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卒業と変態

先日、息子の卒業式へ出席した。

田舎ゆえ、それほど大きくはない学校だが

それでも、久しぶりの体育館は広く感じるものだ。

この体育館で入学式をしたのは、たかだか三年前の事ではあるが

わたしにとって、混沌混乱を極めた三年間であっただけに、穏やかではいられない。

あっという間だったなと言いたい気持ちになるが

いや、あっという間ではないな。と自己問答する。

そんなことを考えているうちに、卒業式は淡々と進んでゆく。

校長先生の言葉は、ありきたりの文言ではなく

きっと、練りに練ったものなのだろう。

大人の私にもガツンと響いた。

とにかく、がんばれ。自分の意志を持て。と。

昭和めいた言葉ではあったが、校長先生の言いたい事は

言葉の以外の所からも感じる事ができた。

自分の学生時代では、受け取れなかった「想い」という得体の知れないもの。

しっかりと受け取り、卒業からは随分と時間が経ってしまった自分ではあるが、先生のありがたい言葉を肝に命じた。

過去の未熟な自分を思い出す度に恥ずかしく思うが、
後悔ばかりしていては、よけいに恥じだらけの人生になってしまう。

上をむいて歩こう。と自分にいい聞かせる。

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式は、感染抑止の為であろう、プログラムの短縮がはかられ

あっという間に、在校生の送辞となった。

緊張の面持ちで送辞を読み上げる二年生代表に

がんばってねと、心の中でエールを送る。

そして、息子の答辞である。

まるで、兵隊さんの様に、背筋をシャンとして

壇上を目指し歩いてゆく。

深々と誰よりも長い礼をすると、おもむろに文を読み上げる。

先々週の夕食時間だったか、普段はスピーチが苦手という息子が

次は、ありのままの本気でいくよ。と宣言していたので

奴の中で、なにか確証めいたものがあったのだろう。

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スピーチもいよいよ佳境に入り

答辞の主旨に触れる。

それはこうだ。

自分ここまで育ててくれた、先生方、友人みんな、ありがとう。

そして、いちばんに感謝したいのは、

・・・ぼくの家族です。

寝る間を惜しみ、自分達の時間を犠牲にして、当たり前の日常を作ってくれた、あなたたちに感謝の気持ちを届けます。そして、これからは私があなたたちを支える番である。と。

奴の雄姿を捉えようと、覗いたファインダーが

ゆがんで見えなくなる。

抑えきれない、胸の奥から、熱さが込み上げてくる・・・

目じりから、信じられないほどのしずくが

頬を伝い、顎の先端からポタポタと落ちてゆく。

くそ、、、やりやがったな。

と胸の奥底で思いながらも、

何事もなかったかのような顔で、シャッター切り続ける。

気が付けば、周囲の親御さんから嗚咽が漏れている。

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卒業という区切りへの思い、育児期の記憶、育児に関われば関わるほど、子の成長の重みは増してゆくものだ。

子が卒業を迎えるそれぞれの親が、
この18年間の記憶を脳裏に巡らせただろう。

わたしは、大人になるまでかなりのいい加減な人間だったので、

若いころ、こういう式典で頂く言葉は、自分には関係のないものぐらいに思っていた。

しかし、大人になり、色んな体験をし、色んな人と出会い、

人の言葉の大事さや、そもそも、人をちゃんと信じる事を教えてもらった。

わたしの親は、わたしに、他人は疑ってかかるものだと教えた。現実は冷たい、苦しいものだと、そして、社会は苦しく、最後は結局カネなんだと、そう何度も念仏のように刷り込まれ育った。

しかし、その呪縛から解放され、信用できる人間もたくさんいるし、暖かく幸せな社会だって存在するのだと、解った。

そう思えば、自分の学生時代に、どれほどに貴重な言葉をかけて下さった先生や、先輩、友人が居たのか。

そして、身の程を知らない人間であった自分に、有難い言葉を下さった存在がたくさん居たのに、気付けなかった自分が恥ずかしくなる。

生き方とか、精神とか、そういう小むずかしい事は置いておいて、

しっかりとした生き方をしている人を、気骨があると表現したりするが、

まさにそのとおりだと思う。

そして我が子も、この三年間で、

骨のある人間へと変態(メタモルフォーゼですよ)を遂げた。

幼虫が蛹(さなぎ)を経て、成虫となる様に、

硬い外殻を持つ、成体へと変化したのだ。

そしてこれから、わたしたちの元を離れ、全部ではないが、自分自身で自分の身を支え、羽ばたく。

一生の別れという訳ではないが、やはり長年生活を共にした人間が離れてゆくのは寂しいものだ。

しかし、人間としてより大きな存在を目指してゆくには、いづれか巣立ち、自分で羽ばたいていかなければならない。

それは、人間としてとても喜ばしい事なのだ。

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よく子供は3歳までに一生ぶんの親孝行を終えると言うが、

我が息子は、18歳になっても孝行をしてくれたのだ。

卒業式と言う人生の大舞台で、壇上から、育ててくれてありがとうという言葉をかけて貰える親というのは、果たして、この世にどれほど存在するのか。

その瞬間だけを切り取ってしまえば、単なる自慢話で終わってしまうが、日々の積み重ねを知っている者にとっては、それがどれほど重みをもった言葉・行動なのか、、、計り知れないのである。

そしてこの春、新たな人生のステージに立つ彼は、次なる大陸を目指し羽ばたくのだ。

負けないように、わたしも必死に羽ばたく。

しかし、周りを顧みず、がむしゃらに羽ばたいては

単なる変態(ヘンタイ)おじさんになってしまうので(笑)

きちんと、涼しい顔してCOOLに羽ばたきたいと。思う。



長文、最後までお読み頂いた方、ありがとうございました。

では!また!


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