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「表現者という詐欺師」に騙されるな!

こんばんはのようなこんにちは、くろだです。

今日のnoteも読んでいってくださいな。


表現者って詐欺師だよなと思った。

農家さんは食べ物を作ってくれる。

生きる上で必要な「食」を作ってくれる農家さんは超いい人である。

大工さんは家を造ってくれる。

もちろん建築士さんや不動産屋さんも家づくりに協力してくれる。

服屋さんは衣類を売ってくれる。

服を製造してくれるところもあるし、原料を作ってくれるところもある。


じゃあ「表現者」って何してる?

僕が書いたnoteを読んで腹が膨れるか?

僕が編集した動画は雨風を遮ってくれるか?

僕が紡いだ言葉たちは、人の身を包んでくれるだろうか?

どれもしてくれない。

それなのに時間を取り、時にはお金も取り活動している。

こんなの詐欺師と一緒だろ。


何が言いたいかというと、人として生きる最低限の「衣食住」を確保した上で、ようやく消費の検討がされる”贅沢品”だということだ。

なんの意義があって表現者をしているのかと疑問に思う時がある。

生活必需品ではないこの産業が、なぜ存在しているのか。


もしこの世がいくつかの世界線を持っているのなら「表現者が存在しない世界」というものを見てみたい。

が、この世界線はすでに通ってきたものだろう。


太古の昔には「ネアンデルタール人」という人類がいたようだ。

その人類は我々ホモサピエンスよりも屈強な肉体と頭脳を持っていたとも言われている。

しかし現生人類はホモサピエンスのみである。

ネアンデルタール人は絶滅した。

正確に言うと我々の遺伝子の数%はネアンデルタール人由来のものらしい。

だから絶滅とホモサピエンスへの吸収が起きたって言った方がいいのかな。

まぁとにかく現生人類はホモサピエンスのみだ。

なぜスペックの高いネアンデルタール人にホモサピエンスが勝てたのか。

それは「数の暴力だ」ということを聞いたことがある。

ネアンデルタール人は家族くらいの集団(多くて10人とか?)で暮らしていたらしい。

一方のホモサピエンスは150人の集団を作り上げたらしい。

「ダンバー数」ってやつだね。

一応調べながら書いているが、前提知識があやふやなので間違ってたらごめん。

そんな大集団をまとめ上げた仕組みが「表現」だ。

わかりやすく言うなら「宗教」かな。

何か崇高な存在がいて、我々を導いてくれるみたいな。

森の神や太陽の神の加護が付いてるみたいな。

そういうフィクションを作って、それを信じる人達で集団を作って、数の暴力で戦っていたらしい。


とすると「表現者がいない世界ではその集団は滅びる」ってのが結論なのかもしれない。

「衣食住」が穴を掘り進めるための”シャベル”だとしたら、「表現」は穴を掘り進める作業を安全に行える環境を作る”盾”と言えるだろう。

しかし盾って平時の時は必要無いよね。

そこに立っているだけだし、なんなら無くてもいい。

でもいざって時には無くてはならない。

要不要が激しいものだ。

だから「何もしてない詐欺みたいな商品」と考えてしまうのだろう。

でもあれば必ず役に立つ。

いや、役立つものを創るのが「表現者」という仕事である。

そう思う。


以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

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ではまた👋


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