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#17 エジプト珍道中 回る回る回る

地球の歩き方を見ていると、一枚の写真が目に飛び込んできた。

りっぱな口髭をはやしたおじさんが、スカートをはいて回っている。実際には写真だからもちろん静止していた。だが、足元まですっぽり隠れてしまうほど丈の長いスカートが、遠心力でふわりと浮いて、下をむいた朝顔の花のように円錐を描いてひろがっていたのだ。

写真の下には「旋舞」と書いてある。調べてみると、イスラム神秘主義スーフィズムの祈りのひとつで、回り続けることで魂が抜けたようなトランス状態となり、神との一体感を感じていたのがはじまりだという。その儀式がエジプトに伝わり、土着の民族楽器を使ったアップテンポのリズムで演奏したり、派手なスカートを身にまとったり、エジプト風にアレンジされたものがこの踊りらしい。このあたりでは「タンヌーラ」と呼ばれている。アラビア語でスカートを意味する言葉だ。

現在は週に三回、旋舞ショーが見られると地球の歩き方に書いてある。私と妻はエジプト滞在の最終日、旅の締めくくりとしてショーを見に行くことにした。

陽が沈みはじめるころ、会場に着いた。場所は、土産物屋がひしめくハンハリーリ市場から大通りを渡ったところにある比較的にぎやかなエリアだ。五百年を超える歴史があるスルタン・ゴーリーのウィカーラというところで、もともとはラクダや馬で荷物を運んで交易していたキャラバンの商人のための宿だったらしい。タンヌーラの舞台は、宿の土壁に囲まれた中庭だった。見上げると空が高く抜けて気持ちいい。

いよいよ開幕。頭に白いターバンを巻いて、白いガラベーヤを着た男たちがずらずらと舞台にあがり、横一列に並んだ。下手から順に弦楽器一人、管楽器二人、打楽器七人。見たことのない楽器ばかり。弦楽器から順番にソロがはじまる。それぞれの楽器はこんな感じだ。

  • 弦楽器(ラバーバ)。弦をひくところを腰にあてて固定し、立ったまま胡弓のように弓をさばく。砂漠をとぼとぼ孤独に歩くような哀しいメロディ。棹の左右にひとつずつ、キウイのような細工がついている。

  • 管楽器(ネイ)。葦の茎でできた笛。長さはリコーダーくらいだが、縦笛でも横笛でもなく斜めに構えている。かすれた音。こちらも哀愁が漂う。尺八の音に似ている。

  • 管楽器(ミズマール)。木製の縦笛で、先がラッパのように開いている。ビービー、ビービー、圧を感じる大きな音。屋台ラーメンや豆腐の流し売りでなじみのあるチャルメラの元祖らしい。

  • 打楽器(ダラブッカ)。胴がくびれた筒状のかたちで、小型のスツールくらいの大きさ。肩にストラップをかけて脇に挟んでいる。カンカラ、カンカラ、高く乾いた音。

  • 打楽器(ダフ)。見た目はタンバリンに似ているが、肩幅くらいの大きさで、まわりにジャラジャラした鉦はない。叩く場所を変えて、和太鼓のような重い音からリズミカルな軽い音まで幅広くカバーしている。

  • 打楽器(サガト)。真鍮でできた小さなシンバルみたい。カスタネットくらいの大きさ。親指と中指ではさんで打つので、指シンバルともよばれている。

目をひかれたのは指シンバルのサガトの男性だった。バレエダンサーのようにステップを踏みながら、指シンバルで拍をとる。どういう足さばきをしているのか速くて見えないが、アイススケートの最後の盛り上がりみたいに背筋をぴんと伸ばした身体を軸に高速回転しながら、シンバルを打ち鳴らしていた。

最高潮に達したオープニングの演奏がぴたりと止むと、つかのまの静寂のあとに拍手が湧きおこる。妻も私も、三十分くらいのちょっとしたショーだろうと甘く見ていたので、その迫力に圧倒されていた。すごいね、すごいねと妻と盛りあがりながら次の演目を待っていると、左耳に思いがけない音が飛びこんできた。

「すごいね」

日本語だ。まわりに座っているのは地元の人や欧米からの観光客が多く、飛び交う言葉は、アラビア語、英語、スペイン語などが多いのだが、左から聞こえたのは紛れもなく日本語だった。ちらりと見ると、私の左隣りには頭をスカーフで覆ったムスリムの若い女性がいて、さらに左にアジア系の四十代半ばの男性が座っていた。おそらくこの男性が日本人なのだろう。二人は日本語で会話をしていた。まわりには、女性の親戚家族だろうか、地元のおじさんとおばさんが四人ほどいるようだった。どういう関係だろうか。この二人は夫婦で、日本で暮らしているが久しぶりに妻の母国に帰ってきたので、家族みんなでショーを見に来た、みたいな感じだろうか。

左のグループに気を取られて、あれやこれやと妄想しているうちに、気づけば再び舞台がにぎやかになっていた。いよいよ踊りがはじまるようだ。舞台の中心に男が現れた。白一色の薄手のガラベーヤとはちがい、茶、赤、黄など多彩な色が散らばった分厚い冬物のコートのような衣装をまとっている。顔には口髭はない。地球の歩き方の写真とちがって濃い顔のおじさんではなく、さわやかな壮年の男性だった。そのまわりに、先ほどの鉦がないタンバリンではなく、今度は鉦がある巨大なタンバリンのような楽器(レクというらしい)を持った男が五人、踊り子を取り囲んでいる。

踊り子がゆるやかに回転しはじめる。反時計回りだ。ステップを踏みながら少しずつペースをあげてゆくと、やがて、スカートの裾がふわりと浮いた。裾からのぞいて見える布地は、絨毯かと思うほどの厚みがある。かなり重そうだ。夏は暑いだろう。それでも男性の回転速度は右肩上がりだ。そして、スピードが最高潮に達したとき、思わぬことが起きた。腰の高さで水平に開いていたスカートの裾が、高まる遠心力でさらに重力に逆らって、男性の身体からすっぽりと抜けた。なんと男性はスカートを重ね着していたのだ。身軽になった男性はさらに速度を増していく。右腕を頭のうえに掲げ、左腕を水平にのばしながら、ひたすらに回り続ける。このポーズには意味がある。天からの神の恵みを避雷針のように突き立てた右腕で受け、左腕を通じて観客に届ける、ということらしい。

しばらく時間がたった。もう二十分近く回り続けている。スピードはあるときを境に少し落ちてきたように感じる。それに合わせて音楽のテンポも落ち着いてきた。そろそろ脚がつりそうなのではないだろうか、目が回って気持ち悪くなっているのではないだろうか。だが、そんな心配をよそに踊り子は恍惚の表情を浮かべていた。神をびんびん感じているのだろうか。男性は三十分ほど回り続けて、疲れを見せることなく舞台を降りた。

しばしの休憩。左のほうが何やら騒がしい。視線を向けると、先ほど日本語が聞こえた家族の一行が座席から立ちあがっていた。どうやら日本人らしき男性とその隣の若い女性を残して、まわりの家族だけ先に帰るようだ。別れのあいさつを交わしている。言葉はアラビア語だった。でも家族が去って二人きりになると、また日本語で話しはじめた。私と妻も日本語で話していたので、お互いが気づいていたかもしれない。声をかけようかとも思ったが、舞台がまたにぎやかになったので、視線を戻した。

次は三人の踊り子が舞台にあがった。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。ステンドグラスのように様々な色が散らばった幾何学模様のスカートをはいて、三者三様の装いだった。一斉に回りはじめる。今回の三人のスカートは、先ほどよりもさらに布地が分厚い。何枚重ね着しているのだろうか。

ぐんぐん加速して、さっそく一枚目の衣装替え。先ほどはすぐに脱いでしまったが、今回は遠心力で浮いたスカートをそのまま頭上に移し、両手で器用に支えながら回し続けている。ピザ生地を伸ばしているみたいに。さらに、二枚目の衣装替えも終えると、照明を落としてブラックライトを当てているのか、特定の色だけが光って見えた。

いよいよフィナーレが近づく。三枚重ね着していたスカートを順に脱ぎ捨て、最後の一枚になった。すると、背負っていた重荷を振りほどいて身軽になったのか、動きがより一層激しくなる。これまで、円を描くスカートは水平にひろがっていたのだが、腰をくいっと捻って回転軸を傾けると、スカートの円が垂直に立ち、万華鏡をのぞいているようだった。

三十分ほどで終わると思っていたのに、一時間をすぎ、一時間半をすぎ、気づけば二時間も越えようとしていた。もうすぐ九時。まだ晩ごはんを食べていない。そろそろどこかで腹を満たして宿に戻らないと……。しかし、舞台のうえでは、神の恵みを受け続けてトランス状態に覚醒した踊り子たちが、目をバキバキに光らせながらスカートの円を縦横無尽に振り乱し、その渦を見つめる私は、眼の前で人差し指をくるくる回された蜻蛉のような気分になり、眼がくらくらしてきた。

いっこうに終わる気配はない。


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