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阿片と毒と、甘いもの -3-

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「なに、どうした?」

由美は、うう、とうめき声のようなため息をつきながら、肩をすくませ、テーブルの上に置いた手をぎゅっと握りしめたまま、話さない。
彼女の様子を見ながら冷蔵庫のお茶に手をかけて、逡巡して、牛乳をマグカップに注ぎ電子レンジにかけた。春とは言え、まだ夜は少し寒い。
ホットミルクを一口飲んだ由美の顔は、目に力が戻りつつもどんどん沈んだ表情になって、そのうち、泣き始めた。

「ごめん、コウくん。元カレに、コウくんと付き合ってること、ばれちゃった」
「え?なにそれ。なんか問題でもあんの?」
「あの人、まだ私のこと好きなんだ。あと、ちょっと仕事の関係もあって、切れなくて」
「仕事の関係って?」
切れなくて、の意味のほうこそ気になったが、まずは順番に。

「ちょっと、言いにくいんだけど・・・」
「うん」
「私、実は、絵画販売のバイトしてるんだ」
「カイガって、絵のこと?」
「そう。いま働いている特許事務所、お勉強の雰囲気も強いからお給料が安くて、友達に誘われてバイトしてるんだ。で、そこのギャラリーの社長と前に付き合ってて」

そんなの、聞いたことなかった。切れなくてってそういうこと?

「最近、コウくんと遊びにいくことが増えたから、土日のシフトが減ってて。で、その社長に、怒られちゃって」
「そんなの、カンケーねーじゃん。すぐ辞めなよ。そんなバイト」
「すごく、恥ずかしい話なんだけど」
と言い由美は2回くらい深呼吸をした。

「私、実は借金があって。資格が取れて人脈も広がるっていう学校に騙されて、200万円消費者金融から借りたんだけど、それを肩代わりっていうか・・・とにかく、バイト代を前借りしてて。で、なんかそんなのを引き受けてもらうのに、その社長と付き合ってて」
なに、その、非日常な話。
「前にも、コウくんと一緒にいるとこ、見られちゃってて。その時には、お客さんだからって嘘ついてたの。でも、『いつになったら売れるんだ』って言われちゃって。1か月くらい引き延ばしてたんだけど、今日、すごく怒られちゃって。明日、連れてこなかったら、即刻お金返せって」

「え、俺を連れてこいって?」
怖い。マジで怖い。そんなの無理。絶対無理。

「うん、でも、いいの。コウくんにそんな迷惑かけられないから。大丈夫」
と、まったく大丈夫じゃない表情でマグカップを握りしめている。
「いやいや、大丈夫って、どうすんの?」
「あんまり、言いたくない」
「言ってよ。俺もできることはするから。一緒に考えようよ」
「・・・ときどき、えっと、・・・社長とデートすればいいだけだから」

え。

「あ、社長も、悪い人じゃないの。というか、むしろステキな人っていうか、そもそも、借金の肩代わりしてくれてて、感謝もしてて」
とまで言って、由美はバツが悪そうに黙った。

長い、長い、沈黙が流れた。

いや、絶対無理でしょ。絶対、こんなゴタゴタに巻き込まれたら大変でしょ。

とアタマの中で何度もリフレインしたが、一方で、なんかおもしろそーじゃんヒーローっぽくね?そのシャチョーとか人として最悪じゃんまあ俺の仕事も人としてサイテーだし言われてみれば別に失うモノなんてねーしな結局由美って金のために身体売ってるってこと?あの由美が?自分の夢のために?いまも?

「明日、もし、俺が行ったら、どんな感じになるの」


逃げればいいじゃん。別に。やばくなったら、いつでも逃げれるだろ。
人がいても、いなくても、消えても、どうでもよくって、
わかんねーのが東京じゃん。


「え、だめだよ。コウくんに迷惑かけらんない」
「いいから。どうなんの?仮に、行ったとしたら」
僕はつい、イライラしながら吐き捨てるように言った。
「・・・たぶん、1回、きちんと商談してるっていうところを見せたら、大丈夫だと思う」
「なに、そんなもんなの?じゃあ行くよ。明日」
「・・・ほんと?いいの?」
「全然、そんなん行くよ。あとは、その社長にばれないように気をつければいいんでしょ」

※※※※※

次の日、由美に指定された場所に出向いた。
雑居ビルの入り口には、「ギャラリーFiftyStorm」という白樺のモチーフがデザインされた看板がかかっている。

事前に由美からは「商談に同席する人がいるし、けっこう押してくるけど、絶対、買わないで。粘ってきて、最後社長まで出てくるかもだけど、買わないってしっかり伝えたら、諦めるから」と念押された。
さらに「なんかあったら困るから、LINEのトーク履歴も削除するから」とまで言われた。

「すいません、大山由美さんいらっしゃいますか」
雑居ビルの2階にあるそのギャラリーはそこそこの広さがあり、真っ白な壁に不規則に絵画が飾られる、おしゃれで清潔感があるスペースだった。受付の女性に尋ねると、磨りガラスの向こうから、由美が顔を出してきた。

「坂下さん、今日はありがとうございます!何度もしつこく連絡しちゃってごめんなさい」
仕事中の、よそ行きの声と顔。ニヤニヤしたくなるのを押し殺して、緊張した面持ちを装い、壁に掛けられた絵を一緒に見る。なにやら説明しているが、そんなものは聞く必要もない。

人を騙して、傷つけて、それでも生きていくコツは、自分の心を失うことだ。

席につき、一通りの説明を聞いたあと、一応迷っているフリをしていると、男性が同席してきた。礼儀正しく渡された名刺には、岩間と書かれている。肩書きはCOOだ。COOってなんだっけ。
「坂下さん、迷ってらっしゃいます?坂下さんくらい、センスある人なら、迷う必要、ないと思うんだけどなぁ~」と調子のいい感じで押してくる。岩間が大量の資料を次から次へと出して、思いのほか丁寧に説明を重ねる横で、由美はにこにこと頷いていた。この程度の押しは想定内だし、自分も向こう側にいる人間なので、岩間が空虚に言葉を重ねているのも感じ取れた。買うという決定をしないことに、なんの罪悪感もない。

大体2時間程度粘れば、解放される。あくびこそしないものの、スマホを取り出しあからさまにSNSをチェックした僕に、岩間は「じゃあ、また、もし気になったらいつでも来てくださいよ」と負けのクロージングに入った。

そこに突然、「え、なになに、大山さんが連れてきてくれた方?」と背の高い男が割り込んで来た。

「社長」と岩間が声を出すより前に、僕はこいつが社長だとわかった。
なぜなら、オーラが全然違うからだ。

「どうもどうも、こんにちは。絵、見てくれました?」
ざくっとした風情で隣のブースから椅子を引っ張ってきて座る。
「はぁ、まぁ」
挑むつもりで目の前に座った男を見返したが、強い目力と彫りの深い端正な顔立ちに、オスとしての敗北感をただただ味わい、すぐに目をそらした。
「絶対、買い、なんだけどね。家に飾っておいてもいいし、まあ、好みじゃなかったら投資として持っておくだけでも全然いいんだけど」
無理強いはできないからね、もったいないと思うけど、と続けて、椅子から立ち上がり「来てくれてありがとう。今度来るとき、大山さん経由でいいから、事前に連絡してよ。一緒にメシでも食いに行こうよ」と言った。

その瞬間、岩間がぎょっとした表情で社長の顔を見上げ、周りの女性陣(由美と同じように、美人ばかりだった)が聞き捨てならないという風情で、奥の部屋に向かう社長の横を取り巻き、「え~私も連れてってくださいよ~」と甘えた声を出している。
由美の顔は紅潮し、唇をきゅっと結んで、テーブルの上に置かれた手を見つめる目は潤んでいた。

つづく

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