すべてのイノチは、「zero時場」から、生まれています。 死なないイノチ 人間は、例外なく死ぬので、死なない肢体というものはないのです。 動植物など、目に見える物は、死んで見えない世界に入ります。 精神は、初めから、見えないので、死んでも変化が分かりませんが。 人は誕生によって、肢体に精神を宿します。精神性は、気の波動の中に作用しています。 人は肢体をたたき台にして、精神を養います。特に反感の感情が、修行の対象です。( 嫌なこと、寂しいこと、怖いこと。怠惰なこと。
🔶 みんなが 幸せになれる 量子ジカン 量子ジカン⇒ ジカンは,いつも静止していて、ジカンを意識した時に、現れる。 ジカンは、無限であり、瞬間でもあり、伸縮自由で メビュウスの環のように輪廻している。 象には、象のじかんがあり。ネズミにはネズミのじかんがあるように。 私には、ぼくの自由なジカンがあります。(誰にも束縛されていない) 🔶 実在するものは、それぞれ固有のジカンを持っています。 時間と容積(場)は、一体であり、分離し
【森の学び舎】 ⇒ 「はないかだ協同体」 ① 森のくまさん 🐻 野山に眠っていたくまさんが。小川の水が飲みたくなって、目をさましました。東の空が虹色に流れて、スギナの葉先の水玉が、どこからやってきたのか、考えていました。 いつも自給自足の生活なので、美味しい木の実を探しに小川を上っていきました。ドングリや、栗の実や、胡桃が、朝の食事になるとは限りません。 もりの奥には、くまごろうが住んでいます。 ② 人生の根っこの部分は、幼児期の体験です。 今、「
わたしと小鳥とすずと わたしが両手をひろげても、お空はちっともとべないが、 とべる小鳥はわたしのように、地面をはやくは走れない。 わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、 あの鳴るすずはわたしのように、たくさんなうたは知らないよ。 すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。♫ 町田の版画館前にある、はんてんぼく、秋が深くなると、美しい枯葉が、かさこそと、なり始める。数枚拾ってみると、みんな違って、みんな美しい、春夏
星とたんぽぽ 詩・ 金子みすゞ 青いお空のそこふかく、 海の小石のそのように、 夜がくるまでしずんでる、 昼のお星はめみえぬ。 見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。 見えぬものでもあるんだよ。 日常では、100%見える世界で生活していますが、意識を変えれば、100%、見えない世界に居ることになります。 隣の家で犬がないた。あれどんな犬。雲の上を飛んで
金子みすゞさんの世界をしると、ゆたかな気持ちになれるのでしょう。 ・こだまでしょうか 「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、 いいえ、だれでも。 学生時代に、よく、奥秩父の山に行った。 雲取山から、甲武信岳までの秋の稜線が好きで、色々と思い出すことは、いつも、小さな事
写 真 集 小屋をつくる・・ピザ窯をつくる・・お米を作る 縄文を踊る ・・ 縄文文明に学ぶ 「もりの学び舎」では、衣食住の自給自足の体験から、スタートしました。 電気もガスも水道もないところからの。生きるのに、一番大切なものは、飲み水です。 泉に行って、水をくみ、飲料水から、露天風呂まで。ガスがなくても、薪があれば、煮炊きができました。 夏は涼しく、冬は暖かい、縄文のような竪穴住居をつくりたい。