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『煌(ひかり)の天空〜蒼の召喚少年と白きヴァルファンス』 第27話 霧の向こうの集落へ

「なー、あれなんや? 太陽がぎょうさんあるように見えるんやけど」

 走るそりの上で、達月たつきがのん気な声を上げる。

「ひとつはほんまもんの太陽で、もひとつはワイが投げた『光架こうか』の太陽。それ以外に、ちっこい光がいくつか見えるんや」

「ああ、あれは『幻日げんじつ』ですねえ」

 達月の襟元えりもとから、ハムがひょこっと顔を出した。

「太陽光が、氷の結晶で屈折して見える現象ですよ。太陽の左右に小さな光が現れるんです。今日は凄いですね。本物の太陽と達月くんの太陽、両方にそれぞれ幻日ができてますよ!」

 太陽の高度や氷晶の量など、絶妙な好条件が重なった時にしか見られない天体現象だ。細かい原理はわからなくとも、複数の太陽光による幻想的な空の光景は、メンバー全員の目を楽しませてくれた。

 そりが走るうちに、幻日ははかなく消え、空を覆う視界が徐々にぼやけてきた。霧が発生している。

 霧は走るごとに濃くなっていき、二つの太陽も、周囲の景色もあっという間に覆い尽くしてしまった。
 こちらも幻想的な光景には違いないが、数メートル先も見えないのでは走行に差しつかえてしまう。折賀おりがが指示するまでもなく、ゲイルとブレイズは走行スピードを落とし、それぞれのそりを停止させた。操縦者マッシャーの方を振り返る二頭の顔が、困ってるように見えるのは、気のせいだろうか。

「視界が悪くて止まったんか?」

「いや、二頭はこのくらいの霧なら平気で走る」 

「ここ、今まで走ってた道じゃないけど、あってるの? って聞いてるよ」

 達月と折賀の会話に、もう一台のそりから降りたシェディスが入ってきた。

「ワイら、違う道に入っとったんか?」

 達月の問いに折賀が答えるより先に、蒼仁あおとが前方を指さした。

「折賀さん、あれ……」

 全員の視線がその方向へと吸い寄せられる。蒼仁が示した先に、ぼんやりと何かの黒い影が浮かび上がってきた。人のように見えて、明らかに人ではない何か。

 歩いて近づいてみると、それは高さ十メートルを越える、巨大な「積み石の固まり」だった。

「ハイウェイの真ん中に、なんでこんな物が?」

「これは……『イヌクシュク』だ」

 名称を告げながらも、折賀の声には疑念がにじんでいる。
 人の身長ほどのイヌクシュクや、それより小型のイヌクシュクならここまでの道中に何度か見かけていた。が、このサイズのものがここに現れるのは想定外だったらしい。

「まさか、こんなんまでいきなり襲いかかってはこんやろうな? 氷も炎も記憶も影響せん怪物や、戦うとなると手こずると思うで」

 目の前の人型の建造物が、関節のない手足を振り回して襲ってくる図は、想像すると恐ろしいというよりかなり滑稽こっけいだ。
 後ろに回ってみようと歩き出した蒼仁を、シェディスが止めた。
 彼女が「もと狼犬おおかみいぬ」であることを、改めて思い出させるようなしぐさ。鼻をひくつかせて、しきりに何かのにおいをかぎ取ろうとしている。

「シェディス?」
「これ……『あれ』のにおいだ」
「え?」
「私の、母親……『ヴィティ』の、におい」
「え!」

 反射的に声を上げた蒼仁は、今までは聞こえていなかったはずの音の流れに気づいた。
 水の音だ。広大な空間を、大量の水が流れていく音。
 
 少しずつ、視界が開けていく。
 巨大な『イヌクシュク』の後ろの景色が、音とともにはっきりと実体を現し始めた。

 流れているのは氷だった。果ての見えない水面を、ある地点ではゆっくりと、別の地点では急速に流れていく、白い流氷。
 青い水面と白い氷面、二色だけの世界が見渡す限りどこまでも続いている。

「海、ですね……」

 ハムのほうけた声に、折賀の声が重なる。

「そんなはずはない。海はまだとうぶん先だ。どこかの湖……だと思うが、こんな場所は見たことがない」

 折賀は通行止めになる前にハイウェイ上を車で北上したことがあり、大まかなルート、景色を頭に叩き込んでいた。
 どこかで道を外れたのだとしても、ここまで広大な湖は地図に記されていない。距離的に海であるはずもない。さらに、このサイズのイヌクシュクがこの辺りにあるという情報を聞いたこともない。

 未知の場所なら、わかる場所まで引き返すしかない。折賀がチームに指示を出そうとしたとき、背後から覚えのない声が聞こえてきた。

「お待ちください。せっかくいらしたのですから、少し休んでいかれませんか」

 流暢りゅうちょうで、柔らかい響きの日本語。
 振り返ると、分厚い毛皮の上着を着こんだ女性がひとり立っていた。

  ◇ ◇ ◇

「……あなたは?」

「この辺りで猟を生業なりわいとしています。皆さんにイヌイットと呼ばれる者ですよ」

 黒髪の小柄な女性は、若いようにも少し老いたようにも見えて、年齢の推測が難しい。顔立ちは日本人とあまり変わらず、同じモンゴロイド系である北極圏の先住民族・イヌイットだと言われれば納得できる。
 全身をすっぽりと覆う毛皮の上着は、ふかふかと毛足が長くとても温かそうだ。イヌイットが伝統的に好んで着る、カリブーの毛皮なのだろう。

 シェディスがさらに鼻をひくつかせる。

「この人だ……」

「『ヴィティのにおい』?」

 蒼仁の問いに、かつてないほどに眉間にしわを寄せたシェディスがうなずき返す。
 女性は、何食わぬ顔で流氷の上を指さした。

「ほら、あそこ。セイウチですよ」

「あ!」

 女性の言うとおり、いつの間にか氷の上に珍妙な海獣が横たわっていた。それも五頭。
 危険な長い牙を持つにも関わらず、どこか間の抜けたように見えるぼてっとした丸い姿。体重は一トン近くある。

「セイウチの肉は美味しいですよ。茹でてもいいですが、生で食べる方がビタミンを効率よく摂取できます。牙は工芸品の材料になります。ほら、これ」

 彼女は上着の袖から白い小さな物を取り出して、蒼仁に見せた。ひもを通してある、動物型の彫刻のようだ。

「これ、狼?」

「そうです。私が彫ったものです。狼のトーテムは知恵の象徴。賢いあなたにふさわしいシンボルです。どうぞ、差し上げますよ」

 女性の両手が、ひもを蒼仁の首にかける。
 折賀が睨み、シェディスが警戒しているにも関わらず、なぜか嫌な感じはしなかった。

「あ、ありがとうございます……」

「よろしかったら、私の家へ来ませんか。伝統料理のキビヤックをご馳走しますよ」

「キビヤック!」

 ハムがすかさず反応する。どんな料理なのか不明だが、折賀は構わずに問い返した。

「それよりも、ここがどこなのか教えていただけますか。把握していた地理と全く違うのですが、ここはイヌイットの居住区ですか」

「政府に指定された居住区ではありません。私は先祖代々ここに住んでいます。ここはトゥクトヤクトゥク。あなた方が目指しているイヌヴィクよりさらに北、海沿いの集落です」

 折賀はため息をついた。イヌヴィクまでは、早くても三日はかかる計算だった。途中で動物霊や野生動物に襲われたら、さらにかかるだろう。それよりもさらに北へ、一瞬で移動してしまったというのか。

「なぜ、我々の目的地を知っているんですか。それに、なぜ日本語を?」

「それもすべて、私の家でお話ししましょう。こちらですよ」

 女性は背を向けて歩き出した。

「道中のイヌクシュクが、あなた方をここまで導いてくれたのでしょう。歓迎いたしますよ」

「折賀くん、行きましょうよ~。お話たくさん聞きたいですし」

 ハムの顔にははっきりと「伝統料理キビヤック」と書いてある。

 霧が作り出した異空間へ入り込んでしまったのか。本当にイヌクシュクに導かれたのか。それともすべてが幻か。

 折賀が警戒するのも無理はないが、シェディスは「行こう」と言って歩き出した。彼女の言葉に押されるように、達月も「ワ、ワイも行くで!」と、シェディスの後について歩き出す。

 蒼仁はゲイルとブレイズに目をやった。
 二頭とも、何かを言いたげにシェディスの後ろ姿を見やっているが、警戒心や敵意は感じられない。二頭もシェディスと同じように、ヴィティのにおいを感じたのかもしれない。

「折賀さん、ゲイルとブレイズも危険だとは感じていないようですし、行ってみませんか」

 もらったトーテムを握りしめながら、蒼仁は折賀の腕を引いてうながした。

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