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「偏見」で世界は作られる

SNS禁止令のnoteで「『真田丸』見るのに集中したい!」ということを言った。

その『真田丸』を見ていて思うのが、「石田三成っていい人よな」。

ちょっと不器用なだけで、豊臣家を思う気持ちは誰にも負けない忠義の人。

それなのに石田三成のイメージは悪い。

『軍師官兵衛』の時の石田三成はほんとにウザかった。

で、あれが世間一般の石田三成像だと思う。

なぜなら関ヶ原の戦いで負けたから。

石田三成を知る機会は歴史の教科書で「徳川家康が関ヶ原の戦いで石田三成を破り、征夷大将軍になった」ってところだと思う。

その後は「江戸に幕府を開いた」だの「大阪の陣が起き、豊臣家が滅びた」だの徳川家を主軸とした歴史ばかり。

もちろん理屈はわかっている。

勝者が歴史を作るから。

徳川方が石田三成のことを「実はいい人でした」なんて言うはずがない。

それを言ってしまえば「そんないい人をお前は滅ぼしたのか?」と言われてしまうから。

だから「極悪人」として処刑し、「悪人を成敗し世を治めたのは徳川家」というイメージを付けた。

まぁそのおかげで260年間の平和な世ができたのだけど、『真田丸』を見ているとなんだかモヤモヤするのである。


現実もそんなもんだと思う。

今、当たり前に「正解だ」と思っていたことが10年後にひっくり返るってことはよくある。

例えるなら、「男は外へ出て働け」「女は家で家事育児をしろ」という性別による振り分け。

今では「そんなことない」と変化の時を迎えているが、つい何十年か前はそれが「当たり前」であった。

これは「男はこれ、女はこれが適正だ」という偏見が作り出した世界

そして「男女に差は無く、その人の適性を見て判断しよう」という今の価値観も偏見である。

この偏見が今の世界を作っている。

この偏見は正義のように思える。

今までは能力があるのに”女性だ”というだけで家に押し込められていた人が社会に出て活躍することができる。

すべてがそうなったとは言わないけれど、そういう風潮はある。

これが世界を作ったら、能力がある人がどんどん活躍する世の中になるだろう。

では「無能」はどうなる?

今までは”男性だ”というだけで採用されることもあった。

しかし”性別”による差別は薄まっていき、より”能力”に振り切った採用がなされる時、無能に生きる資格はないのだろうか。


「だから女は家に居ろ!」という、前時代的で差別的なことを言うつもりはない。

能力のある人が未来を創っていくこと。

できる人ができることをやってくれたら「楽しいの中」で生きていく人が増えるだろうからね。

ただ、ここで言いたいのは「ここが最高点ではない」ということ。

『真田丸』の時代は”家柄”による偏見があり、今より少し前は”性別”による偏見、そして今は”能力”による偏見がある。

この偏りが無くなり、みんなが楽しく生きられる世界は作られるのかな。

でもこの「偏り」が資本主義の根幹だよな。

これを無くしたいなら共産化なのかな。

なんか政治や思想の話になってきて嫌な感じ。

一旦ここで区切って、もう一度言語化してみたい。

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