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文系と理系

大学受験を考えだすころ
理系に進むか、文系に進むか、悩む時期が多かれ少なかれあるだろう。
御多分に漏れず、自分もそうだった。
本当のところは、歴史や動物に興味があったのだが、
結局ところ生活のために理系(工学)を選んだ。
それは生活の為であり、まあ今風にいえば「ビジネス理系」だったかもしれない。

しかし、それはそれでよかったと思う。
技術の進歩と共に歩くことができ
ほかのことは、それをベースに
読書や資格取得などで触れることができた。
端的に言えば、学びや経験は文系、理系など関係ないのだ。
強いて言うと、表現方法の違いではないかと思う。

最近は、博士よりPh.D.という称号が頻繁に使われるが
調べると「Doctor of Philosophyは、直訳すると「哲学博士』という意味です。語源をたどると、ラテン語のPhilosophiae Doctorに行きつきます」
https://techoffer.jp/rikeishukatsu/phd/)とのことだ。
要は、哲学なので、この世や見えぬ次元も含め、世界のとらえ方を
学び続ける能力があり、その際には、文系、理系の総合的に融合した解析力や表現力が必要で、それを言語化できる能力があると言うことだろ。

僕の周辺にいる真面目な理系の方々も、歳を重ねるにつれ
その総合力に増々磨きがかかっているように思える。
本当に秀でた人々は自然にそうなっていくのだろうと感じる。
例としては、
ノーベル物理学賞受賞者のウィルチェック氏、「宗教界のノーベル賞」を受賞

という方もいらっしゃる。また宇宙飛行士の中には
「アポロ15号で月に着陸したジム・アーウィン(1930~91)は、月面で「神の臨在」を実感したと語る。姿を見たわけではなく、声を聞いたわけでもないが、確かにそこにいるのがわかったという。アーウィンはその後、キリスト教系の伝道師となった」以下より

また、「数式の美しさ」という言葉もその一例はないだろうか。
さらに、仏教学者であり、花園大学文学部教授教授 佐々木閑先生の著書
「仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観」

でも、お釈迦様が科学的にこの世を説明されているとあり、現代科学と仏教哲学との相似性を説明されている。

いろいろと議論はあるのだろうかが、
あらゆる分野、美術、文学、心理学、歴史、地理、
数学、物理、化学、地学、医学、生物学などは
とどのつまり「人間」を最大、最高の興味の対象としているのではないと思うのである。

最終的に、目指すところは同じになるので
どの入り口から入ろうが、構わないのだ。
突き詰めれば、考え方が異なっても
自然と同じ空間に立つことになるだろう。

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