時計の絵ばかり描いている
(あるおじいさんより伝言)
最近時計の絵ばかり描いているんです。
ばあさんの古い抽斗からでできた、セミハードの折れたパステルで。
そっと指でぼかすと、見慣れた楕円の、振り子の、八角形の、それぞれの時計が再現される。
時計はいつも見ていた。部屋の風景に馴染んで、なんら特別なものと思ったことはなかった。
ですが、その時計が壁にかかっていたある一時期に、いつも見ていたものだったんですね。
ごはん、テレビ、送り迎えやパスタの茹で時間、出発までの何分かや、長電話にしかめっつらしている間、それから、なんの用もないときにだってなんとなく眺めていたり。時計は人生のある一時期のことをまるごと覚えている あるいは想起させられるんです。ただの機械なのにその色味 形 木の あるいはスチールの プラスチックの 感触なんかで。
あの子のわらった頬のやわらかさや、ちちくさいようなにおいなんかも。家人のたてる、スリッパのぱたぱたいう音も。当時住んでいた部屋に射す日光に浮かび上がる、かすかなほこりくささなんかも。
だけど戻ってこないんです。どんなに上手に描けても。
手を動かして、えがいている間だけは、
時計のすがたかたちを通して、あの時間のなかにはいっていけるような気がするんです。
そのうちに老眼がすすんで、このスケッチだって、よく見えなくなります。
いつかは、わたくしもいなくなる。
それでいい、それで自然なんですが。なぜこんなに、描きたいのでしょう。わたくしには、わかりません。
とあるおじいさんより。伝言。
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