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遺書

万が一の為に遺書を書きました。

最近希死念慮が強くかつ元気が出てきた事と(躁鬱混合期かな)自転車事故で転倒しあのまま車に轢かれていたらと考えた時に私は自分の遺志をどこにも残していないなと思いました。Twitterの海に浮かべておけばいつか大切な人々に届くのではないかと思いスマホを持ちました。

私は恵まれた家庭環境で育ちました。経済的に何の問題もなくギャンブルや暴力もなかった。ただ遠慮や配慮が薄くてこちらにはそれらをつよく求めてくる両親でした(横で何もせず庇ってくれなかった母も同罪とします)。そして半年に一回、金言をくれる両親なのでした。それもこれも私の病気が見せた幻かも知れません。家庭内のことは誰にもわかりません。とにかく私は苦しかった。私が働けないばかりに無理をして激務を続け病気になった母には申し訳ない気持ちでいっぱいです。ただ私の事がなくても彼女は会社に洗脳されて「自分の代わりはいない」と思い込んでいたように見えました。代わりなんていくらでもいる事が耐えられない事情があったのだと思います。人に必要とされたがっているように見えました。そうでなければあの父と同じ屋根の下で暮らすのは無理だと思います。押し付けがましくても自分中心でも自分を必要としてくれている人だから耐えられているのだろうなと思いました。

父と私は幼い頃仲が良かったと母は言いました。私が病気にならなければ、まともに社会に出られていればしなくて良いけんかを沢山しましたね。でも私の病気は必然的に起こったものです。自分の限界を超えていることに気づけない感覚鈍麻と生真面目な性格が合わされば誰でも受験ノイローゼになるでしょう。そしてストレスで双極性障害を発症しそれに対して医者から誤診と誤投薬をされ事態はどんどん地獄と化してゆきました。朝7時に目が覚めても12時ごろまでびくとも身体が動かなかったです。そんな事が何年も続きました。元気な日しか外に出ませんし外では嫌われないよう元気に振る舞うクセがついていましたから周りの人達は私のことを元気だと勘違いしていました。今でもしていると思います。そうさせているのは私です。少ししんどい時に少ししんどい表情ができないのです。真顔でいて、家に帰ると倒れ込むのです。どちらかしか一方の顔しかできないのです。全てが演技です。

本当の私は数年前に亡くなりました。そこからは適当に人格を作り上げてその場にあった言動と表情を取っています。それも板についてきて第二の私と言っても良いほどに回復してきました。とは言っても少しのストレスで崩壊するようなヤワなものだけれど。

話は戻って双極性障害を発症した頃、M.Tさん、婚約者が亡くなったというご報告のメールにそのへんじもそこそこに自分のしんどい話を長文で送りつけて本当に申し訳ありませんでした。あの時の私には余裕がありませんでした。いつもライオンのいる森に取り残されているような焦燥感と強い不安がある神経症状がひどく人の事を慮る事ができませんでした。お元気で暮らしていらっしゃるのか時々思い出します。

同じ時期、小学校、中学校からの親友にもひどい寝不足によるしんどさからひどい八つ当たりと双極性障害の症状である尊大な態度でイラつかせ傷つけたMちゃんYちゃん、本当にごめんなさい。あのあと奇跡的に地元の駅で会った時ふつうに会話してくれてとても嬉しかったです。本当にありがとう。私は大事な友だちを失いました。

最初はTwitterで知り合いもおらず虚空に呟いていた私に初めてリアルな人間でフォローしてくれたしぶちゃさん、あの時の喜びは忘れられません。これからもワンチャンの様子を見て自分が犬を介護していた頃を思い出させてください。

そして発達界隈の皆様。トラブルもあったけれど死を本気で思う私を救ってくれる言葉をリアルの自助会でもTwitter上でも頂きありがとうございました。最近は社会復帰施設に入所したためお会いする機会もめっきり減りましたが感謝は胸に常にあります。

社会復帰施設Cの職員の皆様、また施設を紹介してくださったAさん、いつも訪問看護に来てくれるTさん、ヘルパーのMさん。孤独な私をいつも優しく励ましてくれてありがとうございます。
特に社会復帰施設の職員さん達はフレンドリーに適度な距離感でいつも楽しいプログラムを考えてくださって笑かせてもらってこんなに楽しくて良いのかと怖くなるくらいです。将来についても現実を知るところから熱心に付き合って頂きどうお礼を言って良いのかわかりません。

他にも妹のN、私に親類の結婚式というものを経験させてくれ赤ちゃんまで抱かせてもらって本当にありがとう。
弟のS、病気が酷かった頃激しい喧嘩も沢山したのにも関わらずそれをネチネチいうことは一切なく引っ越しに車を出してくれてありがとう。

友人のY、Sちゃん、Yちゃん、Kさん、Sちゃん、E、Sさん、Iちゃん、Y皆んな愛してます。自分にも悩みあるだろうに忙しいだろうに、いつも私の悩みを聞いてくれてありがとう。

生まれてきて良かったかと聞かれたら、うんとは言えないです。それくらい死の淵を彷徨う発作は想像を絶する苦しさでした。それとそれを薄めたような体調が10年単位で続く事が幸せだっかと聞かれたら、幸せなこともあったけど正直それを感じる感受性に余裕がなくてほとんど感じられなかったので、もったいない話だけど幸せだったとは言えないです。世の中にはもっと苦しい人がーとか20歳を迎えられない人だっているのにーとかいらないです。そんなことわかってます。そんなに言うなら私と代わりますか?33歳独身年金と親の仕送りだけが収入源、体働けるようになるにはあと5年以上はかかりそう。働いた経験ほぼなし。貯金ももちろんなし。

それでも体調がいい日は幸せなんですよね。ゲームしてご飯食べて。同世代の人があくせく働いてる仲平日の昼間から自由にしていい。YouTube見ながらヨガや軽い運動したり。

私は最後そんなふうにして過ごしていました。

もし私が本当に死んじゃったら家の中のものは全て処分してください。死んだ人のもの売るとか不謹慎でしょ。特に籐のタンスは箪笥ごと捨てて欲しい…

そして私のことは忘れて欲しいです。キャラ濃かったし思い出さざるを得んだろうからなるたけ考えないで。あなたの人生を楽しく生きて欲しいです。私の分もいろんなことにチャレンジしてみて欲しいです。

忘れてたひどい、おばあちゃん、おじいちゃん、祖父母不幸(?)な孫でごめんなさい。おばあちゃんとおじいちゃんは私の心の中の大木みたいなものです。いつも支えてくれてありがとう。幼い頃2人に手放しに愛された事が私をこの世に引き留めています。本当にありがとう。

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