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いつかと同じ風吹き抜けるから

日に日に涼しくなってまいりましたね。とても気分が良いです。こうなってくると完全に僕のターンですから。いや別に僕のターンではないと思うんですけど。でもまぁ僕のターンです。ようやく夏の野郎が遠ざかっていくようです。清々します。塩まいてやりましょう。
僕みたいなもんとそれなりに長いことお付き合いしてくださっている方なんかは毎年これを聞かされる羽目になるので、いい加減うんざりしているかとは思いますが、僕は本当に夏が嫌いです。何故なら暑いからです。汗をいっぱいかいちゃうからです。虫がブンブン飛び回っているからです。馬鹿が増えるからです。嫌いなもんが更に嫌いなもんを引き連れてやって来るのです。その様はまさに百鬼夜行の如く。この世の地獄ですよね。
ホントくだらねぇっす。夏とか。もうね、今どき流行らねぇっつーんすよ。ダサい。マジで夏、ダサい。みんなも言ってる。一回考えた方がいいと思う。

でも、どうしてでしょうか。
毎年この時期は少し寂しい気持ちにもなるのです。
風に吹かれて揺れる夏草を眺めながらちょっとだけ思うのです。
「そんなに急がんでもええやないの、夏」なんて。



あれは中学生の頃でした。
いつもつるんでいた友人が突然こんなことを言い出しました。
「自転車で行けるところまで行こう」

ちょうど夏休みがあと数日で終わろうとしている頃でした。最終日くらいは家に居られる時間を作っておかないといけません。宿題が溜まっているからです。なんて言っておきながら最終日も結局やらないんですけども。
とにかく、その日が僕たちの“好き放題遊べる最後の夏休み”だったワケです。僕たちは自転車、それもちゃんとしたロードバイク的なものではなく、完全なるママチャリで出来る限り遠くまで行こうと計画を立てました。今考えると計画でもなんでもありません。ただの思いつきです。
作戦会議と称したただの駄弁りに参加しながら僕は内心「ちょっとかったるいなぁ」なんて思いながら、その反面、心の底から楽しみにしている自分にも気づいておりました。

当日、無理を言って母親にお弁当を作ってもらい、麦茶がたっぷり入った水筒を持参して集合場所に向かいました。僕を入れて五人くらい集まりました。みんな同じような格好と装備で、みんな同じくらい頭が悪く、同じくらいクラスの女子に相手にされていない奴らばかりです。実に締まりのない顔をしております。
「父さんの車から地図持ってきた!」
と一人の友人がリュックから山口県東部の地図を出してきました。全員でそれを覗き込みああでもないこうでもないと話し合って、行き先が決まりました。親がたまに連れていってくれる大型ショッピングモールです。今で言うイオンみたいなものです。
距離的には車で小一時間分ほどくらいの距離でしょうか。地図を見る限りですと地元を流れている大きな川に沿って進んでいけば辿り着けそうです。僕たちは意気揚々と自転車に跨って出発しました。

田舎道ですので歩道なんてちゃんと整備されておりません。車道の左側に申し訳程度に引かれた線の内側を一列になって進みました。川沿いの道は風もいくらか涼しいのですが、それでもやはり残暑は厳しかったのを覚えています。変わらない景色の退屈さを埋めるべく、僕たちは道中でいろんな話をしました。
家族で遊びに行ったこと。他の友人たちと遊びに行ったこと。宿題が全然終わっていないこと。クラスの好きな女の子を地元の夏祭りで見かけたこと。夏のせいにしてその子とどうにかして付き合えないか悶々と考えたこと。お爺ちゃんの家に遊びに行ったこと。
それぞれがこの夏の思い出を語り合いました。
お昼ごろには自転車を空き地に停め、草刈りもろくにしていない河原に降りてみんなでお弁当を食べました。なるべく平べったい石を探し、川に向かって低い姿勢で横から投げます。彷彿線を描いた石は着水しても沈まず、水面を駆けるように跳ねて跳ねて、そして対岸に届きます。全員で何度も何度も石を投げたところで「こんなことに体力と時間を使っている場合じゃない」と気づき、再び一行は目的地を目指して出発します。

そこから二時間ほどかけて我々はショッピングモールに辿り着きました。
ただ、ここが我々の詰めが甘いところで。
着いた後のことをまったく考えていなかったんです。誰一人として。
全員で財布を確認しました。すべて合わせて700円ほど。ゲーセンに行っても30分ともちませんし、そもそもゲーセンには怖いお兄さんがいます。なけなしの700円すらかすめ取られ、なんならしばかれてしまいます。そんな悲しい結末があっていいワケがありません。
かと言って、広場で鬼ごっこをするほどの体力も残っておりません。ここまで三時間以上かけて自転車をこいできています。それ即ち、帰りもそれくらいは自転車を漕がないといけません。気が重くなってきました。
知り合いと出くわす奇跡を夢見ました。図々しくも、あわよくば親御さんに家まで送っていってもらおうと。自転車なんか知りません。しかし、当然と言うか何と言うか、知り合いとは出会うこともなく。同年代の子供が、親の運転する車に乗り込む様を苦々しい思いで見つめておりました。
とりあえず「せっかく来たのだから」と、僕たちはお金を出し合って地元にはないロッテリアでハンバーガーとポテトを買い、それを五人で分け合ってモソモソ食べました。もはや無言です。道中はあんなに楽しそうに話し、あんなに大好きだった友人たちでしたが、今となっては夢幻の如くです。全員漏れなく大嫌いです。
誰からともなく
「……帰るか」
とぼそりと呟き、険悪な雰囲気のまま帰路に就きました。
本当に何をしに来たのでしょうか。今年の夏はもう終わりです。こんな終わり方です。死ぬ程くだらない。この一日で何が出来たか。
疲れ切った僕たちは行きの道中とは打って変わって誰一人として口を開かず、ただひたすら無言で自転車を漕ぎ続けました。
夕暮れどきの川沿いを進んでいきます。

今日が終わっていく。

この一日はなんだったんだろう。意味があったのだろうか。夏休みももう終わります。そう考えると非常に大切な一日でした。
お腹もすいてきました。あぁ、今日の晩ご飯はなんだろう。というか、この無駄に消費したカロリーはどこへ向かっていくのだろう。何の糧になるのだろう。きっと何にもならずに消えていくのだろう。

自転車を漕ぎながら、ふと後ろを振り返りました。
疲労困憊で無表情だった友人と目が合いました。酷い顔です。汗だくで虚ろな目をしたそいつが力なく「へへっ」と汚い笑顔で笑いました。
その瞬間、急に笑いが堪えられなくなりました。
周りの友人たちも何事かとこちらを振り返りましたが、僕とその友人は笑い続けました。僕は「見て、この顔」と友人を指を差して笑い、友人は「いやいや、お前も同じような顔してるからな」と僕を指さして笑います。
周りの友人たちもそんな僕たちのやり取りを見てゲラゲラ笑い始めました。みんな同じくらい酷い顔をしていましたが「お前が一番酷い」なんて言い合いながら、太陽が沈みだして少しずつ暗くなってきた川沿いの道をひたすら大騒ぎしながら進んだものです。
その頃から夏は嫌いでしたが、こんな時間が続くのならもう少しくらいは夏が続いてもいいや、なんて思ったのを覚えています。


それから十年以上経って、あの頃の友人にこの話をしたらちゃんと覚えていて
「本当に意味のない、くだらない一日だった」
と言い放ってはいましたが、言葉とは裏腹に宝物を抱くかのような笑顔で生ビールを飲み干していました。
僕も
「時間返してほしいよな」
と笑いながら答えました。

くだらないことは意味がないのか。意味がないものは総じてくだらないのか。なら僕が今この歳になってやっていることは何なのか。
それ自体に意味は無くても、それ自体がくだらなくても。
それで生まれる笑顔はくだらなくなんかないし、意味だってある。……はず。多分。そう思う。思わせてください。
そう信じて僕はこの無意味な時間を愛しているのです。

今日この頃のように、夏が過ぎようとする時期になると。
あの日、明確な理由もなく心の底から沸き起こってきた笑いの衝動を思い出します。夕暮れ時の川沿いの道を。友人たちの笑顔と声を。とめどなく水が流れ、夏草が揺れ、ひぐらしが鳴く音を。そんなもう戻ってこない日々を。
思い出しては笑い、少し寂しく思い、そして書き遺そうと思うのです。


うーん。いや、まぁ、別にさ。
こんな公衆の面前で自分語りしてまで書くことじゃなかったんだろうけど。なんでしょうね。今書いておかないといけないような気になったんですね。
夏休みが終わる。
祭りが終わる。
遊びが終わる。
じゃあ明日からまた頑張らないとなぁ、みたいなさ。時間は待ってくれないから、状況もどんどん流れて。その都度、大小の決断を常に迫られ続けるような。それと相対する覚悟というにはいくらか緩い覚悟。

要するにさ。
なんか、こう、どっかで寂しい気持ちがあるんですよね。

最近、ここを遠目に眺めてて。
そう感じるんです。


まぁ、そういうことなんでしょうね。





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