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【トヨタのセダンのデザイン】クラウンについて#2 〜ピンクのクラウンアスリート(前編)〜

もくじ
ピンクのクラウンアスリート
クラウンはクラウンだから(歴史編)
クラウンはクラウンだから(デザイン編)

ピンクのクラウンアスリート
 ピンクの塗装と共にクラウンアスリートは登場したことは皆さんの記憶に残っていると思われます。まさしく狙い通り『あのクラウンがピンク!?』という世間のざわめき。わかりやすくイメージを裏切ったピンクとは反対に、なんとも形容しがたいフロントグリルの変革。とげとげしたアウディ?レクサスの亜種?ワッペングリルのVW?だからといってなんでわざわざクラウンに?。。。一般的にトヨタデザインに関しては、世界のトレンドを先頭切って更新していく期待値は低いこと。加えてクラウンがトヨタのイメージを積極的にけん引していく立場ではなく言わば、長い社歴を示す落ち着いた存在です。つまり誰もがあの異形グリルが発する強烈なメッセージを言語化するのは難しかったと記憶しています。
大きなマスクで覆われたような顔は、クラウン本人の表情の機微を隠して、そのうえ本心を問わせない。問われても答えないだろう静かな凄みを持っていました。ただ、今までよりも繊細だけど、しっかりと遠くを見据えた眼差しは、クラウンにふさわしい落ち着きを放っていました。
だからなのかは疑問ですが、実物で見ると意外なほどその顔に違和感はなかった気がします。案外違和感がない事にびっくりもしていましたが。
 まぁこんな小僧が持つクラウンのイメージなんぞ、クラウンの歴史を持ってして何の意味を成すのかと。買えねぇし。
 本当は、最期はクラウンマジェスタであがりを迎えた私のおじいちゃんに感想を聞いてみたかったですね。高度成長を支えた男の勲章であり盟友ですから。クラウンは。

クラウンはクラウンだから(歴史編)
 改めて、なんでクラウンはセダンなのか考えてみましょう。―いや、やめておきましょう。クラウンに限ってその所以を具体的に追求するのは野暮ではないでしょうか。実はアメリカの車文化に影響され ―、うんぬん語ることはできますが、それ以前に私にとってクラウンはおじいちゃんの面影です。セダンを知るより前に“おじいちゃんの大きいクラウン”を覚えたと思います。皆さんはどうでしょうか。大抵の読者はクラウンより若輩者です。その起源を知っても遥か遠く。例えば街で出会ったクラウンに面影や痕跡を重ねるのは難しいでしょう。だからやっぱり『クラウンはクラウンです』としか、我々には語る余地はないのではないでしょうか。偉大です。

クラウンはクラウンだから(デザイン編)
 唯一無二の存在とは言え、街に出れば否応なしにその他後輩セダン軍の筋肉質な体躯との対比が目に入ってきます。狭い日本のための堂々のサルーンを表現すべく死守してきた3ナンバーで180㎝の全幅も、今や威を纏うにはやや小さくみえてきました。海外勢は言わずもがな。マツダ6だって、とっくに180cm以上の幅を手に入れています。

 ピンクのクラウン含む、クラウンのデザインの特徴を問われれば、まずはその他セダンの特徴を挙げて、その逆だと答えれば楽です。

[クラウン以外のセダンの特徴]※この逆がクラウンの特徴
―斜め後方に全体が引き上げられて若干絞られたような、流れるようなデザイン
―リアタイヤは絞られた上部とは相対的にグッと左右にせり出したデザイン
―リアウインドーは小さく高い位置に凝縮されている
―テールランプは左右の隆々としたタイヤの峰から回り込むように小さく配置

以下に図示してみます。

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 勘のいい人は既に思っているでしょう。そう。クラウンのデザインは端的に言って古臭いのです。伝統的な3ボックスという表現は目にしますが、つまりはセダンの存在こそ厳格で至高という肩書のこだわりを感じさせます。他のセダン軍が快適性と高い運動性能の両立を追求する手段としてセダンの装いを纏っているのに対して、クラウンデザインの内に潜む権威主義が暴かれます。
 権力の象徴である(あった)セダンと大きな体積でその存在を知らしめていたクラウン。ただ180㎜という幅は既に“大きい”部類ではないことは明らかです。全面的にスポーツ路線に変更していない装いを見ると、あの“顔”のなぞは“大きさ”に対して意味を見出せそうです。

つづく

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