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名もなき病(やまい) №3

義父の葬儀を済まして、まだ家の中も片付かず落ち着かない頃義母が言った。
「心療内科ってところに行ってみるように勧められた。」
だから行ってみたいと…。

80歳近い義母はほとんど家にいて、出かける時は嫁である私が付きそう。
一人で出かけるのはデイサービスだけ。
おそらくそこで勧められたのだろう。

「どこか調子が悪いんですか?」
「じいさんがいなくなって寂しいって言ったら、そういうところがあるから行ってみたらどうかって…。」

長年連れ添った夫が亡くなったのだ。
寂しいのは当然だろう。

しかし、義父はずっと入院したままで、ここ数年は意識が戻らない状態が続き家には帰ってきていなかった。
義母は歩行が一段と困難になり、外出は車いすを使用することが増えた。
そのため、義父への見舞いも数えるほどしか行っていない。
日常生活だけに限って言えば、義父の亡くなる前後で大きな変化はほとんどなかった。

葬儀でデイサービスをお休みしたため、訃報を聞いた職員の誰かがメンタルケアの一環としてそういう話をしたのかもしれない。

義母の一日は元の生活リズムに戻っていたが、私は葬儀後の疲労で寝込んでからやっと起き上がったタイミングだった。

足の悪い義母の病院の付き添いは手がかかる。
月に一度のかかりつけ医へも、手取り足取りで介助しながら半日仕事だ。
それに近隣に一軒しかない心療内科は混雑することで有名で、数時間待たされることは覚悟しなければならないだろう。
正直なところもう少し後にして欲しいと思った。

「それって、すぐですか?」
「うん。」
「すぐって、今日ですか?」
「…明日はデイサービスだから、行くなら今日かな。」

ため息が出たが仕方なかった。
もしかしたら本当に、デイサービスの職員が見て心配するほど気鬱な状態なのかもしれない。
自分の体調を優先して義母の病院の先送りは出来ない。

「じゃあ、行ってみますか?」
「うん。」
「すごく混むみたいだから、何時間も待たされるって噂だけど大丈夫ですか?」
「うん。」
いつものように義母は、あらぬ方を見つめたまま背中を丸めて短く返事をした。

義母は私に何か頼む時、あまり良い反応がないと私の顔を見ない。
見ないまま同じ頼みごとを繰り返す。
私が折れるまで何度も繰り返す。
もうすっかり慣れたやり取りだ。

今日は娘たちも小学校へ行っている。
下校は16時くらい。
いくら何でもそれまでには帰れるだろう。

重い腰を上げ、自分の身支度を整えに二階へ上がる。
階段を一段上がるごとに倦怠感で顔が下を向いていく。
疲労が抜けきらず内蔵に蓄積しているのが分かる。
だるい。


準備を済ませた義母の足に靴を履かせ、車を玄関に横づけする。
後部座席のドアを開けると、義母が頭から這う様に入っていく。
上半身が入ったところで一旦動きが止まる。

「いいですか?」
「うん。」
義母の右足首を持ち、膝が座席の上に乗るように加減をしながらゆっくりと押し上げていく。
膝がしっかり乗ったのを確認してから、更に奥へ滑らせるように押し込むと義母がお尻をつきながら上体を返して背もたれに寄りかかる。
クロスした両足をほどいてあげて、足裏がしっかり床に付くようにして置く。

義母はこの乗り方以外を受け付けない。
四つん這いで頭から乗り込まないと車に乗れないという。
そして自分では上げられない足を、私に持ち上げさせる。
この足を待つ役目も、私以外はダメだと言って譲らない。

バックと杖を両ひざの間に持たせて、ゆっくりドアを閉めるとまたため息が出た。
今から何時間後に、ここに戻ってこられるだろう…。


心療内科が混んでいるのは、駐車場の混み具合ですぐ分かった。
ちょうど出ていく車があったので急いでそこに止めた。
しかし、病院の入り口までは距離がある。

「歩けますか?」
「…どうかな。」
「車いすがあるか聞いてきますね。」

受付で尋ねると、車いすはあるが待合室が混んでいるので車の中で待つように言われ、初診の問診票を渡された。
確かに待合室は空席がほとんどない。
ここに車いす一台と私が入ってきても居る場所はないだろう。

心療内科の問診票には沢山の質問が書かれていて、手に力が入りにくくなった義母の代わりに私が聞きながら書いた。
受付に提出する際に待合室の様子を確認すると、先ほどとすっかり同じ様子だった。
誰かが呼ばれて診察室に入ったり、会計を済ませて帰った人はないようだった。何時間も待つという噂は本当のようだ。

車に戻り中の様子を伝えた。
待つことが苦手な義母がどう思うかと様子を伺ったが、仕方がないと言って背もたれに寄りかかった。

『もう今日は終わりだな。』
何時に帰れるか分からないが、少なくともお昼は過ぎそうだった。
戻ってすぐに昼食の支度をして、義母の食べ終わりを待って片付ける。
洗濯物を取り込んで畳みながら仕分けしている内に、子供たちも帰って来るだろう。

自分の時間は今日も取れそうにない。
車の中でやることも特にないが、かといって後部座席の義母をほったらかして仮眠をとることもはばかられた。

会話の合間にそっと目をつむる。
僅かでも頭を休めたかった。
イライラしては家に帰るまで心が持たない。

受付から携帯に連絡が来るはずだが、鳴る気配はなかった。

話題がなくなり、静かな車内で同じやり取りが何度も繰り返された。
「随分かかるなぁ。まだ呼ばれないのかな。」
「混んでましたから。まだまだじゃないですか。」
「こんなに待つのかなぁ。」
「心療内科はここ一軒ですから、混むんでしょうね。」

ゆっくりと時間が過ぎていき、義母が顔をしかめながらもぞもぞと座り直した。
「トイレに行きたくなった。」
「…車いすを借りてきますね。我慢できますか?」
「大丈夫だと思う。」
受付に話をして車いすを借りた。

手を引いて車からおろし、開いたドアにつかまらせる。
筋力低下で震えながら立っている義母の背後に、車いすをゆっくり押しあてる。
ひじ掛けを確認して義母が恐る恐る腰かける。
足置きを出し義母の足を持ち上げて乗せる。
深く腰掛けられるよう、後ろに回り込み脇の下に手を入れて体を引き寄せた。
車いすを少し移動させてからしっかりブレーキをかけ、後部座席のドアを閉め、自分のバックを取りに運転席へと小走りに回り込んだ。
車にロックをかけて、また義母ところへ戻り車いすのハンドルを持ってゆっくり押し始める。
息が弾んで汗ばんできた。

ああ、だるい。

受付に声をかけてトイレを借りた。
乗せた時と逆の手順で義母を車いすから下ろし、個室まで手を引いた。
終わったとの声で、中に入り身支度を整えてまた車いすに腰かけさせる。
義母の衣服や借りた車いすに汚れが無いことにほっと一息つきつつ、受付に戻りお礼を言った。

車に戻る時に見た待合室の様子は、さっきと何一つ変わっていないように見えた。
『あれから一人でも診察が終わった人がいたんだろうか…。』

義母を車内に戻し、車いすを返却して運転席に座ると額に汗がふき出た。
ため息が後ろに聞こえないよう、吐く息を細くして震えながらシートに寄りかかった。

「混んでたっけね。」
「あぁ、そうでしたね。まだまだかかると思いますよ。」

やっぱり今日は帰ろう。
そう言うかもしれない。
淡い期待が浮かんだ。

「お腹がへったなぁ。」
「え?」
「待ってたらお腹が減ってきた。」

義母もさっきの待合室の様子を見たのだろう。
まだまだということは分かったようだったけれど、受診をやめる気にはならなかったらしい。

「今のうちに何か食べに行ってきますか?」
「そうだね。」

外出する旨を受付に伝える際、ダメもとで聞いてみた。
「今日は帰って、後日また受診することは出来ますか?」
「お帰りになるのは構いませんが、受付は当日限りなので後日いらっしゃった時はまた最初から受付することになりますよ。」
「…分かりました。食事を済ませて戻ってきます。」

どんなに時間がかかっても、今日診察を受けてしまう方がいいようだ。
後日また一からやり直すのは御免被りたい。
泣きたいような気持で車に戻り、義母に何を食べたいか聞きながら出発した。

戻ってきた時に、この駐車スペースももう埋まっているかもしれない。
医院の入り口に横付けして本人だけ下ろすことが出来ればいいのに。
そうしたら後は車内で待機して、他の車に邪魔な時だけ移動させる。
そんな風にしている他所の人を見たことがある。

『いいなぁ。』そう思った。
『いいなぁ、楽そうだなぁ。』


回転すし屋に行くと、ここも混雑していた。
カウンター席ならすぐ案内できると言われ考えた。
義母はもう待つのに飽きているようだし、さっさと食べて車に戻った方がいいのではないだろうか。

「今日は二人だけだし、混んでいるからカウンターにしましょうか。」
「…大丈夫かな。」
いつもは家族で来て、テーブル席のソファにしか座ったことがない義母は不安そうにカウンターの椅子を見つめた。

義母は家でも外食でも、テーブルに手をかけて前かがみになって食事をする。
背もたれはほとんど使っていない。
しかし、カウンターの椅子に背もたれが無いと認識してしまったせいで、不安が大きくなったようだった。
それでも待っている人の多さを見て渋々了解した。

店内はお客さんや店員さんが行き来して、狭い通路が更に狭く感じた。
義母は杖をつきながら私につかまり、ゆっくり歩いてカウンター席へ向かった。

何を食べたいか聞きながら、箸やお醤油、お手拭きなど準備する。
取ってあげたお寿司を何皿か食べるとすぐ義母は箸を置いた。
「椅子がいつもと違うから座っていられない。」

テーブルにつかまり、ふらつきながら立ち上がった。
混雑している店内の通路の真ん中に杖をついて立ち、このまま少し休むといった。
「大丈夫ですか?」
「立っている方が楽なんだよ。少し休んだらまた戻るから、食べてていいよ。」
そうは言われたがすっかり放っておくことも出来ない。
店内の客の何人かがこちらを珍しそうに見ていた。

目を離さないように何度も振り向きながら、急いで一貫ほおばる。
味が良く分からないまま、お茶で喉の奥に流し込む。
空腹感はあったが、食欲を満たすより早くこの状況を何とかしたかった。
義母に席に戻ってもらうか、いっそ切り上げて車に戻るか…。

「少し良くなった。」
しばらくしてカウンターに戻って来た義母を介助して、しっかり椅子の真ん中に座らせる。
「後は何を食べますか?取りますよ。」
二皿ほど取ると、後はもういいとお茶を飲み始めた。

はやく出た方がいい。
また立ったり座ったりを繰り返して、本当に転んだりしてはお店に迷惑がかかる。
ほとんど食べることが出来なかったが、切り上げることにした。

会計は自分が払うからと、義母は自分の財布で清算するよう私に言った。
何度か断ったが、会計前でこういうやり取りをするのが恥ずかしかったのでこちらが折れた。
このやり取りも出かけた際のお決まりのようになっていて、私は内心うんざりしている。
私が持ってあげている義母のバックから義母の財布を出し、私が会計を済ませるのだ。
「ご馳走様でした。ありがとうございました。」
そう言うと義母は満足そうに頷いて
「いいから、いいから。」と言った。

ご馳走になりたいと思っていない。
だから有難いとも思っていない。
お金などいらない。
何も食べなくてもいい。
私を一人にして欲しい。
私を自由にして欲しい。
「嫁」ではなく、「私」として生きる時間を返して欲しい…。


戻ってみると、幸い病院の駐車場には空きがあった。
さすがに何人かは診察が終わって帰ったようだった。
受付に行って、戻ったことを報告し振り向きながら待合室をチラッと見るとぽつぽつと空席が目立ち始めていた。
ふと、車には戻らず自分がここに座ってみたくなった。
空席に座る自分の姿が浮かんだ。

少し前かがみになり、焦点の合わない目で床を見つめている。
周囲の待ち人たちとよく馴染んでいる。
そういう自分の姿が…。


義母は昼食の後、車での待機中に何十回と同じ文句を言い続けた。
「まだか。」
「遅い。」
「何をしているのか。」
「これが普通なのか。」
同じ姿勢のまま長時間座っていることが苦痛で、義母の表情は歪んでいた。
その義母をあやすことに疲れた私は徐々に表情を失い、相槌や返事をする声も小さくなっていった。

院内に入るようにと連絡が来たのは午後になってからだった。
車いすに義母を乗せて待合室に入っていくと、それまで静かに足元を見ていた人たちが、そーっと視線を上げて私たちを見ているのが分かった。
私はその視線を避けるように車いすを廊下の端に止め、すぐそばのパイプ椅子に腰かけた。

待合室に異動して数十分。
とうとう義母は横になりたいと言い始めた。
受付に相談すると、誰もいない診察室に案内されそこのベットで休息するよう指示された。
そのまま診察するので、終わるまで付き添いの者は待合室で待つようにと言われた。

義母が私の手を離れたことで、やっと一息つくことが出来た。
今日受診を済ませた方がいいとは思ったけれど、長時間の付き添いは身も心も疲れ果ててしまう。

私の心は二人分の疲労を吸って、まるで泥のなかに落としたスポンジのように薄汚れていた。
高齢の義母へのいたわりの心は、もうとっくに乾ききって無くなっている。
その代わり、義母に対するねっとりした嫌悪感がこびりついて、更にその上にまた新たな嫌悪感が上塗りされていく。

『本当に受診が必要だったんだろうか。』
今更な疑問が浮かぶ。
『ただ来てみたかっただけなんじゃないのか。』
『勧めてくれた人に行ってきたと言いたいだけなんじゃないだろうか。』
次々と浮かぶ疑問や不満を打ち消しながらも、あながち間違ってもいないだろうという気持ちにもなっていた。

待合室の空席はさらに増えてきた。
空いたソファ席へ異動しようかと思い見回すと、さっき頭によぎった思いが戻って来た。
『ここに座るのは私だ。』
『この席に座って受診を待つべきなのはあの人じゃない、私だ。』


夫婦仲は悪くなかった。
それでも何度も離婚しようと思った。
原因は義父母だ。

大正生まれという時代のせいだろうが義父は男尊女卑の思考が強く、その考えが今の時代、つまり年の離れた若い嫁には受け入れられないものだということが分からなかった。
義母は記憶力が良く思考もはっきりとしていたが、幼い頃から足が不自由で、そのせいなのか周囲への依存心が強かった。
同居するようになってからは、その依存心の方向は私へと一点集中しているように思えた。

馬鹿にするように、見下すように周囲に接する義父。
やんわりと、しかし絶対に自分の都合を押し通す義母。

結婚してからずっと、義父母の言動を何とかして前向きにとらえようと努力してきた。
『理由があるのだろう。』
『もしかしたら本当なのかもしれない。』
『どうしてもやりたいことなのかもしれない。』
義父母の要求に自分が従う正当な理由を必死に探した。

しかし二人の子供を抱えながら、義父母の対応をしているうちに私は荒んでいった。
目上の者への敬愛も高齢者であるということへの配慮も、毎日毎日最大限に発揮しているうちに数年で底をついた。

どうしていつも人の話を聞かないのか。
どうしていつも自分が正しいと思うのか。
どうしていつも謝らないのか。
どうしていつも…。

この「どうして」への答えを出せない訳じゃない。
でも出したら終わりだ。
もう自分を騙していい嫁を演じることが出来なくなる。
そう思って我慢しているうちに、時々どす黒い怒りが爆発的に湧き上がってくるようになった。

悪意だ。
マグマのように腹のそこから噴出してくる。

この人たちの傍にいたくない。
このままでは自分が汚れる、そう思った。

素直な聞き分けの良い嫁として生活してきた。
出来ればずっとそうでいたかった。
しかし、私の善意の自己犠牲はいつしか義父母にとって当然受けるべき献身となっていた。
あたりまえのように奉仕を要求され、義父母側から「もういいよ。」と解放されることは無かった。
それは黙っていてもそうだったし、態度で示しても言葉で返しても結果は同じだった。

義父が入院してからの数年間は義母の対応のみで、いくらか楽になった面もあった。
それでもべったりと張り付くように私から離れない義母には心底うんざりしていた。

嫌で嫌でしょうがない。
生理的に受け入れられない。

誰かの事をこんな風に思う自分が悲しかった。
ましてや夫の母である。
自己嫌悪で自分を責めて、それでも次々と湧き出してくる嫌悪感を止めることが出来なかった。

そうしているうちに、義母への敵意の様な強い重い感情でいっぱいになっている自分を、少し離れたところから見つめている自分がいることに気がついた。
それはただ茫然と眺めている時もあれば、自分への哀れみや悲しさで震えるような時もあったし、冷静に原因を分析している時もあった。

感情が移り変わるのではなく同時に複数の自分がいて、どの自分が主でどの感情に従うべきか見極められずにいた。

体調にも色々な変化があった。
不眠、発汗、のぼせ、動機。
声が1週間ほど出なくなったこともあった。
不安になり知り合いの医療関係者に相談したことがあった。
「もしかして更年期障害じゃないかな。」
「そういう年齢じゃないよ。」
「そっか…。まあ、そうだよね。」
「疲れてるんだね。取りあえずゆっくり休んでみたらどうかな。」
「うん…。」

これが普通の状態だとは思えなかった。
受診すれば何らかの病名がつくのではないか。
心療内科の待合室の様子を何度も見ているうちに、ここに座って受診を待つ自分が容易に想像できた。

あの人じゃない。
私だ。
ここに座るべきなのは私なんだ。

何度もそう思った。
しかし同時に受診すべきでないとも思った。

どんなに苦しくても、受診しなければ病名はつかない。
正式な病名がつかなければ私は「健康な母」でいられる。
そうだ私は二人の子供を育てている母親なのだ。

まだ人生が始まって数年の娘たち。
明るく楽しく成長していって欲しい。
人の善意を信じて素直な心でいて欲しい。
そう導くのは母親である私の役目だ。
誰にも代わりは出来ないのだ。

だから受診はしない。
受診をしないから病名もつかない。
そうだ、私は病ではない。


長い長い待ち時間を経て、診察の終わった義母が看護師に車いすを押されて戻って来た。
「じゃあ今日お薬ちょっと出してみるそうなので、なくなる頃にでもまた来てみてくださいね。」
そう言って看護師が私の手に車いすのハンドルを受け渡した。

一人の時間が終わった。
会計を済ませ薬局に立ち寄り、急いで帰らなければならない。
子供たちが帰る時間が迫っているのだ。
玄関を開けて待っていたい。
健康な母として、元気に「お帰りなさい。」を言うために。
今日も明日も、ずっとずっと…。


看護師が立ち去ると、そのタイミングを待っていたように義母が言った。
「トイレに行きたい。」

向きを変え、トイレの方向に押す車いすはずっしりと重かった。
息を細くして震えながら長いため息をつき、握ったハンドルに力を込めた。

終わりは来るのだ。
そう、いつか終わりは来るのだ。
いつか、いつか…。

いつか…。

いつか…。


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