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阿片と毒と、甘いもの -2-

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※※※

「はい、今日も頑張っていきましょうー!」

朝礼の最後に営業部長が笑顔を顔に貼り付けて、景気づけた。
「はい!」
朝礼といいつつ、時間は昼の12時。「営業部隊」と呼ばれる僕たちは10名ほどのチームで、ほとんどが20代の男たちだ。部長も30代中盤。ノリは体育会系。頭は悪くないが、別に賢くもない。メシも休憩もバラバラに取るので、仕事以外のコミュニケーションはほとんどない。たまに話すとしても、30秒後に忘れる程度の天気の話か近所の飯屋の話だ。

「三山UWCファイナンスと申します。ヤマシタフミコ様のお電話でお間違いないでしょうか。実は、ヤマシタ様が保有する当社のクレジットカードが不正に利用されている可能性があり、急ぎお電話差し上げました」

あちこちで、全員が手元のリストを見ながら同じことを話している。

「はい、Cグループ、入りました~」
斜め向かいに座っていた杉下が声を上げた。
その声に、僕ともう一人50代のおじさんが反応し、杉下の後について別ブースに移動した。
「クライアントはカミジョウミチコ。住所は茨城県石岡市・・・」
杉下の説明をメモをとりながら聞き、改めてざっとマニュアルを確認して、次の仕事に移った。

「ありがとうございます。それでは、こちらで手続きに入らせていただきます。明日、改めてお電話いたしますので、しばらくお待ちください。」

ブースに入ってから2時間。「クライアント」と呼ばれるカモが引っかかると、あらかじめ割り振られている3人1組のグループで、警察役、オペレーター役など役割分担のもと、マニュアル通りに話を進め、クレジットカードの情報を引き抜いていく。
最近はこんなにスムーズにいくことは少なく、久しぶりのスピード受注となった。
杉下の最後の言葉に、3人で顔を見合わせほぅっとため息をついた。すでに情報はシステム部隊に渡っている。その後の処理は、いくつかパターンに分かれるが、知ったこっちゃない。とにかく、僕の仕事は、ここで終わりだ。
そして、また、すぐ次の仕事が始まる。


この仕事は2社目。新卒で就職した大きくもないが小さくもない、OA機器の販売代理の会社は、入社して8ヶ月で吸収合併され、若い順番にクビを切られた。いろいろと語った志望動機は内定と同時に忘れてしまうほど思い入れもなく、「なんとなく安定してそう」という理由だけで入社した会社だったので、そこに対して怒りすら抱けず「まあ、こんなもんか」と思っただけだ。
なので、転職先も転職サイト経由で受けた10社ほどの面談で、一番人当たりが良く「難しいことはありませんよ」と話してくれた会社に決めた。
今なら、面談相手だった部長のまったく笑っていない目と乾いた声の調子から、いろいろとした薄暗い部分も読み取れるが、まあ、それも、いまや別に関係のないことだ。

つらかったのは3ヶ月だけだった。

「むずかしいことは、よくわからなくてねぇ」と電話越しでもわかるおばあちゃんの不安げな声に、「大丈夫ですよ。カードに書かれている数字を上から順番に教えてください」だの「もう、時間がないんです。このままですと、ヤスヒロさんを助けることができないんですよ!」だのと畳みかけることに、北海道の田舎町に住む祖父母の顔を重ねながら、良心の呵責に耐えかねたのは。

なんせ、給料がいいんだ。
いいと言ったって、月30万。新卒の中ではいい、という程度だが。

それにしたって、この仕事については大学時代の友達になど話したくはない。何度かやりとりしたサークル仲間にも、OA機器の営業の仕事、で通している。ただただ、淡々と、リストの上から順番に電話をかけ、時々「受注」の高揚感を味わい、そこそこの給料をもらって、家に帰ってゲームする。
てきとーに飲みにいく友達と、オンラインゲームの仲間がいるだけ。彼女もいないし、別にほしいとも思わない。煩わしさしか感じない。
最高でもなければ最悪でもない人生。そんなもんだ。


「明日、渋谷でいい?」

家でぐだぐだとくだらないyoutubeを見ていたら、由美からLINEが届いた。
「いいよ。店どうする?」
「ん~なんかテキトーで!どっかある?」
「俺、渋谷あんまり詳しくないんだ」
「りょーかい!そしたらさ、おでんでもいい?」
「おでんって、おでん?」
「そうそう。おいしいとこあるの。コウくん、甲殻類ダメだし、イタリアンとか嫌がるじゃん」
「よくおわかりで」

由美から、女の子がクルッと回ってお辞儀をするスタンプが届いて、会話が終了した。
あの頃の、付き合っていたときの会話や、一緒にいった居酒屋や、そのときの由美の表情、周りの雑音・雰囲気、いろんなものがアタマをよぎった。
そうそう、由美が探してくれたイタリアンに行って、ワインとか正直まったくわかんなくて、所在なく小汚いジーンズの太もものシミをずーっと見てたんだった。イタリアンは嫌だ、と言った記憶はないのだが、そんな些細なことを覚えていてくれるのが、心底うれしかった。


19:00。渋谷についてLINEを送ると、
「ごめん!いまいく!本屋でちょっと物色してた」
と返事が来て、由美は10分ほどで待ち合わせ場所に現れた。
「ひさしぶり~!」
と満面の笑顔で見上げてくる由美の顔は大学時代よりも数倍美しくなっていて、ドギマギしてしまった。大学時代は髪の毛をまとめていることが多かったが、ふんわりと下ろした茶色の髪が少し顔にかかり、彼女はそれを耳にかけた。
僕の日常に、こんなサプライズが舞い込んで来るとは。
「おう、ひさしぶり」
二人で目を合わせたまま、少しだけ時が止まり、
「さ、とりあえず、お店いこ?」
と由美に促された。


「由美、いまなにしてんの?」
「仕事?」
「うん。他にもなんかやってんの?」
「いろいろやってるよ~。仕事は、チザイとかトッキョとかの書類つくったりする仕事。チザイってわかる?」
「チザイ・・・」
「知的財産、の知財」
「あーなるほど。なんかスゴいじゃん」
「ぜんぜんすごくないよ。まあ、修行中なの」
「修行中?」
「将来的には、企業とか団体の知的財産を守ったり、付加価値つけたりする仕事がしたくて。どんなカタチでもいいんだけど、とにかく、一旦最前線に行ってみようって思って、特許事務所に勤めてるの」
「やっぱすごいじゃん」
「コウくんは?なんかコピー機とか売ってたっけ?」
「ん~、ま、そんな感じ。割とクールな職場だからさ、ある意味ラクだよ」

一つの大皿に盛られたおでんを、半分にしたり譲り合ったりしながらつつき合い、熱燗を頼む由美に、相変わらず年上の男の気配を感じながら、びっくりするくらい楽しく時が過ぎていった。

「ねえ、もう一軒いくでしょ?」
「うん、もちろん、明日休みだしな。っていうか、由美、酒強くなったなぁ」
強くないよう~、と言った矢先に由美はふらついて、僕の腕につかまった。
僕も、咄嗟に背中に手を当てた。
「ね?」
と、由美は体勢を整えながら、僕を見上げてにっこりと微笑んだ。
フィクションならそのまま腕を組まれるところだが、由美は「あ、あざとかったか」と笑ってあっさりと離れていき若干拍子抜けした。
渋谷駅に向かいつつ、数年前に1回だけ会社の付き合いで行ったことのある当たり障りのないバーに入る。

「あのとき、ごめんね」
2軒目の乾杯をした後、すぐに由美は切り出した。彼女の視線は僕の手元に落ちている。
「え、昔の話?」
「うん。変かな。こんな話するの」
「いや、変・・・じゃないと思うけど」
「私、けっこう後悔してるんだ。あのとき、やっぱりちゃんとコウくんと話すればよかったなって」
「いや、拒否ったのこっちのほうだし。俺も、なんつうか、あんまり余裕なかったっつうか」
「あのころ、私もなんか焦ってたんだ。周りの人たち、すごい人ばっかりで。けっこう手当たり次第に人に会って、お茶したり飲みに行ったりして。それで、すっごく勉強になることとか、新しい世界が拓けたりとか、やっぱり楽しくって」
「由美、他のやつらと、見てる世界がなんか違ってたもんな」
「ぜんぜん・・・そんなことはないんだけど。でも、ナニモノカ、になりたかったんだと思う」
「ナニモノカ」
「誰にもできない、特別な、何かができる、ナニモノカ。でも、相手からしたら、ただのジョシダイセイってヤツなんだよね」
僕は改めて、彼女の顔を見た。ショートカクテルのグラスをじっと見つめながら、口元はなにか話したそうに少し開いていた。

「全然、好きってわけじゃなくて、でも別に嫌いって訳でもなくて、かっこいいし、なんとなく流されてて。いまだったら、ちゃんと嫌って言えるんだろうけど、当時はなんかそれも怖くって」


あの時、由美が手をつないでいた男の話なのか、それとも、それも含めたたくさんの男の話なのか。
「そっか。俺は・・・やっぱりショックだったかな」
「ごめん。そうだよね。でも、これだけは信じて。わたし、コウくんのこと、ほんとにほんとにほんとに、好きだったの」
「うっそ。俺が告ったとき、なんかクールだったじゃん。俺、絶対『お付き合いしていただいてる』んだと思ってたもん」
 先輩の追いコンでカラオケオールをしていたときに、「アイス買いにいかね?」と連れ出して、夜明け前の薄明るい時間帯に、小汚い道ばたで「由美、いま彼氏いないんだったら、俺と付き合わない?」告白した。由美はしばらく間を開けてから、「うん。いいよ」と答えてくれた。

「ああいうとき、どんな風に答えていいかわかんなかったんだよ!それに、私もずっと好きだったって言ったじゃん!」
「うそ。そんなん初耳。言ってねーって」
「言ったよ~!だって、私、1年生のときからコウくんのこと好きだったもん。でもコウくんこそ、女の子にクールだったし、女子と話すのめんどくさそうだったから、声かけられなかったんだよ」

それは単純に女子と何話していいか全然わかんなかったチェリーボーイだったからだな。という言葉は、当然ながら心の中で留める。
もう~忘れてるなんて~、とプンプンしながら、「ジントニックください!」と高らかに叫ぶ由美は、大学時代よりもかわいくなっていて、僕に近づいているような気がした。

杯を重ねるごとに、僕たちの声は小さくなり、それに比例して、由美との距離は近づいてきた。「え?もう一回言って?」と首をかしげながら耳を近づけてくると、その度に懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。

僕たちは、いつの間にか手近なラブホテルの中にいて、部屋に入るなり、由美は抱きついてきた。
「香水、変えてないんだ」
「わかる?」
「わかるよ。俺、由美の匂い、好きだったから」


うん、と由美は頷いて、猫のように僕の胸元におでこをこすりつけた。
正確に言うと、由美の匂いは3年前と決定的に違っていた。さわやかで微かな甘みを感じさせる香りにマルボロの匂い。
バーでの最後の1杯、由美はスコッチウイスキー(僕はよくわからなくて、後から由美に教えてもらった)をこなれた雰囲気で頼み「ごめん、煙草、吸ってもいい?」と訊いてきた。
香水とウイスキーと煙草で生成される由美の匂いは、劣情と自己嫌悪を同時に抱かせ、「渋谷のラブホ」という猥雑なロケーションにあまりにもぴったりで思わず噛みつきたくなる衝動を引き起こした。


僕たちは土日に予定がなければ、なんとなく会い、デートをするようになった。もっぱら僕に予定はなく、由美が時々、勉強会やイベントなどで会えないことがあるだけだった。
大学時代と変わらず、由美は忙しく、キラキラしていて、会話から漏れ出る「意識高い話」のまぶしさに僕は目を背けながら、平日には人を騙して金を巻き上げ、休日には彼女と寝る、傍から見るとクソと言われるかもしれないが、わりと幸せな日常が過ぎていった。


2か月ほどたったある夜、「いまから行っていい?」とLINEが届いた。
なぜかわからないが、その端的な一文に切羽詰まったものを感じ、理由は聞かずに「いいよ。駅まで迎えに行こうか?」と返信した。


1時間後にインターホンを鳴らした由美は、明らかにおびえた表情をして、僕がドアを開けきる前に滑り込むようにして部屋の中に入って、自ら鍵を閉めチェーンをかけた。

つづく

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