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ヴィーガンを表すのに最適な言葉は制限よりも自由だと思う

「最近生活にヴィーガンを取り入れるようになった」
という話をすると

ヴィーガンってこれは食べたらだめ!と制限されるよね、、、と懸念されることがほとんど。

それに対してすごく違和感があった。

私はむしろヴィーガンを選択することで自由を手にしている。



『今までは何が食べたいか』だけで食べるものを選んでたけど
ヴィーガンを知って
『何を食べて』×『何に投票するか』で
食べ物を選ぶようになった。


肉を食べるということは動物を殺すことに賛成の意を示す。


今まではそこまでの発想がなかった。
そこまでの責任を感じてなかった。


自分が肉を食べない・買わないことで
スーパーに売られてることに変わりはないから、と勝手に決めつけて。

だけど少し考えれば分かる簡単なことだった。

私がスーパーで肉を買えばスーパーにお金が入る。
→スーパーは肉がたくさん売れると肉をたくさん仕入れる。
→肉をたくさん仕入れると家畜にお金が入る。

=私が肉を買うことで家畜にお金が入る。

=私が肉を買うことは家畜に協賛すること。


ほんのあともう少し考えれば見えてたはずの世界を
見ようとしなかった。


だけど今はヴィーガンを知り
今まで見えていた世界から
さらに先の世界を見て
自分の行動を選択できるようになった。

私にとってヴィーガンは
食べるものの制限ではなく
食べるものを本当の意味で選ぶ自由。

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