どんな縄がお好きかな?
あなたは「縛りプレイ」というものが好きだろうか。
「縛りプレイ」にどんなイメージを持っているかはわからないが、僕のイメージではゲーム上で自ら制限をかけてプレイをするってイメージ。
例えば今、絶賛ドハマり中のマイクラで言うと、「拠点基地以外の湧き潰しと就寝を禁止する」みたいな感じ。
別にマイクラというゲームはどれだけ湧き潰しても構わないし、ベッドを持ち歩いてその場で寝ることもOKである。
が、敵との遭遇率を上げ、サバイバルにより”サバイバル味”を足すことでゲームが楽しくできるのなら、「縛りプレイ」もおもしろいだろう。
こんな感じで既存のルールに独自のルールを作り、それによって自分の行動を制限して遊ぶこと。
これが「縛りプレイ」である。
僕はこの「縛りプレイ」が好きである。
が、あくまで視聴者として「見る」のが好きなのであり、自分が「やる」ことに関しては躊躇がある。
というのも、動画のように「建築中に邪魔をされる」のがあまり好きじゃない。
これは、まだまだゲームに慣れが来ていないということだろうし、逆に言うなら下手くそなのである。
一つのことをやるので精一杯。
「だから邪魔をしないでくれ」という考えなのだろう。
だけど「見る」ことはできる。
なんなら「好き」である。
まぁこの「縛りプレイ」を見るのが、編集された”動画”であり、ゆっくり実況の付いた”YouTube上”での話だから、いつぞやに言った「他人事として見られる」という思考が関係しているのだろう。
つまり、「人が縛られているのを見るのは好きだけど、自分は自由でいたい」ということである。
よく言えば、芸人さんの芸を笑って見られる人。
悪く言えば、いじめを止めることなく傍観している人。
良くも悪くも「普通の人」って感じだ。
人は古来より不自由な生き物である。
二本足で立てるようになった時は四本足の肉食獣に怯える日々だったし、農耕ができるようになったと思ったら、人間同士の争いが起きる。
それは隣村から隣国、今や世界で争うという不自由な世界となっている。
だからこそ人は「自由」を欲する。
たいまつで湧き潰し敵Mobを湧かせなくするように、自分の住処を持つ。
食料を確保するために畑を作り家畜を飼うように、お金を稼ぐ。
そうやって自分のスペースを確保して生活をする。
すべては「自由」を得るために。
だけど「自由」であるのは”選択まで”だと僕は思う。
どの家を借りるかは自由に選べるが、選んだ家では大家さんによって違うルールがある。
どこで働くかも自由に選べる。
しかし入社したら、そこの慣習に従うことになる。
「悪習は変えるべき」という意見もあるだろうが、それを変えたいのならそこに貢献しないのが一番効く。
そこの商品にはお金を出さないし、そこの労働力にもならない。
つまりやめること。
が、ほとんどの人はやめられない。
だって人が自由なのは”選択まで”だから。
自分の自由に不自由を選びなさい。
僕が大切にしている考え方の一つである。
「不自由」という言葉にはネガティブなイメージが付いているが、マイクラの縛りプレイのように「不自由」だけど見ていておもしろいものがあり、慣れたゲームが色鮮やかに蘇るツールでもある。
要は、選択と使い方が大事なのである。
それさえ間違えなければ「不自由」もなかなかおもしろい。
不自由な世界を自由に生きていこう。
以上!くろだでした。
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