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弱者男性はセカイによる金づるの奴隷となる

前回の記事で金づるの奴隷のことについて書くと言っていた。

記事は中程になる。

オタクは外と一切関わらず引き籠っていれば安泰だったと言うのは瞞しで、現実的には外濠内濠埋められて日常の金蔓奴隷として引き摺られそうになるところだった。
この金蔓奴隷の考察に関してはまた別の機会にするが、現実に引き戻すことは仮に良いことだとしても結局現実には干渉するなという枷を強いられるので、オタクに取っては何ら益することはなかったのである。
本田透の思い描いたミライとセカイ🌏👼

都条例の話からだが、オタクが外の世界と一切関わらず黙っていれば何も起きないというのははっきり言って“嘘”だったのである。

オタクも日本国民である以上、国内の経済圏から外れて独自に還元する訳にはいかないのだ。

オタク独自の経済圏を本田透は「ほんだシステム」と称していたが、それを乗り越えた「おかだシステム」というものを岡田斗司夫が考案していた。

とは言っても元々あかほりシステム(あかほりさとる由来)からのものだったらしい。

全ての金(カネ)はイケメンに流れる。
一言で言い表すならこうなるでしょう。
まず「男」と「女」が平等にお金を持っている世界を仮定としてスタートラインにします。
「普通の男」、すなわち外見で女性を魅了できない平均か、それ以下の男性は「女」にお金を使います。
AKB48みたいなアイドルグループかもしれないし、ローカルなネットアイドルかもしれない。
もっと直接的に「風俗」とか「アダルトビデオ」にお金を消費する人がいてもおかしくないでしょう。
男からお金を受け取った女は次のステップとして「イケメン(顔のかっこいい男性)」にお金を貢ぎます。
ホストクラブや男性アイドル(キムタク、嵐、ジャニーズ)のライブに行ったりヨン様(韓国ドラマ『冬のソナタ』の主人公ペヨンジュン)のグッズを集める人もそれに入ります。
この世の全てを表しているわけではないですが「男の持っているお金はまず女(美女)に流れて」「その女は第二ステップとしてイケメン(美男)に向かって金銭を消費する」という流れが見えましたでしょうか。
あかほりシステムとは 本田透
イケてるオヤジには大抵ニートの息子がいる。
それがこの理論のオチです。
原型は本田透さんの「電波男」の中で登場する「あかほりシステム」という図。
前回記事で解説しました。
参照 あかほりシステムとは 本田透
これに対して改良というか独自の解釈で追加要素を加えたのが岡田斗司夫さんです。
お金を持っている男がいて、その男が女性に貢ぐ。
(嫁に生活費を手渡す。キャバクラでお金を支払うなど)
その女性がイケメンホストクラブに行って「顔がかっこいい」男性の(金銭的)餌食になる。
ここまでは「あかほりシステム」と一緒です。
(かなり男女差別的な描写をしていますがこれは元ネタの作者の価値観です。そのまま紹介しているのでご理解ください)
その「顔がかっこいい」男性にはニートの息子がいて彼が引きこもっている。
オタク趣味に没頭している。
だから「男が、女性およびイケメン男性」に搾取され続ける訳ではない。
ちゃんとオタクの男性のところにお金が戻ってくる永久循環なシステムになってるんですよ。
おかだシステムとは 電波大戦

この上記のどれでもなくどこにも関わってないシステムのことを「ほんだシステム」と本田透は名付けた。

今更この循環システムの説明をする必要もないのだが、オタクが金を出す先はオタクだけというごく単純で無茶苦茶狭い構図のことを指していた。

要は異性も関わらない、搾取されないという完全なるシステムで経済を回していた、というものである。

このシステムが実際は虚構であることは言うまでもない。

おかだシステムも山手線よりも更なる大回りであることは間違いないのだが、所詮円で回る経済圏なので何処とも関わらないというのは噓だったのである。

もしも関わらないとなるのならば、それは中央から必要性がなくなってしまったというものである。

オタク経済が金脈みたいだと言われたのもかなり前だった。

何兆円規模だったところに路線を敷いて引っ張り出そうとしていたのがゼロ年代の初めのことで、これまで宮崎勤のような扱いだったものを掌返しの如く持ち上げ始めたのだった。

オタク経済圏が発見されたのは奇しくも平成不況が訪れた後だった。

これまでの武器で太刀打ちできなくなってしまったからどうにかしてこれを引っ張り出して何とか不況から脱出しようと試みた、ということだった。

しかし、実際は本田透の提唱した「ほんだシステム」からお金が流れることなく効果は非常に乏しいものだった。

それに業を煮やした者達は再びコンプレックス商法を使いオタクからお金を引き出そうとして「脱オタ」というものを画策していたのだった。

オタクにオタク系の金を使わせずにデート商法に金を注ぎ込ませたら何とかなると思っていたが、これも失敗(仕方なしに後にちょい悪おやじにシフトチェンジしようとしたがこれも消沈)。

オタクがお金を使うとしたら初回限定盤のDVDやらゲームソフトやガンプラくらいしかないのである。あとは大きな買い物は黒物家電くらいだろう。異性や家族に使わないで自分のみに使う消費となればとてもじゃないが国内経済はやっていけない。

オタクの人口がどの位いるのか分からないが、日本全体がオタクというものでもないだろうが、少なくともオタクは金を持っているとされている。

非正規雇用も増え、賃金も上がらない状況で、少子化も進んで消費が滞ってしまえば結局オタクの財布を狙うしかなくなるのである。

※少子化となってしまったらここ最近の教育関係は学び直しと称して中高年にも教育させようと画策するようになった。

中々オタクは財布の紐を解こうとはしない。

結婚する意志も持たない。

さて困った。

どうしよう。

今から十数年前に「東京都青少年健全育成条例の改正(冒頭に挙げた都条例のこと)がこのタイミングで起きた。

偶然なのかどうかは分からない。

なぜ漫画規制を青少年健全育成の名目で始めるのかと思った。

エロ漫画を読んだらオタクになって少子化に歯止めが掛からなくなると思ったのだろう。

丸で統一協会の純潔主義みたいな考え方である。

不況や少子化の原因がオタクの所為なのだと言う因果が逆なのは言うまでもない。

兎も角、東京都主導ではあるが国家権力がその時本気になってオタクの取り潰しに掛ったということである。

オタクを取り潰せば国家が健全にでも働くとでも思ったのだろう。

そもそもオタクの所為でも何でもなく、経済の立て直しが出来なかった指導者の所為なのだが、そうした責任はどこ吹く風である。

結局都条例は思惑通り改正されたがオタクそのものを潰すことは出来なかった。

オタクは山田太郎を擁立させこれ以上の攻撃から身を守ろうとして当選させることに成功してから国家からの直接的な攻撃から晒されるようなことはなくなった。

寧ろ、オタク潰しに利用していた統一協会が風前の灯火のようになってしまった。

都条例の影響で実際にコンビニから所謂成人向け本が姿を消したのだが、これもそうした成果だったのだ。

エロを規制すればオタクは外に出ざるを得なくなって少子化や衰頽から救える手立てとなっていたのだろうか。

都条例から十数年経った現在、これと言ったオタク規制的な北風政策は見られなくなった。

しかし国家はそう簡単に諦める訳でもなかった。

どうにかしてその鞏固なほんだシステムを突き崩そうかと考えた先に見つけたのがオタクとは別の産業のAV(アダルトビデオ)だったのである。

女性の人権と銘打って潰しておけば今まで個別に循環していたAVのほんだシステムが崩れてお金やら人やらの資源が流れて来るだろうと、もしかして国家は画策していたのではないかと考えられる。

AVもこれはオタクとは違って中高年しか観ておらず孤独な人々の間で循環していた。

システム的には孤独な中高年⇔AV(役者⇔スタッフ)という感じでごく小規模的に循環していたものだった。

AVが1兆円とかって言われていてこれに本邦のフェミ達が奴隷産業だとして潰しに掛かったのである。

しかしAVの現在はどうも数百億円くらいらしい。頑張っても1000億円だとも言う。

これが高いかどうかは分からない。

これを潰したところで少子化対策になるのか。

あぶれオスはあぶれオスでしかなく、彼らの財布を当てにしても意味はないだろう。

なぜ国家はこんな近視眼的な方法しか採らないのか。

オタクといい、AVもそうだが悉く失敗しているではないか。

そもそもAVは「孤独な中高年がターゲット」なので子供を産み育てると言った枠から外れているのである。

こうした彼らを少子化対策の構造の輪に引き込んでも若者と対立することになるし、決して建設的なものではないのだ。

誰がそうした“政策”を推し進めているのかは分からない。

しかしそうした“匂い”を感じる。

結局あぶれオスにも「男」になって欲しいということなのだろうか。

男女平等とはかけ離れた家父長制パターナリズムの復活ではないか。

今回のnoteはこのスレッドからの発展なのだが、正直これだけ見ても陰謀論でしかないだろう。

社会の健全化は社会の発展を目的として考えるのならば不健全なものは潰すべきというパターナリズムが横たわる。

少子化を加速させるような趣味、産業、娯楽を潰して一刻でも早く国力の恢復を狙うということを「かの人」にやらせたのだろうかと思う。

あぶれオスでいることも許されない。

オタク達は自分達を婚活ビジネスに巻き込まないでくれとして一夫多妻制の導入を提唱しているらしいのだが、多分これは無理だろう。

以前にも挙げたが一夫多妻制を導入したって少子化そのものの解決には至らないのである。

もう繰り返してなんか言わない。

国家はそう言うことも分かっているからこそ重婚の議論をしようとは考えてもないし、サポート中心に切り替えている。

順序が逆になっているが、孤独な中高年を婚活に取り込もうとする考え方は最早国にはないように見える。

若者と対立するから婚活支援をしない、就職支援もしない、早めに死なせて社会保障を食い潰させないようにすると言った感覚があるのではないか?

薄情だろうし、それこそトロッコ問題みたいで国家は自国の繁栄のためならポイントを切り替えることも吝かではないと考えられる。

家族支援のための税金優遇となれば、実質的な独身税となるのだがこうした孤独な中高年の労働力で経済や国家を支えると言った所だろうか。

繰り返すが岸田文雄首相は「独身者にも少子化対策に協力して貰う」と言った。

この場合の協力とは「金を出せ」ということで決して彼らに結婚して子供を作って貰おうとする考え方ではないのである。

いつまでもクレクレの弱者に甘んじていたら死ぬまで搾り取られるのである。

既に国家はそういう考え方である。

殺されたくなければ、生きろ。

生き抜け。

生きた証を残せ。

これらの作品はどんな世の中になっても“生き抜く”ことがテーマとなっている。

人は家畜でないならその枷を払うべきである。

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