがあります。銀座の街をプロセスに組み込んだ「価値創造スパイラル」を実現するデザイン。気づきの誘発・交流促進、街や人からたくさんのエナジーを受け取ることでアイデアを見いだす。人と人のコミュニケーションを起点にして未来へつながる価値を創造していく。資生堂ギャラリーには文化継承のあり方が表現されています。

ひとつの発信のカタチとしてー   資生堂が発行している、企業文化誌『花椿』

新しいものを受け入れて融合していく。その新しいものに対する反発心も、クリエイティブ(価値創造)に昇華していく姿勢が『花椿』からも随所に感じられます。

精神(スピリット)が文化を継いでいく

精神は目に見えないものです。

しかし、かたちなきものを見ることから、新しい豊かさの価値や美意識を生み出し、発信することで文化力に成り得ます。

文化力は未来を動かす美の力となり、文化価値を踏まえたリッチをデザインしていく。

「物事はすべてリッチでなければならない」

初代社長・福原信三の精神=資生堂の文化継承の思想から、心の豊かさの「美」を今一度再確認して、日本人の心に根付いている魂を感じてみてはいかがでしょうか。

 

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