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上から学ぶから横から学ぶへ変化している

「学ぶ」とは学校だけではなく資格や仕事や趣味など幅広い。

以前このようなツイートをした


日本の社会人の平均勉強時間はわずか6分と言われている。

しかし学ぶことは年々多様化している。

今ではインターネットを使えば、教材を閲覧できたり記事を読んだり、さらには少しお金を出せばわざわざ外出をしなくても、個人レッスンやオンラインコミュニティで同じ仲間と切磋琢磨する、横とのつながりでも学ぶことができてしまう。



そういった流れからか、今は中学生ぐらいの年齢でもミュージシャンとして活躍もできてしまう。

それは、独学で学べる環境と発信媒体が豊かになった環境のおかげもあって、いわゆるバズって注目を集めれば比較的昔と比べてデビューしやすくなっていると感じる。



そんな今と昔の”学ぶ”といった環境の変化を書いていきます。


それではいきます。



昔は当たり前だったパワハラ

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私自身は平成の初期の頃、義務教育を受けていた。

昭和の終わりから平成初期は、現在と比べクラスも人数もそこそこ多かった。

当然ながらその人数を一人の先生が取り仕切るので、それなりの手荒いこともあったと思う。



クラスにいる言うことを聞かない生徒には、廊下に立たせるには当たり前だが、チョークが飛んできたりゲンコツが飛んできたりは当たり前。



今となってはすぐにスマホで動画撮影もできてしまうので、教師もなかなか手荒いことをするのも少なくなってきている。それもそう、今は生徒に何かあったもんなら担任教師は袋叩きにあったりなど苦労するからだ。




私が小学4年生の頃についた担任教師の話をすると、少しでも勉強が遅かった子に対して「なぜそんなことができないんだ!!」と強い口調ではなったあとは必ずゲンコツだった。

当然そんなことが続くわけでもなく”一応”は校長から注意はされただけで済んだが、今考えると一発で問題が大きくなると思う。



全く肯定もするつもりもないが、逆を考えたらそんな教師がいるから学習の平均も上がっていたのではないだろうか。

「あの先生が怖いから」

目的は違うけれどそれで勉強に取り組みざる得ない環境だったと思う。


それは学校教育に限った話ではなく、社会人にも一種のパワハラと呼ばれる行為は横行していた。

そこまで問題視はされていなかったものの、良くも悪くも上から教えつけるといった行為が横行していたのも事実である。その当時よくゲンコツを頭にくらっていた私の感覚ではそう感じた。



現代は学ぶ資源が豊富

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現代は学ぶ環境資源は豊富だ。

自ら学ぼうと思えば無料でネット記事やYouTubeで学べる。

それを表した話を一つ紹介しよう。



とある少人数で行われたコミュニティ内での料理対決があった。

内容は3人の出場者がオムライスを作って誰が一番美味いかを競うちょっとしたコンテストだ。

一人は料理経験者、一人は料理は少ししたことある脱初心者、一人は全くの未経験者。

この中で誰がコンテストの一位をとったと予想するであろうか?



答えは、料理を全くしたことない未経験者が優勝をしたのだ。



どうしてこのようになったのかというと、まず少し料理をしたことある脱初心者は勘を頼りにして作った物で、見た目、味ともに評価が難しい仕上がりに。



そして料理経験者は食材にこだわりすぎて、かえって味が全くしない仕上がりとなった。



そして優勝した未経験者はなにをしたかと言うとなんと、開始3時間前から必死にYouTubeでオムライスの作り方をインプットしその通りに作業をしたのだ。



それが見た目も味も文句もつけようがなく見事優勝。ネットで学んだ成果をマジマジと見せつけた結果になった。



このようにネットで学ぶとは効果も強いのだ。



今は中学生でも音楽デビューをしてしまうほど才能の開花は早い。

昔はミュージシャンになろうとしたら、オーディションに受けたり専門学校に通って学習をしてきたが今は違う。

誰でも独学が始められ学習ツールも豊富だ。さらにSNSの広がりもあいまって誰でもチャンスが掴める。さらにほとんどが無料でできてしまうので、お金がない学生もチャンスが掴める。



独学で挑戦できる環境が整った分、教育の段階で押し潰されることなく才能が開花されやすくなったのではないだろうか。



そんな観点から、昔のように泣きながら教育を受けていた時代から今は自ら学び、それらを切磋琢磨する繋がりも安易にできている。上からの学ぶより横か学ぶことが普通になってきていると感じている。



恵まれた環境から起こる格差

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ここまで環境が整い誰でも好きな時に学習ができるようになったものの、その反面もある。



それは以前のようなパワハラのような命令する人がいないので、今度は学習する人と学習しない人の差が広がってしまうことだ。



肯定はしないが叩き上げをする人がいる一方でそれが平均をあげていたとも言える。



今では自ら学習をして起業や仕事をし自分の力で年収をあげている人も多いが、学習をしない、学習がキライな人もいる。そうなると注意する人もいないので、そのままレベルがあがらず放置されてしまうことも起こるわけだ。


となるとその分格差の進行も生じてくる。



そこは難しい問題でやりたくない人に無理やり学習させるわけにもいかない。それが幸せとも限らないからだ。



仮にベーシックインカムが始まり全ての人に月20万円支給され、向上したい人は独自で学習をするべきなのか?とも考えられる。



しかし多様性として考えると全員が全員学習して上を目指すのが幸せなのか。それも違う気がする。

ならば努力したくない、努力できない人がそのまま暮らせる世の中が多様性なのか?ある意味学ばなくてもいい社会が多様性なのか?


学ぶというのは一つの選択肢として定着をしていくのか。



これについては難しい問題であって今は答えがないと思う。と言った今回のお話でした。



ここまで読んでくださりありがとうございました。



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