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内なる情熱で現実を歪めない〜RIC・ウツ編#12

お休みの日、ひとりでよく美術館に行った。

そこであれこれと展示を眺めては、感じたことを書き留めるのが常だった。

その日は、百貨店「ジェイアール京都伊勢丹」の7階に隣接する駅美術館を訪ねていた。

ちょうど仏教関係の展示をしているタイミングだった。

ひときわ目を引いたのは、行者像だった。

険しい顔のその仏像はこう告げてきた気がした。
「黙れ。やることはやったのか? で、どうだったんだ?」

私は我が身を振り返った。

自分のしたことの結果を真摯に受け止めただろうか。
今目指しているそれは、本当に望んでいるものなのか。

嘘偽りはないか。誤魔化していないか。現実とずれていないか。
思いや情熱だけが先行していないか。

****︎︎****︎︎

今思うと、あの頃までの私は
情熱が先走って「絶対こうする」を譲れなかったり、

「こうあるべき」「こうならないとおかしい」と
現実を歪めて見ていたりしていたように思います。

行者像の一件は、結果を素直に見て自分を律し、行動を変えるきっかけになりました。

自分の解釈がまちがっていたんじゃないか。

違うように考えたらどうなるんだろう。

そんなことを思えるようになったのです。

結果、内なる情熱と現実が1つに統合され、新たに事業を創造できました。

どのような事業を、どのようなやり方で進めていくかが見えたのです。

気分も上向き、それに合わせるように事業も伸びていきました。

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情熱は、時に人を盲目にします。

絶対こうするのがいい、こうしたんだからこうなるべきだ。

そんな思い込みが、目の前の現実を受け取れなくすることがあります。

それは10代の激しい恋のように、周りを傷つけ、自分を傷つける。

それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。 村上春樹『スプートニクの恋人』

強すぎる情熱には、孤独と絶望と郷愁がつきものです。

私は、
哲学者のように自分の内なる真理を探求すると同時に、
科学者のように外側にある現実にもすなおに向き合いたい。


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