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原点を思い出す

こんばんはのようなこんにちは、くろだです。

今日のnoteも読んでいってくださいな。


原点を思い出せ。

多少言葉の違いはあるけれど、バトルもののマンガによく出てくるセリフ。

何のために日々動いているのか。

それがあるから、それを汚さないために他を駆使して泥にまみれる。

しかしたまに思う。

「なんでこんなことしてるんだっけ?」


最近の僕がまさにそれだ。

燃料を溜めるのではなく、僕を経由して流れている感じ。

スマホに例えると寝てる間に充電して、その分で1日使うのではなく、充電しながらスマホを使う感じ。

供給された電力をその場で使うから溜まっていかない。

この「手元に何も無い」感じが怖い。


しかしよくよく思い出せ。

僕の表現活動の原点ってなんだったか。

「楽しいの中で生きていく」だ。

争いが絶えず、罵詈雑言が飛び交い、わかり合えない状態が永遠と続いているこの地獄のような現実で、「楽しいの中」にいられる瞬間を作ること。

僕のnoteを読んでいる間だけは「楽しいの中」であれること。

そういう時間を作りたい。

しかし僕自身、そんなに人を笑わせられる存在じゃない。

一発芸をするようなセンスも度胸もノリもない。

人を魅了できる外見や中身があるわけでもない。

人の知的好奇心をくすぐるような頭脳もない。


僕にできることは、僕の「楽しい」を共有することだけである。

僕の楽しいを見て、「楽しみ方」の一例となりたい。

だから僕はマンガやアニメの話をする。

「このシーンはこういう風に見て楽しんだよ」と共有するために。

最近はYouTube活動が楽しい。

「動画」という表現方法を開拓している感じがものすごく楽しいのだ。

「皇室」だとか「男女論争」だとかっていう”社会的な話”も本来楽しめる性格なのだ。

僕自身に偏りがあるからこそ、それを楽しめる。

もちろん言い過ぎはよくないよ。

だけど自分の思考(偏り)は、自分の生きてきた軌跡に由来するものだから、思考は歴史そのものなのである。

楽しく無いわけないじゃん。


前にも書いたよな、「変な社会性をつけるな」って話。

未来の自分に迷惑がかかるからって今の楽しみを潰すのか?

それは将来のためと偽って子どもからゲームを取り上げる親と同じだぞ。

子のためを思う親の気持ちはわかるのだ。

だけどそうやって子どもを管理するのなら、その子を一生管理しろよと思う。

子どもをペットのように死ぬまで面倒を見る。

そういう覚悟と生命力があるのなら、そういうことをしてもいい。

だけどそんなことできない。

基本的に親の方が早く死ぬし、親の方がアプデが遅い。

古が悪ってわけじゃないけど、最新が求められる場合も多いのだ。

で、その最新をどこで学ぶかと言ったら、ゲームみたいなエンタメであることは多々ある。

例えばネット上の友達と会うって一昔前は「危ない」って言われていたけど、今では当たり前に行われている。

まぁ危ない人はいるので、そこはしっかり見極めなければならないのだけど、そういう目を養うのも使ってこそである。

すべてを禁止すれば、危険はなくなるけどチャンスもなくなる。

チャンスを掴むってことをさせずに成長していって、いきなり「自分で動きなさい」は酷い話だろ。

でもこれは現代日本で結構やられている子育てである。

その結果が、言われないと動かない、やる前から諦めモード、周りに合わせないと落ち着かない現代人。


とはいえ今更親に文句を言っても仕方無い。

だって育っちゃったんだもん。

しかもここまで来られたのは、少なからず親の助けがあったからである。

あとは自分でやらないと。

とりあえず「楽しい」を探してみたらどうだろう。

そこを起点に始めてみれば、思いも寄らぬ方向に展開されるかもしれない。

え?「楽しい」の探し方がわからないだって?

僕のnoteを読んでください!

「僕はこうして楽しんでいる」ってのを表現していくから。


以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。

ではまた👋


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